東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

日本橋散歩・外堀通りを歩く

2017-05-25 | 散歩
  平川門からちょっとだけ神田の方へ入ります、
  そのあとは外堀通りをテクテク歩いて
  いろいろな橋など見たりしてお昼までに会社へ入りたいな。
  このお昼というのがネックになってどうもうまく歩けない。


  

     平川門から一ツ橋を通って外堀通りへ、
     近くに一橋家の跡があるらしいけど見つけずじまい。 (ただ石柱が一本だけみたい)
     江戸初期に門が作られ「一橋御門」と命名された。
     吉宗は子の宗尹に一橋門内に屋敷を与えて一橋家を創設、のち御三卿の一つに数えられる。
     将軍家に世継ぎがいないときにはこの御三卿からということで一橋家から慶喜が15代将軍になった。




  

      家康入府の折りには日本橋川に一本の丸木橋が架かっていたことから一ツ橋と、
     一橋御門の石垣が一部残っている。
     地名として「一ツ橋」、名前として「一橋」が混在しているのでややこしい。




  

     共立女子学園の講堂として作られた共立講堂。
     戦後はこのような大講堂が都内にも少なく、音楽関係の公演のメッカとして尊重される。
     1970年代には日本のフォークシンガーの聖地とされ、
     ここでは吉田拓郎、かぐや姫、アリス、ガロといったアーティストがコンサートを開催した。




  

     この辺りから会社の近くまで◯◯河岸という地名が続く。
     日本橋川、神田川を利用した水運の拠点だったのであろう。




  

     神田橋。かつてこの付近にあった神田明神からとった名前、日本橋川に架かる。
     神田御門があった。徳川の将軍が寛永寺に参拝する折りに通ったので御成り道と、
     今も天皇陛下が北関東に車で向かわれる折りに使われるので御成り道の名前は残っている。




  

     鎌倉橋。
     江戸城建設の際に鎌倉からの材木を荷揚げした河岸があり、鎌倉河岸と呼ばれ橋も鎌倉橋と。
     欄干には、1944年11月に米軍による爆撃と機銃掃射を受けた際の銃弾の跡が残っている。




  

     龍閑橋
     神田の堀に架かっていた龍閑橋はそのあと新しい川に架け替えられ
     さらにその川も埋め立てられたため一部が保存展示されている。




  

     龍閑橋架道橋。
     大正年間に作られた煉瓦造りの架道橋、上はJR各線が走る。

     ここから会社は目と鼻の先、
     お昼近くになったので先に会社へ行っておこう。




  

     用事を済ませ再び外堀通り。

     常盤橋。
     目下架け替え工事中、石造りの眼鏡橋で常盤御門があった、
     中央に見える石垣は常盤御門の跡。
     ずいぶん前から工事をしているけどまだこんな状態、
     いつになったら完成するのかな。


     前回はレンズを間違えてしまったが今回はカメラの方を間違えてしまった、
     皇居周辺なんて広いからフルサイズじゃなく使い慣れたAPSサイズでいいだろう。
     ところが広いことは広いけどそれに負けずに建物がデカイ、
     レンズは17ミリでもAPS-Cのカメラでは27ミリになってしまう、
     結局思うとおりの写真が撮れなくて参った。
     まずカメラとレンズを選ぶことから始めなくては・・・。^^;


                                              5月23日 日本橋散歩
          

コメント (2)
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