今日は一段と寒い日となりました。昼間になっても一向に気温が上がらず、小学校の子どもたちは口々に
「さむいっ!」
と震えていました。
学校としてもあまりの気温の下落ぶりに戸惑っていたのですが、何しろ急なことで石油ファンヒーターの準備も進んでいないので、今日はとりあえずエアコンを回して凌ぐことにしました。それでもコロナ対策として換気はしなければならないのでいつまで経っても教室が温まらず、子どもたちには可哀想なことをしました。
さて、今日は放課後子ども教室のある日でした。今日も子どもたちに宿題や折り紙、塗り絵や迷路といった様々なものをやらせて過ごしましたが、教室の最後にみんなで歌を歌うことにしました。
コロナ禍以前に放課後子ども教室を実施していた時にも歌って終わっていたのですが、コロナになって歌うことそのものを禁じられてしまったため実施が危ぶまれていました。しかし、小田原市のコロナ警戒レベルが1にまで下がったことで、無事に学校側からも歌唱の許可が降りました。
今回とりあげたのは
童謡《ゆりかごの歌》です。この曲は現在、小田原市の夕方の放送で使われているので、一番に子どもたちに歌わせようと思っていた歌です。
多くの自治体では《夕焼け小焼け》が夕方に放送されていますが、小田原市では《ゆりかごの歌》が使用されています。その理由は、この曲の作詞をした詩人の北原白秋が8年もの間小田原に住んでいたことにあります。
北原 白秋(1885〜1942)が上京するまでの19年間暮らした故郷の福岡県柳川に次いで長く居住し、初めて自宅を持った土地が小田原でした。小田原に転居したのは大正7年3月、白秋33歳の時でした。
白秋はその後、大正15年5月まで8年2ヶ月にわたって小田原に居住し、
「雨」
「赤い鳥小鳥」
「あわて床屋」
「ちんちん千鳥」
「砂山」
「からたちの花」
「かやの木山の」
「ペチカ」
「待ちぼうけ」
「この道」
など、多くの作品を小田原時代に創作しましたが、その中に《ゆりかごの歌》もありました。
小田原の生活は快適なもので、白秋は終生小田原で暮らすことを考えていたといわれています。しかし、小田原にも甚大な被害を出した関東大震災で住居が半壊してしまったために東京へ移ることとなり、やむなく小田原を去ることになったのでした。
そんな歴史も絡めながら子どもたちに《ゆりかごの歌》を歌わせることにしましたが、その前に『ゆりかごクイズ』を出題しました。
問題:1番の歌詞に出てくる『カナリヤ』はどれ?
①
②
③
正解は
②なのですが、意外と①と答えた子が多くて、先生的には『してやったり』でした(悪)。因みに
③はウグイスで、一番間違った子が多かった引っ掛け問題の
①はマヒワでした。
①はマヒワでした。
そんなミニクイズをはさみながら子どもたちに《ゆりかごの歌》を歌わせましたが、普段夕方の放送で聴き慣れているメロディに4番まで歌詞があることに驚いている様子でした。折角ですから、これを期に子どもたちには日本の美しい歌をいろいろと覚えていってほしいと思います。
そんなわけで、今日は《ゆりかごの歌》をお聴きいただきたいと思います。小田原ゆかりの北原白秋の詞による、美しくも優しい子守歌をお楽しみください。
御子息の寝かしつけにお母様自らが子守歌を歌われたことは、御子息にとってもかけがえのない体験になっていることでしょう。
これからもこうした美しい日本の音楽を、ひとつでも多く子どもたちに伝えていこうと思っております。