共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

何故だが頭で無限ループ〜アーノンクール指揮によるベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》より「サンクトゥス」&「ベネディクトゥス」

2025年02月08日 17時17分17秒 | 音楽
昨日ほどではないにせよ、今日もそこそこ寒い一日となりました。そんな中、今日は何だか頭が痛くてずっと床に臥せっていました。

ところで、ここ2〜3日私の頭の中でずっと鳴り続けている音楽があります。それが、ベートーヴェンの大曲《ミサ・ソレムニス》の「サンクトゥス」と、「ベネディクトゥス」のヴァイオリンソロです。

この曲は自分でも何度かオーケストラで演奏しているので心当たりはあるのですが、何で久しく忘れていた音楽が急に頭の中で鳴りだしたのかは全く心当たりがありません。似たような音楽を聴いたりしたわけでもないので、尚更謎です。

《ミサ・ソレムニス》ニ長調 作品123は、ベートーヴェンの晩年に書かれた大作です。ベートーヴェンといえば



この肖像画が有名ですが、この絵でベートーヴェンが手にしているのが《ミサ・ソレムニス》の楽譜です。

ベートーヴェン自身

「私の最大の作品」

と言っているとおり大変聞き応えのある名曲で、ミサ曲の中ではバッハの《ロ短調ミサ曲》と並ぶ傑作です。曲は《交響曲第9番》ニ短調 作品125と似た編成で書かれていて、作品番号の近さからしても第9の兄弟分と言うことができます。

曲は「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス〜ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」という伝統的なミサ曲通常文を構成する5つの部分から成っています。歌詩もラテン語で歌われますが、全体的に純粋な宗教曲というよりは演奏会的な雰囲気と教会的な雰囲気とをあわせ持ったスケールの大きさがあります。

各楽章はかなり長く、初演も全曲ではなく一部だけが演奏されています(全曲が初演されたのは、意外なことにロシアのサンクトペテルブルクです)。作品は、ベートーヴェンの生涯のパトロンだったルドルフ大公に献呈されています。

第1曲キリエの冒頭に

「心より出て、そして再び心にかえらん」

と書いてあるように、この曲はベートーヴェンの作曲技法のみならず、彼の理想や哲学の総決算ともいえる作品です。どことなくフランス革命やナポレオン戦争時代直後の啓蒙主義的な気分が漂うのも、ベートーヴェンらしいところです。

「サンクトゥス」はヴィオラ以下の中低音弦楽器と木管楽器、ホルン、金管楽器群とティンパニの弱奏で始まります。高音楽器のいない渋いアンサンブルの中から、独唱者が静かに歌い出します。

その後、ニ長調のきらびやかな音楽に転じますが、やがて「前奏曲」と銘打たれた橋掛かり的な音楽になります。こちらもまたヴィオラ以下の中低音弦楽器にフルートが加わって、第9の4楽章の大フーガ前の部分のような静謐な音楽が展開していきます。

その重々しい和音の中からヴァイオリンソロと2本のフルートが、まるで垂れ込めた厚い雲の中から差す天使の梯子のように高音で降りてきて「ベネディクトゥス」が始まります。稀代の名曲《ヴァイオリン協奏曲ニ長調》を彷彿とさせるヴァイオリンソロは歌唱や管弦楽団の間を自由自在に飛び回り、聴くものの心に忘れ難い印象を残します。

そんなわけで、今日は最近私の頭の中でループしまくっているベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》から「サンクトゥス」と「ベネディクトゥス」をお聴きいただきたいと思います。ニコラウス・アーノンクール指揮、アムステルダム・ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による2012年の演奏で、中低音の魅力満載のサンクトゥスと、天国的なヴァイオリンソロが美しいベネディクトゥスをお楽しみください。



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