共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

抱腹絶倒!ホフナング音楽祭

2020年05月11日 18時23分48秒 | 音楽
今日は日中の最高気温が30℃に達し、今年初めての真夏日となりました。つい最近まで普通に長袖のシャツを着ていた陽気からの真夏日に、家の中でゲンナリさせられておりました。

こんな日は、言われなくても外になんか出るものではありません。それでも暇なものは暇なので何か面白いものは無いかとゴソゴソしていたら、こんなDVDが出てきました。1992年にプラハのスメタナホールで開催された《ホフナング音楽祭》のライブ映像です。随分と前に買ったはずですが、すっかり存在を忘れていました。

《ホフナング音楽祭》は、漫画家のジェラード・ホフナング(1925〜1959)が始めた冗談音楽祭です。彼はジャケットにあるような音楽にまつわるウイットとユーモアに溢れたカリカチュア(風刺画)を描いていましたが、その世界観を具現化して1956年に『シンフォニック・カリカチュア』という独自のジャンルのコンサートを確立したのが《ホフナング音楽祭》でした。

この音楽祭は1956年に記念すべき第1回目が、1958年に第2回目がロンドンのロイヤルフェスティバルホールで開催されました。しかし、翌1959年にホフナングがわずか34歳という若さでロンドンで急逝してしまったため開催が暗礁に乗り上げてしまいましたが、2年後の1961年に追悼コンサートという形で第3回目が開催されました。

ホフナング自身の死によって音楽祭の存続そのものが危ぶまれましたが、それでもホフナングの未亡人アネッタ・ホフナング等の尽力によって継承され続け、アメリカ・オーストラリア・ドイツといった世界各国で開催されるようになりました。そして創設から30年余りの時を超えて、1992年4月には何と日本でもフェスティバルが開催されました。その翌月にプラハで開催されたのが、このDVDに収められたコンサートです。

この音楽祭の凄いところは、プラハのスメタナホールという一流の演奏会場でプラハ交響楽団というプロのオーケストラが舞台にのって、とてつもなく馬鹿馬鹿しいコンサートを開催するところです。何故か4人の電気掃除機奏者(?)が活躍する『大大序曲』に始まって、モーツァルトの父レオポルト・モーツァルトが作曲したアルプホルン協奏曲を演奏するのに水道ホースと漏斗を手押し車に乗せた庭師が登場して、舞台上でホースをハサミで切りながらいい感じの長さにチューニング(?)して漏斗をホルンのベルとして装着し、見事に演奏してみせたりします。

その他にも、



事務方の手違い(?)で男女2名のヴァイオリニストがソリストとして舞台に登場してしまい、始めはお互いの邪魔をしあったり自慢のテクニックを見せつけあったりしながらも最終的にはラブラブになって仲良く退場していく『愛の協奏曲』や、ベートーヴェンの死後に発見された草稿を元にするも、肝心なところで無音になってしまったり、とんでもないところで舞台裏のトランペットファンファーレが乱れ吹きしてしまう『レオノーレ序曲第4番』、ハイドンの名交響曲『驚愕』の第2楽章を演奏するも、いわゆる『驚愕』の部分で舞台上のパイプオルガンのパイプが火を吹いて爆発したり、舞台裏でいろいろな金物がひっくり返ってドンガラガッチャンと雑音を響かせたりと散々な『びっくりシンフォニー』、ピアニストの椅子が無いというハプニングから始まって、オーケストラはチャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏するもピアニストはグリーグのピアノ協奏曲を弾き始めてしまい大混乱、更にラフマニノフやベートーヴェン、ガーシュウィン等が入り乱れる協奏曲のごった煮が繰り広げられ、オーケストラが間奏を演奏していふ最中にピアニストが新聞を読み始めて指揮者に注意され、最後はピアニストとオーケストラのどちらがイニシアティブを取るかという白熱のバトルを展開する『人気協奏曲』と、抱腹絶倒のおバカギャグてんこ盛りのコンサートです。

この音楽祭で大事なのは確固たる技術と音楽性を持ち合わせた音楽家たちが、そのテクニックを遺憾なく発揮して真剣にくだらないことをやるということに尽きます。とにかく出てくるホルン奏者もヴァイオリニストもテノール歌手もピアニストもオーケストラも全員素晴らしいテクニックのプロフェッショナルなので、安心して馬鹿馬鹿しい世界観に浸ることが出来るのです。

そしてこの音楽祭のもう一つの魅力は、ホフナング未亡人アネッタ・ホフナングがオーケストラのメイドとして舞台に登場するところです。彼女はピアノにハタキをかけたり指揮者と無言でやり取りしたりと、なかなかいい味の存在感を放っています。ある意味において一番ホフナングのやりたかったことを理解している彼女の存在は、この音楽祭にとって無くてはならないものだったでしょう。

長引く外出自粛でともすると鬱々としがちでしたが、久しぶりに高尚な馬鹿馬鹿しさを堪能し大爆笑出来てスッキリしました。またいつかこんな音楽祭が何処かで開かれないかな…と、密かに期待してしまったりもしたのでありました。

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