昨日に引き続き、今日も暑くなりました。昨日よりも日差しがあったことで最高気温も真夏日に迫り、湿度も高かったので不快指数もうなぎ登りとなりました。
ところで、今日6月25日はバレエ《火の鳥》が初演された日です。
(上の写真はロシアの画家、挿絵画家、舞台美術家、衣裳デザイナーのレオン・バクスト(1866〜1924)による《火の鳥》初演時の衣装画)
《火の鳥》は、
イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971)が作曲したロシアの民話に基づく1幕2場のバレエ音楽、およびそれに基づくバレエ作品です。音楽は後に、ストラヴィンスキーの師匠ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)の子息であるアンドレイ・リムスキー=コルサコフに献呈されています。
バレエ・リュスの主宰セルゲイ・ディアギレフ(1872〜1929)は1910年のシーズン向けの新作として、ロシア民話『火の鳥』によるバレエの上演を思いつきました。そこで、1909年の公演で『レ・シルフィード』の編曲を依頼した当時の若手作曲家であるストラヴィンスキーに作曲を依頼し、振付師のミハイル・フォーキン(1880〜1942)にストラヴィンスキーと相談しながら台本を作成するよう指示しました。
フォーキンはディアギレフの指示通りストラヴィンスキーと相談しつつ、バレエの台本を仕上げていきました。ほどなく並行して作曲していたストラヴィンスキーも脱稿し、依頼を受けてから半年あまりで音楽を完成させました。
フォーキンによる『火の鳥』の台本は、『イワン王子と火の鳥と灰色狼』という、ツァーリの庭に生える黄金のリンゴの木の実を食べに来る火の鳥をイワン王子が捕まえようとする冒険譚と、『ひとりでに鳴るグースリ』という、不死身の魔王カスチェイにさらわれた王女のもとを王子が訪れ、王女がカスチェイをだまして魂が卵の中にあることを聞き出すという、2つのロシア民話を元に書かれました。本来は子供向けの話ですが、フォーキンの手によって大人の鑑賞に堪えるように大幅に手が加えられています(因みにストラヴィンスキーの師であったニコライ・リムスキー=コルサコフも共通の題材による歌劇『不死身のカシチェイ』を書いています)。
バレエ《火の鳥》のあらすじは
イワン王子は火の鳥を追っているうちに魔王カスチェイの魔法の庭に迷いこむと、黄金のリンゴの木に火の鳥がいるのを見つけて捕らえる。火の鳥が懇願するので解放するが、そのときに王子は火の鳥の魔法の羽を手に入れる。
次に王子は13人の乙女に会ってそのひとりと恋に落ちるが、彼女はカスチェイの魔法によって囚われの身となっていた王女ツァレヴナだった。夜が明けるとともにカスチェイたちが戻ってきて、イワン王子はカスチェイの手下に捕らえられ、魔法で石に変えられようとする。
絶体絶命の王子が魔法の羽を振ると火の鳥が再び現れて、カスチェイの命が卵の中にあることを王子につげる。王子が卵を破壊したためにカスチェイは滅び、石にされた人々は元に戻り、王子と王女は結ばれる。
というものです。
初演は1910年6月25日にパリ・オペラ座にて、ガブリエル・ピエルネの指揮により行われました。公演は大成功を収め、後のストラヴィンスキーのバレエ《ペトルーシュカ》《春の祭典》の先駆けとなったのです。
後にストラヴィンスキーはバレエの中から抜粋した音楽でバレエ組曲《火の鳥》を1911年、1919年、1945年に編曲しました。1911年版はオリジナルのバレエと同じ3管編成で書かれ、後の1919年版と1945年版は2管編成に書き直されています。
この中で、最もよく演奏されるのが1919年版です。これはスイスの名指揮者エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)のために編曲されたもので
この中で、最もよく演奏されるのが1919年版です。これはスイスの名指揮者エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)のために編曲されたもので
1.序奏
2.火の鳥の踊り
3.火の鳥のヴァリアシオン
4.王女たちの踊り(ホロヴォード)
5.魔王カスチェイの凶暴な踊り
6.子守歌
7.終曲
の7曲で構成されています。
そんなわけで、今日は1919年版のバレエ組曲《火の鳥》のをお聴きいただきたいと思います。『のだめカンタービレ』にも実名で登場したジェームズ・デプリースト(1936〜2013)指揮によるオレゴン交響楽団の演奏で、若きストラヴィンスキーの華やかなバレエ音楽をお楽しみください。