え〜…秋です、暦の上では秋…のはずです。しかし、この暑さは何でしょう…。
ところで(唐突だな…)今日8月8日はいろいろな記念日のようですが、その中でも今日は『鍵盤の日』なのだそうです。これは、
ピアノの鍵盤が88鍵あることに由来する…とのことです。
88とは何だか中途半端な感が否めない数ですが、これにはれっきとした理由があります。それを理解するために、先ずピアノが辿ってきた歴史を辿ってみることにしましょう。
ピアノの前身楽器といえば
チェンバロで、その鍵盤数は主にバッハの鍵盤楽器曲をいろいろ見ていくと49鍵とみられています (写真のチェンバロは2段鍵盤ですが、上下の鍵盤が同じ音なので鍵盤数を2倍には数えません)。それを証明するかのように、《半音階的幻想曲とフーガ》や《ゴールドベルク変奏曲》のような一部の例外を除いて全ての曲がこの音域内に収まり、 これを少しでも逸脱する曲は出てきません。
その後、1700年前後にイタリアの楽器製作家バルトロメオ・クリストフォリ(1655~1731)によって、
現在のグランドピアノの原型であるフォルテピアノが作られました(写真は1720年製のクリストフォリのフォルテピアノの実物)。それまでの鍵盤楽器の主流であったチェンバロに比べて大きな音が出せるようになったり強弱のコントロールが自在になったりしましたが、このフォルテピアノでもまだ音域は54鍵でした。
クリストフォリのフォルテピアノを経て、ハイドンやモーツァルトの時代には
先日横浜イギリス館で鑑賞したワルターモデルのフォルテピアノが登場します。ただ、このピアノでも61鍵で現在のグランドピアノと比べるとまだまだ少なく、例えばベートーヴェンの《エリーゼのために》を演奏するにはこのワルターモデルのフォルテピアノでは高音域が足りません。
更に時代が進んでベートーヴェンの頃になると
ブロードウッド社から78鍵のハンマーフリューゲルのピアノが登場しました。この頃から産業革命の影響で本体枠や響板に金属が使われるようになり、より音量の豊かなピアノとなりました。
更に時代が進んでショパンの頃になると開発拠点がプレイエル社やエラール社を中心とするパリに移り、ショパンやリストといったテクニックや表現力を重点とする凄腕ピアニストがサロンやコンサートホールで愛用するようになりました。この時点で80~85鍵といわれていて、
上の写真はショパンが実際に使用していた150年前のプレイエル社製85鍵のグランドピアノです。
最終的に88鍵になるのは19世紀後半に入ってからのことで、これで一応音域拡張は打ち止めとなりました。因みにこの頃からハンマーが革巻きからフェルト巻きになり、より繊細で豊かな音楽的表現が可能となりました。
では何故88鍵に落ち着いたのかというと、この音域が人間が音程を認識できる可聴音域の限界だからです。高音域はこれ以上高くなると超音波に近くなってしまい、逆に低音域はこれ以上低くなると低周波の振動にしか感じられません。
ただ、実は例外があります。ベーゼンドルファー社が製造しているグランドピアノには
低音域に鍵盤を9つ足して97鍵あるインペリアルモデルというグランドピアノがあるのです。これはイタリア出身の作曲家でピアニストのフェルッチョ・ブゾーニ(1866〜1924)がバッハのオルガン曲を編曲した時に88鍵では演奏できない音域をカバーさせるため、ベーゼンドルファー社に製作を提案したものと伝えられています。
ただ、現在このプラスした音域は低音域の音を共鳴させて響きを豊かにする目的で使用されることが殆どで、実際に演奏されることはほぼありません。それでも、普通のピアノと間違ってうっかり弾いてしまわないように、その低音域の鍵盤は
御覧のように真っ黒に色が塗られています(笑)。
御覧のように真っ黒に色が塗られています(笑)。
そんなわけで、今日はピアノの音域が88鍵盤に至った経緯をご紹介しました。普段何となく見ているピアノにもこんな歴史を経てきたのだということを、少しでもご理解いただけましたら幸いです。