共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

惜秋

2013年12月05日 19時19分59秒 | 日記
本堂を出て、もう一度三仏堂に詣でて、先日他界した友人の極楽往生を阿弥陀様方にしっかりと御祈念申し上げて、総門に向かう道に差し掛かりました。

楓に囲まれた、この写真に写っている参道のすぐ横に、閻魔大王と奪衣婆を祀る閻魔堂と、三途の川原においでなさる六地蔵がお祀りされていましたので、そちらにもしっかりと手を合わせて来ました。

ここだけではなく、境内のあちこちで楓や銀杏が頃良く色づいて、過ぎ行く秋を惜しんでいました。もう少し早ければ、境内中が紅葉に染まった様子が観られたかも知れませんが、それはまた来年以降のお楽しみにしておこうと思います。
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本堂

2013年12月05日 18時55分39秒 | 日記
石敷きの参道を挟んで上品堂の真向かいに建つのが本堂です。天井画に竜が描かれていることから《龍護堂》とも呼ばれています。

下足をぬいで本堂に上がると、正面に、これも開祖珂碵上人自刻と伝わる丈六の釈迦如来座像が坐します。黒柳徹子著の《窓際のトットちゃん》で、トモエ学園の子供達がお散歩で九品仏にやって来て『ちょっとコワい…』と思いながら見上げていたのは、恐らくこの御本尊のことかと思います。

淨眞寺では3年に一度の8月16日に《来迎会(らいごうえ)》という行事が執り行われます。これは本堂と上品堂との間に参道上に橋を懸け、その上を、阿弥陀如来が二十五菩薩を随えて西方極楽浄土より往生人の元へ御来迎するという浄土の教えを、信徒の方々が実際に菩薩に扮して、本堂を此岸、上品堂を彼岸と見立てて行道する行事です。実際に菩薩のお面と衣裳とを身に着けて行うことから《おめんかぶり》の名で親しまれています。

このような行事は奈良・當麻寺(たいまでら)にも残っていますが、関東地方ではここ淨眞寺に伝わるのみの貴重な行事です。
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上品堂

2013年12月05日 18時23分45秒 | 日記
三仏堂は、対面して建つ本堂から向かって正面が上品堂、右手が中品堂、左手が下品堂という並びで建てられています。

写真は中央に建つ上品堂です。この御堂の中には、開祖珂碵上人自刻と伝わる阿弥陀如来座像が三躰安置されています。

澄み切った秋空の下、銀杏の黄色い落ち葉に中に銅葺き屋根の緑青色が鮮やかです。
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三仏堂

2013年12月05日 18時18分45秒 | 日記
そもそも、どうしてこの御寺を《九品仏》と呼ぶのか…その理由は、写真の三棟の御堂にあります。ちょっとわかりにくいかも知れませんが、この御寺の境内には上品堂・中品堂・下品堂という三つの御堂が横一列に並んで建っています。写真は下品堂の前から上品堂と中品堂を撮ったものです。

因みに御堂の名前は『じょうひん・ちゅうひん・げひん』ではなく(^_^;)『じょうぼん・ちゅうぼん・げぼん』と読みます。これは《観無量壽経(かんむりょうじゅきょう)》という経典の中で、極楽往生に臨む人の状況や性質に応じて阿弥陀如来が、聖人のような上品上生から極悪人のような下品下生までの9つの段階に別れて迎え入れて下さると説かれていることに由来します。

上品・中品・下品の各堂には、それぞれに上生・中生・下生(じょうしょう・ちゅうしょう・げしょう)の三躰の阿弥陀如来座像が坐します。特に平安時代末期、いわゆる末法思想が蔓延した頃には、極楽往生を願う有力貴族等の手によってあちこちにこういった九体の阿弥陀仏を祀る御堂が建立されました。ですが、その後に起きた戦乱等で京の都にあった九体阿弥陀堂が殆どが焼失してしまって、この九品仏が全て現存しているのは、今では京都府加茂市の山奥に建つ浄瑠璃寺とここだけで、東西九体仏の双璧と誦われています。

ただ、浄瑠璃寺は一棟の横長の御堂に九体がズラッと並んでいるのに対して、ここでは格に合わせた三棟に三体ずつ別れているのが違います。
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晩秋の古刹

2013年12月05日 17時55分45秒 | 日記
今日はたまプラーザの教室に行く前に、ちょっと思い立って東急大井町線沿線に足を伸ばしてみました。

ここは九品山唯在念仏院淨眞寺(くほんざんゆいざねんぶついんじょうしんじ)です。一般的には《九品仏(くほんぶつ)》の名前で親しまれています。江戸時代初期、四代将軍徳川家綱の時代1678年に珂碵上人(かせきしょうにん)によって開かれました。

大井町線の九品仏駅の改札を出て左手に進むと、すぐに参道が目に入ります。紅葉の進んだ参道を進むと、突き当たりにこの総門があります。

この辺りはどこをとっても絵になるところで、この時も参道には周辺を写生する人達が多く見受けられました。
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