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京都あれこれ

 元日、北野天満宮で合格祈願が終わった2時ごろ、おそい昼食を食べようと、神社近くの飲食店を探した。最初に入った店は、古い蔵を改装したうどん屋だった。入り口の重々しい扉を開けると店内には順番待ちをしている人たちが1組いた。時間がかかるかなとは思ったが、何か案内があるだろうと思っておとなしく待っていたが、店員は全く私たちを気にもかけず、自分の仕事に没頭している。そういえば、「いらっしゃいませ」とも声をかけられなかったし、このまま店にいてもいいのかどうか訳が分らなくなって、「こりゃ駄目だ」と我慢ができず、妻と店外へ出てしまった。私が短気なのかもしれないが、家の近辺でこんな扱いを受けたことはなかったので、少々面食らってしまった。「京都の店はこういうことがあるからなあ」などと少しは知ったかぶりをしてみたが、空腹はごまかせない。しばらく歩いて開いている店を見つけ入ってみたが、そこも満員で何人かが待っている。これじゃあ、また相手にされないだろうと、次の店を探すことにしたが、なかなか思うような店がない。辺りをぐるりと1周して神社の反対側にまたうどん屋を見つけ、今度こそ、と思いながら入った。満席だったが、待っている人はいない。これならいいだろうと待つことにしたが、料理を運ぶ店員は私たちの前を通っても何も言わない。「やっぱりな」と思いながら、「すみません」と声をかけると、「ちょっと待ってね」と一応のお愛想は返ってきたが、それから5分近くも放置されたままだった。食事中の人の様子を見ているのも辛くなってきたので、しびれを切らしてまたその店も出た。いつもなら怒り心頭に発しているはずの私だが、京都はこんなもんだという先入観があるため、大して腹も立たなかった。仕方なく神社の境内に立ち並ぶ一軒の屋台に入って、焼きそばとビールを2つずつ注文して、奥のテントの中で妻と並んで食べた。しかし、案の定と言うか何というか、焼きそばは全くおいしくなかった。さすがにこの時は少々むかっ腹が立ったが、私はビールさえ飲めれば幸せな気持ちになれるから、すぐに忘れてしまった。

 家に帰ってこの話を娘にしてやったら、「京都の中心部はそんな店が多いよ。上のほうになると違うと思うけど」と、評論家みたいなことを言う。もうすっかり京都通のような口ぶりがおかしい。その時ふと思いついたことがあったのでたずねてみた。
 「大学のそばの『オランジュ』って喫茶店まだやってる?」
 「最近つぶれたよ」
 「えっ?」娘が入学した頃、何回か店の前を通って、その存在を確認していたので今でも営業しているものだとばかり思っていたのに。
 「それじゃあ、『ユトリロ』は?」
 「あそこも少し前につぶれた。友達がバイトしてて、お客が来ない、ヤバイってよく言ってたから仕方ないんじゃない」
 「そうか、ユトリロもか・・・。なら、交差点の角にある第一勧銀の・・」
 「ああ、みずほね。あそこもなくなったよ。どこかの支店と統合したんだって」
私が卒業してから、もう25年以上たっている、学生時代を偲ぶよすがとなる店はほとんどなくなってしまったようだ。当たり前か・・
 「でも、進々堂はあるだろう?」
 「あそこは象徴みたいなものだからね。そう言えば、西部のクラブボックスが壊されて新築されることになったよ」
 「えーっ!!!そうなの!・・・・じゃあ、西部講堂は?」
 「あそこはそのままらしい」
私の母校に通っているとはいえ、今までそんなに大学について話したことがなかったが、こう矢継ぎ早にビッグニュースが伝えられると、腰が抜けそうになってしまった。独立法人化して、わが母校も大いに様変わりしたとは漏れ聞いていたが、大学界隈の馴染み深い風景までも消滅していくのはやはり寂しい。しかも、私が昼夜を問わず出入りして、ただひたすらマージャンばかり打ち狂っていたあのクラブボックスが取り壊されるとは・・・。
 時の流れと言ってしまえばそれまでだが、私にとってのクラブボックスは、昔のまま永遠に変わらずにいて欲しい、謂わばサンクチュアリのような場所だった。ノスタルジ-なんて言葉は好きではないが、あの場所だけは時の流れに逆らって、永遠にあのままで存在して欲しいと願っていただけに、寂しさを通り越して悲しくなってしまった。
 できたら、昔の仲間に呼びかけて、クラブボックスが取り壊される前に "Farewell Party" でも開きたいと思っている。
 
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