今日は朝から曇り空だったこともあってか、昨日と比べると幾分涼しく感じられました。それでも湿度がそこそこ高いこともあって、快適とまでは言いがたい陽気となりました。
ところで、今日8月25日はバーンスタインの誕生日です。
レナード・バーンスタイン(1918〜1990)はユダヤ系アメリカ人の指揮者・作曲家であり、ピアニストとしても知られています。アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者であり、
『帝王』ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989)と並んで、20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家として名を残しています。
バーンスタインは1918年の8月25日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ローレンスに生まれました。1931年にニュー・イングランド音楽院でピアノを学んだ後1939年にハーバード大学卒業したバーンスタインは、続いてカーティス音楽院でピアノ・指揮・作曲を学びました。
1940年にはボストンで開催されたタングルウッド音楽祭で名指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーに師事し、1943年にはニューヨーク・フィルの副指揮者に任命されました。そしてその年の11月14日、急病で倒れてしまったブルーノ・ワルターの代役でニューヨーク・フィルを指揮、シューマンの《マンフレッド》序曲やリヒャルト・シュトラウスの交響詩《ドン・キホーテ》などを指揮して一大センセーションを巻き起こしました。
1957年にはニューヨーク・フィルの首席指揮者に、翌1958年にはニューヨーク・フィルの音楽監督に就任し、同年10月に音楽監督としての最初のコンサートでベートーヴェンの交響曲第7番等を披露しました。その後1969年5月17日にマーラーの交響曲第3番の指揮を最後にニューヨーク・フィル音楽監督を退任して桂冠指揮者となると以降固定したオーケストラでのポストには就かず、ベルリン・フィルやウィーン・フィル、イスラエル・フィルといった世界各国の一流オーケストラの客演指揮者に終始することとなりました。
作曲家としてのバーンスタインは、1944年に初の自作交響曲第1番《エレミア》やバレエ《ファンシー・フリー》、ミュージカル《オン・ザ・タウン》を初演しました。それらを皮切りに様々な作品を作曲し、1956年には初のオペラ《キャンディード》を、そして翌1957年にはミュージカルの金字塔的作品《ウエスト・サイド・ストーリー》を初演しました。
さて、そんなバーンスタインの誕生日に《キャンディード》や《ウェスト・サイド・ストーリー》をご紹介…してもよかったのですが、そこはひねくれ拙ブログですからそんなメジャーどころは取り上げません(オイ…)。今日は、それらのミュージカルに先駆けて作曲されたバレエ音楽《ファクシミリ》をご紹介しようと思います。
《ファクシミリ》は1946年に作曲されたバレエ音楽で、男と女の三角関係的ラブゲームがテーマになっています。後のミュージカル音楽を思わせるようなフレーズも聴かれますが、同時にサティやヒンデミットといった近代クラシック音楽からの影響も垣間見ることができます。
冒頭に恋多き満たされぬ女のテーマがオーボエで無機質に奏され、それは形を変えて曲中に何度も登場します。そこへ一人目の男が現れると、曲想は変則的で不安定なリズムのワルツ風に変わります。
やがてピアノによって階段をスキップしながら下りてくるような軽やかなテーマが登場するとそこに二人目の男が登場し、女✕男✕男の三角関係が生じます。やがて三人はもつれるように絡み合って踊りますが、その中で女はかえって孤独さと虚しさを感じていき、最後は冒頭の無機質な女のテーマと共に儚く終わっていく…という展開となっています。
私はこの《ファクシミリ》を演奏したことがあり、その時にヴィオラパートの主席を務めていました。この曲には途中、第一・第二ヴァイオリンとヴィオラの主席にソロパートが登場するのですが、これが普段ヴィオラで演奏する音域よりもはるか高いところを弾かされるので大変だったことが忘れられません(汗)。
そんなわけで、バーンスタインの誕生日である今日はバレエ音楽《ファクシミリ》をお聴きいただきたいと思います。名作ミュージカルに先駆けて作曲された、バーンスタイン初期の作品をお楽しみください。