今日から、今年度の放課後子ども教室がスタートしました。今日は、勤務先とは別の学校の教室です。
大人たちの自己紹介をしてから、今年度も帰りの歌を歌うことになりました。今月は、小田原市の夕方の防災無線放送で流されている《ゆりかごの歌》です。
《ゆりかごの歌》は
詩人北原白秋(1885〜1942)の作詞、
草川信(1893〜1948)作曲による童謡です。この《ゆりかごの歌》が小田原市の防災無線メロディに採用されたのは、今から8年前の2016年のことです。
北原白秋が上京するまでの19年間暮らした故郷の福岡県柳川市に次いで長く居住し、初めて自宅を持った土地が小田原でした。転居したのは大正7(1918)年3月で、白秋が33歳の時でした。
白秋はその後、大正15(1926)年5月までの8年2ヶ月にわたって小田原に居住し、その間に多くの作品を創作しました。例をあげますと、
雨ふり
〽あめあめふれふれ母さんが〜
赤い鳥小鳥
〽赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い〜
あわて床屋
〽チョッキンチョッキンチョッキンナ〜
ちんちん千鳥
〽ちんちん千鳥の鳴く夜さは〜
砂山
〽海は荒海〜、向こうは佐渡よ〜
からたちの花
〽からたちの花が咲いたよ〜
ペチカ
〽雪の降る夜は、楽しいペィチカ〜
待ちぼうけ
〽待ちぼうけ〜、待ちぼうけ〜
この道
〽この道は〜いつか来た道〜
など、いずれ劣らぬ有名どころ揃いですが、その中で際立って有名になったのが《ゆりかごの歌》です。
小田原の生活は快適で、白秋は終生小田原で暮らすことを考えていたといわれます。しかし、1923年9月1日に発生した関東大震災で住居が半壊したこともあり、やむなく東京へ移っていったのでした。
因みに、小田原市が防災無線放送を《赤とんぼ》から《ゆりかごの歌》に変更した理由として
①ゆったりとしたメロディで、防災行政無線でもわかりやすい
②北原白秋の作品の中でも認知度が高く、親しまれている
③小田原在住時に妻の妊娠を知って作詞したもので、子どもへの愛情にあふれて
いる作品である
ということなどから、子どもたちに帰宅を促す側面もある夕方のチャイム放送に適しているため選曲したとのことです。
子どもたちにこれらの話をしてみたところ、前年度在籍していた子たちの何人かが私の話を覚えていてくれていました。正直、あまり期待していなかったのですが、これは嬉しいことでした。
今月、こちらの学校ではあと3回放課後子ども教室がありますが、その時に前年度に出したクイズも出してみようと思います。果たして、彼らは答えられるでしょうか。
そんなわけで、今日は《ゆりかごの歌》をお聴きいただきたいと思います。NPO法人日本子守唄協会編纂による動画で、北原白秋が我が子のために書いた、いとも優しい子守唄をお楽しみください。