共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日は『ヴァイオリンの日』〜近代西洋音楽の黎明と共に

2022年08月28日 18時50分50秒 | 音楽
今日は昨日の暑さから一転して、グッと気温が下がりました。夕方頃には、窓を開け放っておけばかなり涼しい風が入ってきていました。

ところで、今日8月28日は



『ヴァイオリンの日』なのだそうです。これは世界的な記念日ではなく、あくまでも日本だけの記念日で、東京・深川の三味線職人である松永定次郎が国産ヴァイオリンの第一号を完成したのが1880(明治13)年の8月28日でした。

当時31歳の松永定次郎が

「三味線や胡弓に似た、音色の良い楽器がある」

と人づてに聞いて、東京の方々でヴァイオリンを探しまわったのだそうです。結果、東京・神田駿河台のニコライ堂にあった楽器を楽師に頼んで見せてもらって詳しい図面を採り、輸入ラシャの外箱を材料にして初めての国産ヴァイオリンを作り上げました。

ただ、当時はヴァイオリンという楽器のことを知る者も少なく、ましてや演奏するものもいませんでした。なのでいくら作ったところで買ってくれる人はいませんでしたが、松永は良いバイオリンを造ることに熱中しながら、修繕も手がけていたといいます。

そんな松永に、時代が味方します。

1881(明治12)年に、現在の東京芸術大学音楽学部の前身である「音楽取調掛」が文部省内に設立されます。そして、ここでヴァイオリンの才能を開花させたのが、作家、幸田露伴の妹たちです。

上の妹・延は、後にヴァイオリン教育のパイオニアとなり、下の妹・幸はヴァイオリニストとして活躍します。この姉妹に続いて世界レベルのヴァイオリニストが登場し、それとともに外国製のヴァイオリンも日本に入ってくるようになったことで、ヴァイオリンという楽器は日本で一気にメジャーなものとなりました。

こうした時代背景からヴァイオリンという楽器に注目が集まり、それに伴って国産ヴァイオリンの需要が高まっていきました。そうした時流にのった松永のヴァイオリンは徐々に評価され、明治40年春に開催された博覧会に出品した楽器が宮内省(当時)に買い上げられるまでになったといいます。

そしてもう一人、国産ヴァイオリンの製作を本格的にスタートさせたのが、



名古屋の鈴木政吉です。鈴木政吉も元々は三味線づくりをしていた人物ですが、松永定次郎の和製ヴァイオリンと出会ったことで自らもその製作を始めました。

その後鈴木政吉は、現在も弦楽器の製造で知られる「鈴木バイオリン」の創業者となりました。名古屋にある本社には、



1888(明治21)年に鈴木政吉が製作した実物が保存されています。

鈴木政吉は楽器制作の他にも、日本の音楽文化の発展に力を尽くしたことでも知られています。海外から一流の演奏家が来日した際は、名古屋で演奏会を主催し、こうした演奏家たちのヴァイオリンを、調整・修理をしたのも政吉でした。

因みに、鈴木政吉の子息は



スズキメソードを創設した鈴木鎮一です。松永定次郎に始まった日本における今日のヴァイオリン界は、政吉と鎮一の親子によって発展を遂げたといってもいいでしょう。

個人的に普段お世話になっているヴァイオリンという楽器の日本における黎明期に、こんな歴史があったということを知っていただければ幸いです。


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