今日は、今やすっかり存在意義を見失ってしまった敬老の日です。それと同時に、今日から秋の彼岸に入ります。
我が家でも仏壇に御供え物をしたり閼伽水を献じたりして、お線香を上げながら般若心経を読誦しました。
観世音菩薩が霊鷲山で、一切の苦しみから解放されるにはすべては「空」であることを見抜く必要があるという考えに至り、それに対して釈迦十大弟子の一人で「智慧(ちえ)第一」と呼ばれる舎利弗(しゃりほつ)が問いかけたときに観世音菩薩が説いた言葉が般若心経と言われています。
この、およそ数ある仏典の中で最も有名と言ってもいい般若心経は、現在でも法相宗・天台宗・真言宗・禅宗の各宗派で読誦されています。全文でも260文字程という短さもあって、朝晩に仏壇に唱えておられる方も多いのではないでしょうか。
それに因んで…と言っては何ですが、ちょっと面白い動画がありました。現役の禅宗の僧侶が、ループステーションというその場で音声を多重録音して繰り返し再生する機械を操作してヒューマンビートボックスの音声を重ねながら、それにのせて般若心経を読誦しているというものです。
この僧侶は赤坂陽月師という御坊で、かつてはビートボクサーとして広く活躍されていた方だといいます。よく分かる人に観てもらったところ、ループステーションを操作する手元を見るだにこの赤坂師のビートボクサーとしての技術はなかなかのものだそうで、ただ単にヒューマンビートボックスに般若心経をのせただけのものではなく、全く新しい音楽を構築している…とのことでした。
聴いていたたくと分かりますが、ヒューマンビートボックスのリズムだけでなく、モンゴルのホーミーのような倍音を伴うベースやファルセットボイスの高音といった多種多様な音声をループステーションでどんどん重ねていき、奥行きの深い響きが展開されていきます。その響きの中に僧侶ならではの響きのいい発声で般若心経が読誦され、更にその読経が高低様々な声で重ねられていきます。
とかく読経というと一定の音律で平板に読誦されるイメージがあると思いますが、鎌倉仏教以前の法相宗・天台宗・真言宗といった宗派では読経に節をつけて唱える『声明(しょうみょう)』が読誦されています。この般若心経ビートボックスは、正にその声明の世界を彷彿とさせるような豊かな響きに満ちています。
しかも、般若心経の結びに置かれている
掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)
という真言(マントラ)の部分は、原典であるサンスクリット語の
ガテーガテー パーラーガテー パラサンガテー ボーディスヴァハー
という発音に徐々に徐々に変わっていくというこだわりまでみせています。
上の写真は法隆寺本(または法隆寺貝葉心経)と称される、7~8世紀に書かれたという現存する最古のサンスクリット本(梵本)の写本です。法隆寺献納宝物で、現在は東京国立博物館に所蔵されています。
般若心経を漢語訳した玄奘三蔵も原典の音に漢字を充てただけにしていた真言部分を原典の発音を交えて収録したこの動画は、これからの時代に即した般若心経の新しい形と言えるものだと思います。秋の彼岸の入りの日に、禅宗僧侶による一流のパフォーマンスを御覧になってみてください。
無信心ながら
漢字を学ぶ文化圏についてを
思うままにあげました。
お暇なときにでもご覧いただければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/03657edd8a429717d2764dc757cbf7bb