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初えびすにて

 しかし、暮れから正月というのは行事が目白押しではあるが、どれも毎年同じことを繰り返しているだけのような気がする。大晦日に1日がかりで大掃除、元旦はだらだら(今年は京都に合格祈願に行ったが)、2日は朝に父が早起きして作ってくれるとろろを食べ、昼から一回塾の初授業をし、それから親戚の集まりに行き、夜は父主催の家族の新年会。3日は昼から2回の授業をして夜はだらだら、4日はフルタイムの授業が始まる日で、それを終えた深夜に初ゑびすに向かう。もう10年以上このパターンで正月を過ごしている。これが終われば私の正月も完全に終わって、3月中旬までの長い受験期間に突入する。休む暇もなく頑張ってどれだけの成果をあげられるか、楽しみでもあり不安でもある時期だ。
 そうした意味で、初ゑびすというものは、私の生活をオフからオンに切り替えるスイッチのような役目をしているのかもしれない。思えば最初に行ったのが、25年ほど前だっただろうか、母が我が家の家業が栄えるように参拝するための運転手を私に任せたのが始まりだった。すぐに伯母が加わって、何年か3人で行ったのだが、母が亡くなり伯母と2人で行くことがしばらく続いた。その間に私の娘が中学生になり、一緒に行くようになった。すると、伯母が老齢のため足元が危なくなって行くのを止めた。そうすると、中学生になった息子が行き始め、私の父も以前は明るくなってから知り合いと行っていたのが深夜に私たちと一緒に行くようになった。そして今年は、娘が4日の朝京都に帰ってしまい、息子もセンター試験を直前に控え体調を崩してもいけないので、参加を取りやめた。もし父も行かないといったら、一人で行くのも何か物寂しいからやめようかと思っていたら、意外にも元気に行くぞと言ってくれた。
 しかし、山の中腹に作られた駐車場を降りてから、寺までの山道を歩いていく道すがら、私は父の老いを実感せずにいられなかった。去年の秋口に痛めた膝が思わしくないらしく、その日の朝に医者に行って膝に溜まった水を抜いてもらったのだそうだ。「そうでなけりゃとてもお参りには来れなかった」と言って、足を軽く引きずりながら歩く姿に、思わず「肩を貸そうか」と言いそうになったが、「年寄り扱いをするな」と怒られるのもイヤでやめてしまった。もし私がそう言ったら、父はどうしたのだろう。素直に「うん」と言われたら、かえってショックだっただろうから、何も言わなかったのがよかったとは思うが・・。それにしても全体的に年寄りくさくなった。体は小さくなったとは思わないが、輪郭が崩れ始めたような気がする。耳も遠くなり始めたようで、話しかけても聞き返すことが多くなった。
 寺に着いて、供されていたお神酒を飲んでからは元気が出たようで、「立て続けに4杯飲んだ」と自慢げに話すものだから、いい加減爺なんだから見苦しいことするなよ、と言いたいのを我慢して笑って聞いていた。酔うと何度も何度も同じことを話す。お札を買うと景品のくじを引けるのだが、父は洗濯物干しが当たった。そのときの様子を身振りを交えながら繰り返し説明してくれるのだが、父の嬉々とした顔を見るのは好きなので、私は我慢して聞いていた。こんなふうな爺になりたいなと最近よく思う。さすがに飄々と呼べるほど枯れてはいないため、生臭い話も結構多いのだが、それでも毎日あれこれ自分のするべきことを考えながら絶えず体を動かしている姿は、私よりも25歳上だとはとても思えない。自分が後25年生きていられる自信はまるでないが、それでも運良く生きていられたら、こんなふうに若い者から邪険にされない自立した爺になっていたいものだと思う。
 考えてみれば、私には30歳下の息子がいるわけだから、息子から見て30年後の自分の姿を予想する手がかりは私のはずだ。そんなことを言ったら、息子は「30年後にこんなふうになるのは絶対いやだ」と言うに違いないだろうが、今の私を見ればそれも仕方ないだろう。私は、息子が生まれたとき、なぜだか自分が生き直せるような気がした。息子の成長とともに自分も成長したいと思ったのかもしれないが、それは今考えれば、本末転倒な思いであった。父親とは息子がその背中を見ながら成長できるような指標であるべきであって、息子とともに成長しようなどと情けないことを考えてはいけないものではないだろうか。どうもそのあたりのことを、私は勘違いしていたような気がする。
 
 まあ、それもくらげのようになりたいなどとバカ言ってる男では仕方のないことかもしれないけど。
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