共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

氷菓の金字塔!ガリガリ君梨味

2022年08月16日 17時25分40秒 | スイーツ
今日も身の危険を感じるような暑さとなりました。黙って立っていても汗が噴き出してきて、あっという間にTシャツがグショグショに濡れてしまいます。

あまり身体には良くないと分かっていても、こういう時には冷たいものが欲しくなるものです。それでコンビニに買い物に行ったら



ガリガリ君の梨味があったので買ってきました。

毎年楽しみにしている梨味のガリガリ君ですが、つい最近まで見かけないままでした。もしかしたら単に私が気づいていなかっただけなのかも知れませんが、今年もようやく巡り会えました。

個人的見解ですが、この梨味のガリガリ君は氷菓の世界にひとつの金字塔を打ち立てたのではないかと思っています。まるでシャリシャリの梨そのものを食べているかのような食感と風味は、他の氷菓の追随を許さない存在感です。

あまり冷たいものばかり食べていると調子が崩れるかも知れませんので、なるべく控えようとは思っています。明日から天候が優れないようですが、その分気温も若干下がるようなので、少し期待してみようと思います。

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靖國神社で77回目の終戦記念日

2022年08月15日 14時35分10秒 | 神社仏閣
今日は8月15日、日本が敗戦してから77回目の『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。ということで、今年も東京・九段の靖國神社に参詣することにしました。

薄曇りながらも雲間から太陽がジリジリと照りつける中を巨大な一之鳥居をくぐって参道を進むと


青銅製の二之鳥居と神門が見えてきます。かつてはこの辺りから既に参拝の列ができていたのですが、今年の新型コロナウィルスの急激な拡大を懸念してか、それとも連日の酷暑を懸念してか、参拝者の数はだいぶ少なく見受けられました。

それでも、一礼して神門をくぐると



この盛況ぶり。やはり、この特別な日を靖國で…と考えている人は多いようです。

今年も正午の黙祷に合わせて昇殿参拝することにしました。神職の案内で拝殿に入ると、



すぐ隣の日本武道館で挙行されている全国戦没者追悼式の様子を伝えるラジオの音声が流れてきました。

天皇皇后両陛下が御臨席になられた後、国歌の黙唱に続いて岸田総理大臣によって式辞が述べられました。それを聞きながら、ほんの数年前までこの式辞を先月凶弾に倒れた故安倍晋三元首相が述べていたことを思うと、心中は非常に複雑でした。

そして、正午の時報と共に1分間の黙祷が捧げられました。すると、つい先程まで柏手の音や賽銭の音、警備員の案内の声で賑わっていた境内が一気に静まり返り、蝉時雨と拝殿内を吹き抜ける風の音以外の全ての雑音が途絶えました。

毎年いつも不思議に思うのですが、どんなに外が酷暑でも、この拝殿に入ると何とも言えない涼やかな風が吹き抜けていきます。まるで戦没者たちが酷暑の中足を運んだ参拝者へ一陣の労いの風を送ってくれているようで、いつ体感しても思わず胸が熱くなります。

黙祷の後に、



天皇陛下が『全国戦没者之霊』と書かれた標柱に向かい、

「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たに致します。」

「終戦以来77年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。」

「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による様々な困難に直面していますが、私たち皆が心を一つにし、力を合わせてこの難しい状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。」

「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

とのお言葉を述べられました。

靖國神社境内ではここでラジオの音声が切られ、そのまま本殿へと参列者が誘導されます。例年だと



拝殿左側を出て廻廊を周りこみ、本殿の左側の入口から本殿内へと進むのですが、今年は拝殿の正面から出て畳の敷かれた参道を真っ直ぐに本殿の正面へ向かい、正面入口から本殿内へと進んでの参拝となっていました。

本殿に入ると、正面には大きな鑑(かがみ)が祀られています。順番がまわってきて鑑に向かい、現代日本の礎のなられた全ての戦没者の御霊安かれと祈りました。

本殿を出ると



今年も報道各社の記者やカメラマンが興味無さそうに参拝者を無遠慮に撮影していました。中には大あくびをしている失敬な輩もいて、

『失礼な奴だな。そんなに興味が無いなら、このクソ暑い時にわざわざ靖國になんざ来なけりゃいいのに…。』

と思わされます。

そんなことを思いながら、資料館でもある遊就館(ゆうしゅうかん)へも足を運びました。エントランスには





かつてタイとビルマ(現ミャンマー)とを結んていた泰緬鉄道(たいめんてつどう)で走っていたC56型蒸気機関車や





零式艦上戦闘機52型(ゼロ戦)の実物が展示されています。

以前から思っているのですが、私は敗戦した日本が戦勝国が使うような『終戦記念日』という呼称を使っていることに、モヤモヤとした違和感を感じています。どうせならば天皇陛下が仰せになった通り『戦没者を追悼し平和を祈念する日』とした方が意義もはっきりするし、戦没者を追善するのに相応しい感じがするのです。

こういうことを言うと必ず

「そんな呼び方なんて長ったらしい!」

とイチャモンつけてくる輩もいるでしょうが、戦後77年も経った今だからこそ『8月15日』という日を改めて考えてみてもいいのではないかと思っています。

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爽やか軽やかフォルテピアノ〜ハイドン《クラヴィーア協奏曲ニ長調》

2022年08月14日 12時34分56秒 | 音楽
昨日の台風8号は、幸いなことに神奈川県では予報で言われていた程には大きな被害は出ませんでした。それでも昨日の悪天候から一転して今日はまた厳しい暑さが戻り、そこに昨日の雨が一気に蒸発して一段と不快指数の高い日となりました。

こう暑いと、人間どうしても爽やかな気分になれるものを欲するものです。で、耳にも爽やかなものをと思って、今日は


ハイドンの《クラヴィーア協奏曲ニ長調》を聴くことにしました。

ハイドンは1750年から1770年頃にかけて鍵盤楽器のための協奏曲を何曲か書いていますが、このニ長調はそれよりも後の1780年代の曲とみられていて、作曲の経緯や正確な作曲年代は明らかではありませんが1784年にウィーンのアルタリア社から作品37として出版されています。1781年頃にハイドンはモーツァルトと親しくなっていることから、この曲には後輩であるモーツァルトのピアノ協奏曲からの影響が他のクラヴィーア協奏曲よりも多く見られるものとなっています。

《クラヴィーア協奏曲ニ長調》はウィーンでの出版と同じ年に、パリとロンドンからも出版されました。出版された時のタイトルは『チェンバロまたはフォルテピアノのための協奏曲(Concerto per il clavicembalo o fortepiano)』となっていて、チェンバロでもピアノでもどちらでも演奏できるように書かれています。

ハイドンのピアノ・ソナタや弦楽四重奏団にみられるような軽やかなメロディラインが楽しい第1楽章、穏やかな中にもハイドンらしい転調を重ねて展開していく第2楽章、そして『ハンガリー風ロンド』というタイトルが付けられた心浮き立つような第3楽章と、円熟期に入ったハイドンならではの充実した音楽が展開されていきます。勿論チェンバロでの演奏もいいのですが、軽やかな音色のフォルテピアノで聴いてみるとチェンバロでの重厚さとはまた違った魅力が感じられます。

そんなわけで、今日はハイドンの《クラヴィーア協奏曲ニ長調》をお聴きいただきたいと思います。チェンバロやモダンピアノとは一味違う、フォルテピアノならではの素朴な音色での演奏をお楽しみください。


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台風直撃に聴くヴィヴァルディ〜ジュリアーノ・カルミニョーラによるヴァイオリン協奏曲《海の嵐》

2022年08月13日 15時15分30秒 | 音楽
今朝の厚木市は、台風8号が迫りくる気配を含んだ雨が降っている中でも、雲間から朝焼けの光がわずかに漏れるような実に珍妙な天候で明けました。あまりの異様さに外に出た時に思わずカメラを空に向けてみたのですが、



ちょっとおどろおどろしく見えるくらいの早朝の空の光景に驚かされました。

因みに、見出し画像はイギリスの画家ウィリアム・ターナー(1775〜1851)の《風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様》という作品です。荒々しい不安定な波間に浮かぶ小舟の上の漁師たちの心的不安が画面上の暗色の海から想像でき、雲間から晴天が覗いている描写が、嵐が迫って天候が急変していく様を見事に物語っています。

ところで、こんな嵐の日に聴きたくなったのが、



アントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜1741)のヴァイオリン協奏曲変ホ長調《海の嵐》です。

ヴァイオリン協奏曲変ホ長調《海の嵐》作品8-5はヴィヴァルディが作曲したヴァイオリン協奏曲の一つで、《四季》が集録されている協奏曲集『和声と創意への試み』作品8の中の《冬》に続く第5曲目にあたる作品です。ヴィヴァルディには、このヴァイオリン協奏曲を元に作られた同じ《海の嵐》というタイトルのフルート協奏曲もあります。

ヴァイオリン協奏曲《海の嵐》は、《四季》と同じく3つの楽章からなっています。

第1楽章はプレスト・変ホ長調、4分の4拍子で、3回のトゥッティの間に2回のソロが挟まれているリトルネロ形式の楽章となっていて、ソロには海のうねりを表すような技巧的な分散和音が多く使われています。そして完全には終止せず、途切れることなく第2楽章へと進みます。

第2楽章はラルゴ・ヘ短調、4分の4拍子で、わずか16小節の短い楽章です。その中でも頻繁に転調していきながら、こちらも完全に終止せずに第3楽章へと繋がります。

第3楽章はプレスト・変ホ長調、8分の3拍子で、5回のトゥッティの間に4回のソロが挟まれているリトルネロ形式の楽章です。トゥッティは3回目で変ロ長調で出る以外は全て変ホ長調ですが、ソロの方は各回ごとにかなり音型が変化していき、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲の中でも技巧的にかなり難易度の高いものの一つとなっています。

そんなわけで、台風の今日はヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲《海の嵐》をお聴きいただきたいと思います。ジュリアーノ・カルミニョーラのソロヴァイオリンによる、華やかな演奏でお楽しみください。

台風8号は着実に進路を東海・関東地方に向けて北上して、15時過ぎ頃に静岡県御前崎沖を通過しました。夕方から夜にかけてどのような進路をとるか分かりませんが、せめて台風8号の被害が予想されているよりも軽微でありますように…。


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昔の生徒と再会からの『レモンのワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年08月12日 17時55分17秒 | カフェ
今日は曇りがちながら、そこそこ暑い日となりました。今週は音楽教室のお盆休み期間だったのですが、昔あざみ野の教室でレッスンをしていた昔の生徒が帰省しているということで、久しぶりにあざみ野の《雫ノ香珈琲》で会うことにしました。

すっかり立派な青年になった元生徒は現在北陸地方に住んでいるため、ここ最近の大雨での被害が心配でしたが、先ずは無事な姿を見ることができて安心しました。彼も私もランチは済ませていたので、今日はおやつタイムとして



今月の限定メニューの『レモンのワッフル』をオーダーしました。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルにお店自家製のレモンのシロップ漬けがあしらわれ、生クリームとレモンソルベが添えられています。如何にも夏らしい、酸味の効いた爽やかなワッフルです。

美味しいワッフルと冷たい水出しコーヒーをいただきながら、積もる話に花を咲かせました。彼も年齢的に仕事上いろいろと責任ある立場になりつつあるようでしたが、何とか乗り切って充実した30代を迎えてほしいものです。

次は年末年始頃にまた会うことを期待しつつ、駅まで見送ってくれた彼と別れました。帰宅した頃から遠雷の音が響いてくるようになりましたが、関東直撃が予想されている明日の台風は、はたしてどのくらいの暴れっぷりになるのでしょうか…。

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今日は古関裕而の誕生日〜全国高校野球選手権大会の歌『栄冠は君に輝く』

2022年08月11日 17時30分10秒 | 音楽
今日も今日とて、凄まじい暑さとなりました。こういう時は涼しい部屋に引き籠もって、テレビで高校野球を観戦するに限ります。

ところで、今日8月11日は山の日でもありますが、古関裕而の誕生日でもあります。



古関裕而(1909〜1989年)は日本の作曲家で、本名は読み方は同じ古關勇治です。NHK朝の連続テレビ小説『エール』ですっかり御馴染みとなった感がありますが、古関裕而の作品は気品ある格式高い曲風で知られていて、生涯で5000にも及ぶ曲を作曲したといわれています。

福島に生まれた古関裕而は、幼少期より音楽と作曲活動に親しんていました。1929年に国際現代音楽協会主催現代音楽祭作品公募のイギリス支部推薦作品として自身の作品がノミネートされたのを機会に、山田耕筰の推挙で東京の楽壇に進出することになりました。

その後、クラシック畑からポピュラー畑に転身すると数多くの流行歌や歌謡曲、映画音楽、軍歌の作曲を手掛けました。戦後は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌『とんがり帽子』や、二葉あき子の『フランチェスカの鐘』、藤山一郎の『長崎の鐘』、伊藤久男の『イヨマンテの夜』、織井茂子の『君の名は』、岡本敦郎の『高原列車は行く』といった作品のほか、数多くの大ヒット曲を生み出しました。

他方で、母校である福島商業高等学校の校歌『若きこころ』を始めとして、北海道から九州に渡る多数の学校の校歌を作曲しています。更に

早稲田大学第一応援歌
『紺碧の空』
慶應義塾大学応援歌
『我ぞ覇者』
中央大学応援歌
『あゝ中央の若き日に』
東京農業大学応援歌
『カレッジソング』
名城大学応援歌
『真澄の空に』
三重県立四日市高等学校応援歌
『希望の門』

といった応援歌や、

阪神タイガースの球団歌
『大阪(阪神)タイガースの歌(六甲おろし)』
読売ジャイアンツの球団歌
『巨人軍の歌(闘魂こめて)』
中日ドラゴンズの旧球団歌
『ドラゴンズの歌(青雲たかく)』

といったプロ野球球団歌も手がけました。

ただ、これだけスポーツに関わる作品を作り出したものの古関本人はスポーツが苦手だったようです。プロ野球にもあまり興味がなかったために球団関係を気にすることなく作曲を引き受けた結果、敵対するチームだろうがお構いなしに球団歌を作ることになったようです(笑)。

この他にも

1964年東京五輪の選手団入場行進曲
『オリンピック・マーチ』
NHKスポーツ中継テーマ
『スポーツショー行進曲』

など行進曲の分野でも数多の作曲を手がけたことから『和製スーザ』とも呼ばれていました。そんな中から8月半ばの古関裕而の誕生日に相応しい作品といえば、何と言っても全国高等学校野球選手権大会の大会歌『栄冠は君に輝く』ではないでしょうか。

『栄冠は君に輝く』は加賀大介が作詞、古関裕而が作曲した歌・行進曲で、「全国高等学校野球大会の歌」という題名で1948年に発表されました。それから74年後の現在でも高校野球のテレビ中継で使用され、高校球児たちの熱闘する姿と分かち難く私達の心に印象付けられています。

そんなわけで、今日は『栄冠は君に輝く』の演奏動画をお楽しみいただきたいと思います。来年百周年を迎える甲子園球場で、連日熱戦を繰り広げている高校球児たちに思いを馳せながらお聴きください。


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今日はモーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》の完成日〜ブリュッヘン&18世紀オーケストラによるライブ

2022年08月10日 20時10分40秒 | 音楽
秋は名のみの風の暑さや…今日も7時台から30℃を超えるような暑さとなりました。言われなくてもマメに水分補給をしていないと、室内にいても気分が悪くなりそうです…(;´Д`)。

ところで、今日8月10日は



モーツァルトの交響曲第41番ハ長調《ジュピター》が完成した日です。上のスコアにも1788年の8月10日に完成したことが記されていて、同じ年に作曲された第39番(6月26日)、第40番(7月25日)とともに『モーツァルト後期3大交響曲』と呼ばれていますが、他の2曲同様に作曲の目的や初演の日時は不明のままです(第40番だけは生前に演奏された可能性がありますが、モーツァルト自身が演奏を聴いたという確たる証拠はありません)。

この交響曲はローマ神話の最高神ユーピテルにちなんで『ジュピター』のニックネームを持っていますが、これは同時代の興行師ヨハン・ペーター・ザロモン(1745〜1815)が名付けたとヴィンセント・ノヴェロ(1781〜1861)の『モーツァルト巡礼』の中で紹介されています。この作品のスケールの大きさや輝かしく荘厳な曲想から付けられた通称として、このニックネームは19世紀半ばにはすでに広く知れ渡っていたと考えられていますが、標題的な具体的意味合いはありません。



力強いユニゾンで堂々と始まる第1楽章や、柔らかなメロディに細かく駆け巡る音形が印象的な第2楽章、半音階下降音形が一度聴いたら忘れられない第3楽章と魅力満載の《ジュピター》ですが、何と言っても圧巻は複雑な構造をもつ第4楽章です。

この楽章の特徴は第1ヴァイオリンによって奏される



『ドーレーファーミー』という、俗に言う『ジュピター音形』と呼ばれるテーマです。このテーマを始めとして実に4つの音形が第4楽章に登場し、それぞれが複雑に絡み合ってフーガを形成していくのですが、特に終結部であるコーダの部分になると



こんな感じで4つの音形が絡みまくっていきます。

私も《ジュピター》を演奏したことがあるのですが、何しろ第4楽章は様々なテーマが複雑に絡み合っていて楽譜を見失ったら戻って来られなくなりそうなので、当たり前ですが演奏中は一瞬たりとも気が抜けません。楽しんで弾けるようになるまで大変でしたが、様子が分かってくると宇宙の如く複雑な世界観の一端を担っていることが堪らなく快感になってきます。

そんなわけで、今日はモーツァルトの名作交響曲《ジュピター》をお聴きいただきたいと思います。フランス・ブリュッヘン指揮による、18世紀オーケストラのライブ映像でお楽しみください。


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今日は長崎原爆慰霊式〜サミュエル・バーバー《弦楽のためのアダージョ》

2022年08月09日 17時00分17秒 | 音楽
今日は77年前に長崎に原爆が投下された日です。長崎平和記念公園で執り行われた慰霊式は新型コロナウイルス感染防止のため規模が半分以下に縮小され、ロシアとベラルーシ以外の米英中仏印、イスラエルの核保有6カ国など過去最多の83カ国が参列しました。

そして午前11時2分、原爆投下の時刻に合わせて



『長崎の鐘』が鳴らされ、参列者が1分間の黙祷を捧げました。今年の式典では、この1年間で新たに死亡が確認された3160人の原爆死没者名簿が奉安され、奉安者の累計は19万2310人に上りました。

広島の原爆投下からわずか3日後の1945年(昭和20年)8月9日の午前11時02分に、アメリカのB29戦闘機『ボックスカー』が日本の長崎市上空に原子爆弾『ファットマン』を投下しました。



この原子爆弾が人類史上において2回目に使用されたものであり、現時点では実戦で使用された最後の核兵器となっています。

原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊したといいます。長崎原爆のキノコ雲については約100キロメートル離れた熊本県熊本市や、遠く200キロメートル離れ九州山地の東側に位置する大分県中津市でも見えたと当時を語る証言もあるくらいですから、どれほどの凄まじさであったかが窺えます。

広島原爆と長崎原爆を比較すると、使用された燃料や爆発時の破壊力、被害状況などが異なります。そして、破壊力の大きいプルトニウム型原爆を使われたのが長崎、実際の被害が大きかったのがウラン型原爆が使われた広島でした。

広島と長崎の原爆を比べてみると

●広島型原爆

コードネーム:リトルボーイ
爆弾の燃料:ウラン325
爆発威力(TNT換算):約15キロトン
爆撃機:B-29(エノラ・ゲイ)
当時の人口:約35万人
死者数:約14万人

●長崎型原爆

コードネーム:ファットマン
爆弾の燃料:プルトニウム
爆発威力(TNT換算):約22キロトン
爆撃機:B-29(ボックスカー)
当時の人口:約24万人
死者数:約7.4万人

となります(当時の人口は推定、死者数は1945年末までの推定)。広島の約1.5倍の威力を持つ原爆が使われたにもかかわらず長崎の方が人的被害が少なかったのは人口比率もさることながら、平地の広島と違って長崎が山で囲まれた地形であり、その山々によって熱線や爆風が外部へと漏洩するのが遮蔽されたためだといわれています。

広島原爆の日にも書きましたが、どんなにアメリカが戦争を終結させるためだったなどと原爆使用の正当性を主張しようとも、彼らが非戦闘民を無差別に殺戮したことに違いはありません。原爆を落とした彼らにはその負の事実を、これからも永遠に抱えて生きていってもらう必要があります。

今日は長崎原爆の全ての犠牲者に、サミュエル・バーバーの《弦楽のためのアダージョ》を捧げたいと思います。広島原爆の日に捧げた《アニュス・デイ》の原曲であるバーバーのこの上なく哀しい旋律にのせて、全ての原爆犠牲者の御霊安かれと祈ります。

合掌。


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今日は『鍵盤の日』〜ピアノの鍵盤数が88になったわけ

2022年08月08日 18時18分18秒 | 音楽
え〜…秋です、暦の上では秋…のはずです。しかし、この暑さは何でしょう…。

ところで(唐突だな…)今日8月8日はいろいろな記念日のようですが、その中でも今日は『鍵盤の日』なのだそうです。これは、


ピアノの鍵盤が88鍵あることに由来する…とのことです。

88とは何だか中途半端な感が否めない数ですが、これにはれっきとした理由があります。それを理解するために、先ずピアノが辿ってきた歴史を辿ってみることにしましょう。

ピアノの前身楽器といえば



チェンバロで、その鍵盤数は主にバッハの鍵盤楽器曲をいろいろ見ていくと49鍵とみられています (写真のチェンバロは2段鍵盤ですが、上下の鍵盤が同じ音なので鍵盤数を2倍には数えません)。それを証明するかのように、《半音階的幻想曲とフーガ》や《ゴールドベルク変奏曲》のような一部の例外を除いて全ての曲がこの音域内に収まり、 これを少しでも逸脱する曲は出てきません。

その後、1700年前後にイタリアの楽器製作家バルトロメオ・クリストフォリ(1655~1731)によって、



現在のグランドピアノの原型であるフォルテピアノが作られました(写真は1720年製のクリストフォリのフォルテピアノの実物)。それまでの鍵盤楽器の主流であったチェンバロに比べて大きな音が出せるようになったり強弱のコントロールが自在になったりしましたが、このフォルテピアノでもまだ音域は54鍵でした。

クリストフォリのフォルテピアノを経て、ハイドンやモーツァルトの時代には



先日横浜イギリス館で鑑賞したワルターモデルのフォルテピアノが登場します。ただ、このピアノでも61鍵で現在のグランドピアノと比べるとまだまだ少なく、例えばベートーヴェンの《エリーゼのために》を演奏するにはこのワルターモデルのフォルテピアノでは高音域が足りません。

更に時代が進んでベートーヴェンの頃になると



ブロードウッド社から78鍵のハンマーフリューゲルのピアノが登場しました。この頃から産業革命の影響で本体枠や響板に金属が使われるようになり、より音量の豊かなピアノとなりました。

更に時代が進んでショパンの頃になると開発拠点がプレイエル社やエラール社を中心とするパリに移り、ショパンやリストといったテクニックや表現力を重点とする凄腕ピアニストがサロンやコンサートホールで愛用するようになりました。この時点で80~85鍵といわれていて、



上の写真はショパンが実際に使用していた150年前のプレイエル社製85鍵のグランドピアノです。

最終的に88鍵になるのは19世紀後半に入ってからのことで、これで一応音域拡張は打ち止めとなりました。因みにこの頃からハンマーが革巻きからフェルト巻きになり、より繊細で豊かな音楽的表現が可能となりました。

では何故88鍵に落ち着いたのかというと、この音域が人間が音程を認識できる可聴音域の限界だからです。高音域はこれ以上高くなると超音波に近くなってしまい、逆に低音域はこれ以上低くなると低周波の振動にしか感じられません。

ただ、実は例外があります。ベーゼンドルファー社が製造しているグランドピアノには



低音域に鍵盤を9つ足して97鍵あるインペリアルモデルというグランドピアノがあるのです。これはイタリア出身の作曲家でピアニストのフェルッチョ・ブゾーニ(1866〜1924)がバッハのオルガン曲を編曲した時に88鍵では演奏できない音域をカバーさせるため、ベーゼンドルファー社に製作を提案したものと伝えられています。

ただ、現在このプラスした音域は低音域の音を共鳴させて響きを豊かにする目的で使用されることが殆どで、実際に演奏されることはほぼありません。それでも、普通のピアノと間違ってうっかり弾いてしまわないように、その低音域の鍵盤は



御覧のように真っ黒に色が塗られています(笑)。

そんなわけで、今日はピアノの音域が88鍵盤に至った経緯をご紹介しました。普段何となく見ているピアノにもこんな歴史を経てきたのだということを、少しでもご理解いただけましたら幸いです。

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今日は立秋〜ヴィヴァルディ《四季》より『秋』

2022年08月07日 16時30分15秒 | 音楽
今日は二十四節気のひとつ立秋です。今日もなかなかの暑さですが、暦の上では誰が何と言おうと秋です(オイ…)。

秋感は皆無な感じですが、折角今日から『秋』だっていうのですから秋に因んだ音楽を聴こうと思って我が家のレコードやCDをあさってみました。それで、最終的にはやっぱりベタなところでヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲《四季》の第3番『秋』になりました。

ところで、ヴィヴァルディというと先ず思い浮かぶのは



このイケメン肖像画でしょう。これはボローニャにあるものなのですが、実際にはヴィヴァルディであるかどうかの確証はないものだそうです。

それよりも確証がある肖像画が



これです。これはアムステルダムで出版した《四季》を含む協奏曲集『和声と創意の試み 作品8』の楽譜の販売促進のために、フランス系オランダ人画家のフランソワ・モレロン・ド・ラ・カーヴに1725年に描かせた銅版画です。

ただ、これは本人が自身のプロモーションのため描かせたブロマイド的な絵姿ですから、かなり美化されていると思われます。そもそもヴィヴァルディはオランダには行っていないので画家が直接顔を見て描いたわけではありませんから、恐らくヴィヴァルディサイドが何らかの肖像画を送ってそれを元に印刷用に版刻されたと考えられますので、果たしてヴィヴァルディの実像にどこまで近いかは眉唾です。

本人に一番近いと言われているのが



このカリカチュア(風刺画)です。これは、マルケ地方出身の風刺画家ピエール・レオーネ・ゲッツィが描いたものです。

ゲッツィはローマでピエトロ・オットボーニ枢機卿に仕えていました。ヴェネツィア出身で後に教皇アレクサンデル8世となるオットボーニ枢機卿は音楽家を保護していて、中でもアルカンジェロ・コレッリはその一番のお気に入りだったといいます。

1723年にゲッツィは、オペラを上演するためローマを訪れ枢機卿邸に滞在していた、当時45歳のヴィヴァルディと出会いました。後にゲッツィは



1枚の絵に鼻の大きな三人の聖職者の戯画を描いたのですが、そのうちの左側に描かれた一人のカリカチュアの下に『赤毛の司祭。1723年のカプラニカ劇場上演演目のオペラを作った作曲家』と書かれているので、これがヴィヴァルディであることに間違いありません。

先の二つの理想化されたものと違ってこちらはかなり意地悪な風刺画ですので、鼻などがかなりデフォルメされています。それでも三人の中では一番まともに描かれているので、ヴィヴァルディの容貌の特徴をよくとらえているのではないかといわれています。

はたして実際にヴィヴァルディ自身がこれを見たのか、そして見たとして怒ったのか笑ったのか、それは定かではありません。ただ、これが一番実像に近いだといわれても、例えば学校の音楽室でバッハやベートーヴェンたちの肖像の横にこのカリカチュアを並べられたとしたら、とてつもない違和感を放つことだけは間違いありません(汗)。

《四季》にはそれぞれの曲と楽章にソネットという詩が添えられています。そして『秋』の各楽章に添えられたソネットは 


【第1楽章】

村の若者は歌と踊りで祝う
Celebra il Vilanel con balli e Canti

豊作の大いなる喜びを
Del felice raccolto il bel piacere

みなバッカスの神酒にほほ火照らせ
E del liquor di Bacco accesi tanti

眠りの中で愉悦を終える
Finiscono col Sonno il lor godere.

【第2楽章】

喜び漂う雰囲気に
Fa ch'ogn'uno tralasci e balli e canti

みな踊りも歌も半ばに
L'aria che temperata da' piacere,

季節がら我も彼も誘われ
E la Staggion ch'invita tanti e tanti

甘き眠りをたっぷり味わう
D' un dolcissimo Sonno al bel godere.

【第3楽章】

夜明け早々狩人らは
I cacciator alla nov'alba a' caccia

ホルンに猟銃 犬を従え いざ狩へ
Con corni, Schioppi, e canni escono fuore

逃げる野獣を追跡する狩人ら
Fugge la belva, e Seguono la traccia

猟銃の轟音と犬のほえ声にうろたえ
Gia' Sbigottita, e lassa al gran rumore

疲れ果て 傷を負い歯向かうも
De' Schioppi e canni, ferita minaccia

逃るのに疲れ 追い詰めらて野獣は死んでいく
Languida di fuggir, ma' oppressa muore.


というものです。如何にもヨーロッパの秋らしい、のどかな光景が目に浮かぶものとなっています。

そんなわけで、立秋の今日はヴィヴァルディの『秋』をお聴きいただきたいと思います。楽譜を御覧になりながら、第1楽章の浮かれ騒ぐ酔っぱらいや第2楽章の星のきらめき、第3楽章の狩猟ホルンの音や、猟犬や猟銃に追われる獣の様子を想像してみてください。


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広島原爆の日〜静謐な祈りのサミュエル・バーバー《アニュス・デイ》

2022年08月06日 13時15分10秒 | 音楽
今年も広島現場の日がやってきました。

今から77年前の1945年の今日午前8時15分、エノラ・ゲイから投下されたリトル・ボーイと名付けられた原子爆弾が広島市上空で炸裂し、



凄まじいキノコ雲と共に広島の市街地を一瞬にして焼き尽くしました。

爆心地から500メートル以内での被爆者は即死や即日死の死亡率が約90パーセントを超え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及びました。更に生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡していったといいます。

11月までの集計では、爆心地から500メートル以内での被爆者は98から99パーセントが死亡し、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、約90パーセントが死亡しました。1945年の8月から12月の間の被爆死亡者は、9万人から 12万人と推定されています。

その後も原爆症に苦しめられる人は後を絶たず、今年も被爆者名簿に4,202人の被爆死亡者の氏名や年齢が書き加えられ、新たに1冊増えて121冊になった名簿に掲載された犠牲者数は333,131人となりました。

今年の広島原爆慰霊式には岸田文雄内閣総理大臣やグティエレス国連事務総長を始めとした多くの人々が集い、原爆投下時刻の午前8時15分に合わせて



平和の鐘が打ち鳴らされる中で黙祷が捧げられました。その後、広島市長を始め岸田総理やグティエレス国連事務総長らによるスピーチで核廃絶が訴えられましたが、その道のりはまだまだ長く険しいものであることに違いはありません。

アメリカ国内では、未だに原爆投下が戦争終結に必要な決断だったという意見が根強いようです。しかし彼らが何と言おうと、原爆投下は非戦闘民を対象とした無差別大量殺戮であることに疑いの余地はありません。

現在でもウクライナを始めとした世界各地で戦争が続けられ、解決の糸口は未だに見いだせていません。慰霊式に参列した駐日ロシア大使が

「ウクライナとの戦闘に核兵器がしようされることはない。」

と明言していましたが、そんなものいつ反故にされるか分かったものではありません。

そんなことを憂いつつ、今日は広島原爆の犠牲になられた全ての方の御霊に、サミュエル・バーバーの《アニュス・デイ》を捧げたいと思います。これは《弦楽のためのアダージョ》にミサ典例文の『アニュス・デイ』のラテン語歌詞を当てたもので、その響きの静謐さから様々な祈りの場面で使われています。

あの日、原爆に焼かれた全ての方と、原爆症に苦しみ抜いて亡くなられた全ての方の御霊安かれと祈ります。合掌。


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今日だけ復活!箱そばスペシャル!

2022年08月05日 19時15分19秒 | グルメ
今日は朝から曇天模様だったこともあってか、ここ最近よりもだいぶ涼しく感じました。なので、いつもは早朝に済ませる買い物を、今日はゆっくりと駅前で買い物をすることにしました。

ちょうど昼過ぎくらいだったので、ついでに駅の近くでランチをしていくことにしました。何にしようかとあれこれ見ていたら


本厚木駅東口にあるミロードイーストの《箱根そば》の店頭に貼られたポスターが目に留まったので入ってみることにしました。

そこで注文したのが



『箱そばスペシャル』です。

これは昨年まで月末の月曜日と火曜日限定で出ていた限定メニューでしたが、昨年春に出たのを最後に販売が終了していました。それが、ほぼ一年経った今日だけ限定で復活していたのです。

蕎麦の上には、かき揚げ・ちくわ天・海老天・コロッケ・きつね・温泉卵・ワカメ・刻みネギがトッピングされています。最早ここにのっていないのはたぬきそばの揚げ玉くらいで、文字通り箱根そばの全部のせと言っても過言ではないものとなっています。

温蕎麦と冷蕎麦が選べるので、今日は冷蕎麦にしてみました。久しぶりに食べたのですが、見た通りの揚げ物三昧なのでそこそこヘヴィでした…。

今日だけの限定復活ということでしたが、もしかしたらいずれまたどこかで復活するかも知れません。その時には温蕎麦にしてみようと思いますが、とりあえずその時の私の胃が健全であることを願うばかりです…。

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今日はモーツァルトの結婚記念日〜直前完成の歌劇《後宮からの誘拐》より序曲

2022年08月04日 16時50分15秒 | 音楽
今日は朝から雨の強く降る天気となりました。打ち水効果でここ数日の地表温度は下がったようですが、その分湿度が高いため不快指数はあまり変わりません。

ところで、今日8月4日は



ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと



コンスタンツェ・ヴェーバーが結婚した日です。

1777年に長く務めたザルツブルクでの職を辞してミュンヘン、次いでマンハイムへ移ったモーツァルトは、マンハイムの音楽家フリドリン・ウェーバーの娘で、当時一級のソプラノ歌手として活躍していた



アロイジア・ヴェーバーに恋し、結婚の計画を立てました(彼女はモーツァルトの歌劇《後宮からの誘拐》のコンスタンツェ役や《ドン・ジョヴァンニ》のドンナ・アンナ役を初演しました)。しかし



父親のレオポルト・モーツァルトに猛反対されてしまい、1778年2月にはマンハイムを離れてパリへ行くことをレオポルトから命じられました。

1781年にウィーンに定住を決意したモーツァルトは、以降フリーの音楽家として演奏会、オペラの作曲、レッスン、楽譜の出版などで生計を立てていました。そして翌1782年の8月4日に、かつてモーツァルトが恋をしたアロイジア・ヴェーバーの妹で、



歌劇『魔弾の射手』等の作曲で知られるカール・マリア・フォン・ヴェーバーの従姉であったコンスタンツェ・ヴェーバーと、父の反対を押し切って結婚しました。

結婚後、二人の間には6人の子どもが生まれました。しかし、その中で成人したのはカール・トーマスと先日ご紹介したフランツ・クサヴァーの二人だけで、二人とも結婚せずに生涯を終えてしまったので、残念ながらモーツァルトとコンスタンツェの家系はそこで途絶えてしまいました。

そんな二人の結婚記念日の今日は、その一月前に完成したモーツァルトの歌劇《後宮からの誘拐》をご紹介したいと思います。先月にも《後宮からの誘拐》が初演された日に名アリア『あらゆる拷問が』をご紹介しましたが、今日はその序曲をご紹介します。

《後宮からの誘拐》序曲は、浮き立つようなハ長調の部分と、一転してゆったりと悲しげなハ短調の中間部とで構成されています(歌劇では、この中間部の旋律がハ長調になって主人公ベルモンテのアリアとなります)。そしてこの序曲には舞台であるトルコを象徴するようにトライアングル・シンバル・バスドラムといった打楽器が登場し、オペラ本編でも音楽にエキゾチックな華やぎを添えています。

またモーツァルトの作品は第2ヴァイオリンのパートはかなり難しいことが多いのですが、この序曲の第2ヴァイオリンも常に細かい音形が駆け回り続けるので大変です。それ故にこの序曲は、プロオーケストラの第2ヴァイオリンパートの入団オーディションの課題曲に使われることもあるくらいです。

そんなわけで、モーツァルトとコンスタンツェの結婚記念日である今日は、彼らの結婚式の一月前にウィーンで初演された歌劇《後宮からの誘拐》の序曲をお聴きいただきたいと思います。歌劇では序曲の終結部からそのまま本編に入りますが、今回は演奏会用のエンディングのつけられたバージョンでお楽しみください。

特に画面下から4段目にある第2ヴァイオリンのパートに注目して、管打楽器や第1ヴァイオリンのメロディの下で第2ヴァイオリンが如何に大変な目にあっているかにもご注目ください(笑)。


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今日は歌劇《ウィリアム・テル》の初演日〜カラヤンのゴリゴリ演出による《ウィリアム・テル》序曲

2022年08月03日 13時00分31秒 | 音楽
今日は一段と暑くなりました。外にいると、背中に滝のように汗が流れているのが分かります。

今日は水曜日なので、あざみ野の《雫ノ香珈琲》に行く…はずでした。ところが、先日お店からわざわざDMが届いて、お身内のお悔やみがあるので今日はお店をお休みされるというお知らせがあったのです。

お知らせいただいて有り難かった…とは言うものの、さて困りました。毎週水曜日はブログネタが決まっていると安心しきっていたところで急に書くことがなくなってしまったので、取り急ぎ何かネタが無いかと思ったら…ありました(汗)。

今日8月3日は



ジョアキーノ・ロッシーニ作曲による歌劇《ウィリアム・テル》が初演された日てす。

歌劇《ウィリアム・テル》は、フリードリヒ・フォン・シラーによる戯曲『ヴィルヘルム・テル』を原作とした全4幕のオペラです。内容はオーストリアの圧政から故郷を守ったスイスの英雄ウィリアム・テルの物語で、



敵方の司令官から息子の頭の上に載せたリンゴを矢で射貫けという無理難題を突きつけられ、見事に射貫いてみせた…という逸話で有名です。

オペラの台本がフランス語で書かれているため本来ならば『ギヨーム・テル』とフランス語表記されるべきですが、日本では昔から『ウィリアム・テル』と英語表記しています。いつもは速筆のロッシーニなのですが、この《ウィリアム・テル》は作品をフランス・オペラに適合させるために、珍しく5ヵ月もかかって作曲しました。

初演は1829年の8月3日、王立音楽アカデミー劇場で行われました。そしてこのオペラを作曲したのを最後にロッシーニは作曲の筆を置き、30年以上にわたる引退生活に入ることになりました。

全編通して演奏すると4時間もの時間を要するグランド・オペラですが、何と言っても有名なのはオペラの幕開けを告げる序曲でしょう。これは小学校の音楽の時間の鑑賞教材になっているので、ご存知の方が多いかと思います。

《ウィリアム・テル》序曲は、チェロ四重奏による深い響きのアンサンブルが印象的な『夜明け』、不穏なざわめきからやがてフルオーケストラの疾風が吹き荒れる『嵐』、一転して穏やかなイングリッシュホルンとフルートとの掛け合いが美しい『静けさ』、トランペットのファンファーレから始まる勇壮なギャロップの『行進曲』の4つの部分で構成されています。特に『行進曲』の部分は運動会や競馬中継といった様々な場面で使われるので、たとえそれまでの部分を知らなくてもここにくれば

「あぁ!」

となる方が殆どではないでしょうか。

そんなわけで、今日はお馴染みの歌劇《ウィリアム・テル》序曲をお聴きいただきたいと思います。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、カラヤンによるゴリゴリ演出の映像でお楽しみください。


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今年も来ました健康診断

2022年08月02日 17時30分25秒 | 日記
今日も凄まじい暑さとなりました。お昼前には厚木の隣の海老名市で35℃を超える猛暑日となり、天気予報では不要不急の外出を避けるように何度も注意が促されていました。

そんな暑さなので嫌だったのですが、今日はどうしても出かけなければならない用事があったので、意を決して自宅を出て小田急線に乗り込みました。

富水(とみず)駅で下車してから炎天下を15分ほど歩くと



今日の目的地である小田原アリーナが見えてきます。今日はここで、小田原市の教職員に義務付けられている年に一度の健康診断があったのです。

何もこんなクソ暑い時にやらなくても…と思ってしまうのですが、要は

「学校のない夏休み中にやっとけ」

ということなのでしょう。それに公費で健康診断が受けられるのですから、考えようによってはお得ということも言えます。

健康診断を受けられた方はお分かりだと思いますが、この時を迎えるにあたっては午前7時以降食事をしないことや朝食も卵や脂を控えること、健診3時間前からは飴やガムはおろか水さえも飲んではいけない…といった、様々な制約が課されます。それでなくてもこの猛暑の中でこまめな水分補給が推奨されているというのに、それでも

「水を飲むな」

というのですから、まるで昭和時代のスポ根運動部のようなキツさです…。

そんなことをグチグチと思いながら受付を済ませて、始めにやるのは採尿です。予め渡されている容器に尿を入れて受付に渡すと、視力検査から本格的な健診がスタートしました。

その後は粛々と進んでいったのですが、採血でトラブル発生!何と看護師さんが腕の血管の当たりをつけて注射針を刺したものの、ピストンを引いても血が一滴も採れなかったのです。

担当の看護師さんも困惑していましたが、そもそも私の腕は血管が見つけにくく、いつも看護師さんにご迷惑をおかけしてしまっているのです。なので一度注射針を抜いてから医師の許可をとって再び採血に挑んだところ今度は無事に採血ができ、結果として



止血パッチが2枚、私の腕に残りました(汗)。

それ以外の検査は滞りなく進み、最後に



胸部のレントゲン撮影をして終了しました。大雑把な結果としては

視力:何故か左目が良くなった
血圧:胡麻麦茶回避
身長:変化無し
体重:ほぼ変化無し
腹囲:微増…
聴力:瞬殺✌(なめんな)

あとは尿検査や血液検査、心電図や眼底検査、レントゲン検査など検査結果を待たなければならないものなので、結果が出るまで待とうと思います。

全ての検査を無事に終えて駅までの道を歩いていたら、



近くの街路樹に蝉が留まって盛んに鳴いていました。短い人生(蝉生?)の間に着実に子孫を残さなければならないのですから、彼らも必死です。

それにしても早朝食以来水も飲まずにいると、当たり前ですが凄まじく空腹になります。我が家に帰ったら、反動でドカ食いにならない程度に夕食にしようと思います(汗)。

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