東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

炎天寺と六月八幡神社

2020-08-23 | 風景
  源頼義・義家父子の軍勢が賊に遭遇して苦戦した際、
  八幡神に戦勝を祈願して勝利を得ることができた。
  そこで、旧暦6月の出来事だったことから村名を「六月村」、
  炎天続きだったことから寺名を「炎天寺」とした。


  

     名前こそ村から町になったけど現存します六月町、炎天寺の前です。
     源頼義・義家父子が通りかかったのが"前九年の役"平安後期ですから、
     1,000年近く前の六月村が未だに残っているなんて凄いね。




  

     左、炎天寺。右が六月八幡神社です密着しています、
     ソーシャルディスタンスが取れてない!。




  

     一茶さんのすぐ後ろに八幡様の拝殿が。
     もう同一敷地という他にはないでしょう、
     お詣りには便利ですけど。




  

     拝殿の後ろに本殿、
     シンプルな造りです、小さな神社なのでこんなところかな。




  

     拝殿は神社の顔、さすがに立派な顔です。
     私の田舎にあった八幡様もこんな感じでよく境内で遊んでいました。




  

     一直線の参道に鳥居が並びます、
     炎天寺と同じくらいの広さなんだけど
     さすがに厳かな感じは否めません。




  

     「旗掛の松」。ものすごく読みにくい立札があって判読出来た部分に、
     「この地において賊と戦った折ここに旗幟を立て
     士気を鼓舞し軍を整え勇戦遂に之を壊滅させた。
     奥州からの帰途この地に社祠を建立し
     六月八幡神社にしてその傍に炎天寺を置き別当寺とした。」




  

     同じようなことが書いてあるけど炎天寺の立札の方が読みやすい、
     でまあ、早い話が1,000年近く前から続く炎天寺と八幡様ということですね。

     国土安穏寺から来る途中の島根鷲神社の辺りにはかつての海岸線の跡がある、(らしい)
     ここからちょっと行くと「伊興古墳群」という古墳群もあります。
     1,000年くらいの古さに驚いてはいけない、古墳だってあったこの辺り
     歴史に首を突っ込んでみると面白いね、
     大昔からいろいろな人たちが生活していたところを今歩いている。

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 8月15日  六月八幡神社
          
コメント (2)
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