今日も朝から肌寒い日となりました。このままどんどん秋になっていってくれればいいのですが、天気予報的にはそうもいかないようです。
ところで今日9月5日はバッハの末子であるヨハン・クリスティアン・バッハの誕生日です。
作曲家、またクラヴィーア奏者としても活躍したヨハン・クリスティアン・バッハ(Johann Christian Bach)は1735年の今日、現在のドイツ・ライプツィヒでヨハン・セバスチャン・バッハと2番目の妻アンナ・マグダレーナ・バッハとの間に末の息子として誕生しました。イタリアでデビューした後で主にロンドンに住み、オペラ作曲家として名声を得ていたので『ロンドンのバッハ』とも呼ばれています。
一般にはそれ程知名度はありませんが、それでも古典派の作曲家たちに与えた影響は決して小さくはありません。1764年には、当時ロンドンに居を構えていたヨハン・クリスティアン・バッハ(略してJ. C. バッハ)のもとに訪ねていったモーツァルトに作曲技法の手解きもしたほどの音楽家でもありました。
様々な作品がある中で、個人的に馴染み深い作品が《ヴィオラ協奏曲 ハ短調》です。ただし、実は実際に作曲したのはJ. C. バッハではなく、作曲家・指揮者・ヴィオラ奏者で、カペー弦楽四重奏団のヴィオラ奏者としても活躍していたアンリ・ギュスターヴ・カサドシュ(1879〜1947)という人物です。
様々な作品がある中で、個人的に馴染み深い作品が《ヴィオラ協奏曲 ハ短調》です。ただし、実は実際に作曲したのはJ. C. バッハではなく、作曲家・指揮者・ヴィオラ奏者で、カペー弦楽四重奏団のヴィオラ奏者としても活躍していたアンリ・ギュスターヴ・カサドシュ(1879〜1947)という人物です。
カサドシュは1901年にサン-サーンスらと共に「古楽器協会」を設立し、20世紀初頭における古楽の復興に寄与しました。その中でカサドシュ自身が演奏するヴィオラ協奏曲のレパートリーを増やすために、J. C. バッハの名を借りてこの曲を作り上げました。
何故わざわざそんな面倒臭いことをしたのかというと、端的に言ってしまえばカサドシュが当時の音楽界を謀(たばか)るためでした。
カサドシュが活躍していた頃、コレッリの《主題と変奏》やプニャーニの《アダージョとアレグロ》といった主にバロック期の作曲家の音楽が何曲か発見され、当時の識者たちによって「未発見の名曲発見!」と取り上げられて次々と発表されていました。しかし、実はこれは
作曲家で名ヴァイオリニストであるフリッツ・クライスラー(1875〜1962)が当世風に作った自作を『クライスラー編曲』として世に問うたものだったのです。
クライスラーとしては、何とも鼻持ちならない当時の音楽学者たちをからかってやろうと思っていたようで、
「実はボクが作ったものでした!」
とタネあかしをした時には、かなりの衝撃だったのだそうです。もっとも、それで赤っ恥をかかされた一部の識者たちからは絶交されてしまったようですが…。
話をカサドシュに戻しますが、恐らくこの《ヴィオラ協奏曲 ハ短調》も古楽器協会でのカサドシュのレパートリーを増やすということの他に、クライスラーの贋作事件にも多少の影響を受けて作られたものだと推測されています。それでも、J. C. バッハ作ではないからといって『カサドシュのヴィオラ協奏曲』としてしまっては折角のこの曲の贋作的面白さが抜けてしまいますから、現在では『アンリ・カサドシュ編 J. C. バッハ《ヴィオラ協奏曲 ハ短調》』という若干無理矢理な名で世に流通しています(因みにカサドシュは『ヘンデル作の《ヴィオラ協奏曲 ロ短調》』も作曲しています!)。
この協奏曲は、ハイドンやモーツァルトに先駆けた前古典派の作曲家であるJ. C. バッハの作曲というにはあまりにもロマンティックな響きのする曲です。しかしながら中身としてはなかなか充実ぶりで、この曲のチェロ協奏曲版を20世紀のチェロの巨匠のひとりであるムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927〜2007)が録音しているほどのカッコいい佳作ですから、成立事情はいかがわしいながらも名曲だと思います(笑)。
そんなわけで今日は、いかがわしい(笑)ながらも今やヴィオラの協奏曲のレパートリーの一つとして欠かせない《ヴィオラ協奏曲 ハ短調》の演奏動画を転載してみました。全くJ. C. バッハっぽくは無い(汗)ながらも、カサドシュが目一杯それっぽく作った佳品をお楽しみください。