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「アルゼンチンババア」

 母さんが紹介された「アルゼンチンババア」(よしもとばなな)を読んだ。今年最初に読み終えた本だ、と威張って言えるほどの長編でもない。しかし、いくらでも膨らませそうな話をあえて短編に収めたところが、この作品の読後感を味わい深いものにしたように思う。
 話は簡単だ。妻を亡くした男が町で「アルゼンチンババア」と呼ばれて有名な女の家に転がり込む、それをこの娘の目を通して描いているだけだ。
 妻に先立たれた男はまるで元気がなくなってしまうとよく言われる。夫を亡くした女が溌剌と人生を謳歌し出すのと比べて全く対照的だとも・・。実際、私の父は母の死後、仕事など見向きもしなくなり1年ほどは陶器作りに没頭していた。それまで、土などひねったことのなかった父が、どこからかろくろをもらってきて、ぐい飲みやら湯飲みやらをいくつも作り上げたのには驚いた。知り合いの窯で焼いてもらって人に配ったりもしていた。何かに心を集中させたかったのだろう。最近になって、「一周忌が来るまではなんともならなかった気持ちが、一周忌を境にすっと収まった」とよく言う。確かに一周忌を過ぎたら、パタッとろくろを回さなくなってしまったから、正直な気持ちなんだろう。今でも家にはそのときの湯飲みが幾つか転がっている。
 多分、この物語の父親もそうした心のエアポケットに陥ってしまったのだろう。そこから抜け出すために、アルゼンチンババアと暮らすようになったのだろうし、その住まいの屋上で、曼荼羅を作り始めたのだろう、などと思ったりした。しかし、私にはそうした物語の筋立てよりも、父親が曼荼羅について話す言葉がすごく印象深かった。
 
 「宇宙は、平面じゃなくて、時間もないんだ。それで、何層にもなっているんだよ。その何層にもっていうのが、からくり箱みたいに時間も何もかもひっくるめて全部つながっていて、理屈じゃないし、絵にもできないんだ。どの部分も全ての部分に通じているわけだよ。奥の深い空間が、ずっとずっと果てしなく重なっているんだ。それで、それをなんとかして表そうとしたのが、あれ(曼荼羅)なんじゃねえかな」
 
 「この輪が普通の俺たちの世界で、この外のほうになると、どんどん空間の色が薄くなっていくのだ。薄くなるのに、密度は濃くなっていくし、透明なのに強くなっていくのだ。ここは植物の世界で、ここは、地球を守っている人たちの世界」

 私は以前このブログで、「マンダラ塗り絵」という本を取り上げたことがあるが、それ以来曼荼羅に描かれた世界に興味を持ってきた。この記述を読んだときも、父親が作り上げようとしている曼荼羅を想像してみたが、貧弱な想像力しか持ち合わせていない私ではうまくいかなかった。この本の終わりに奈良美智という画家の何枚かの絵が載せられているが、曼荼羅は描かれていない。そこで、「マンダラ塗り絵」の縮小版「カラーリングマンダラ」(正木晃)の中の2枚を塗ってみれば少しは分るかなと試してみた。

 

う~ん、どうもイメージに合わない・・・そこで、ネット上で、もっと別のマンダラ塗り絵をダウンロードできるサイトはないだろうかと思って探してみたら、見つかった。「マンダラちっくぬりえ」というところだ。今のところ6枚のマンダラがプリントアウトできる。この中では、5番目のマンダラが父親の描こうとしている曼荼羅に近いのではないかと勝手に思ったのだが、塗ってみたらどうなるのだろう。楽しみだ。


完成!!
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