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本気


 昨年末から今年初めにかけて名古屋駅のJR高島屋で「相田みつを展」が開かれていた。元日に名古屋駅を通ったときに上のポスターが至る所に貼られていて驚いた。私は、相田みつをという人物をよくは知らないのだが、何だか彼の書や詩の売られ方があまり好きではなく、しっかりと彼の詩を読んだことがなかった。この時も、最初は「何でこんなにいっぱい・・」と思っただけだったが、あまりに貼ってあるため、つい立ち止まって読んでみた。

   なんでもいいからさ
   本気でやってごらん
   本気でやれば
   たのしいから
   本気でやれば
   つかれないから
    つかれても
    つかれが
    さわやかだから

いい詩だなと思った。忘れないようにと写真に収めた。できれば「相田みつを展」に行ってみたいと思った。私がそう言うと、妻が「本当に?相田みつをは嫌いじゃなかったの?」と言い返した。「そうだったけど、この詩はいいよ。心に沁みるよ」
 私は、食わず嫌いと言うか、先入観でまずそうだと思ってしまうともう受け付けなくなってしまう。そうした思い込みは食べ物だけでなく、小説とか映画とか歌とか、己の嗜好が先立つものにおいては甚だしい。これではいけないとよく思うのだが、なかなか直らない。何に対しても、虚心坦懐、真っ白な気持ちで向かい、そこから自分の感想を持つようにしなければならないのに、まず最初に対象物を選り好みしてして、気に入らないものは敬遠してしまう。本当によくない。

 この言葉を高3生の一人に読ませてやった。すると、「本気になるって面倒くさいじゃん」と一言で済まそうとした。「何言ってるんだ、本気で努力をしたこともない奴が」「してるって、塾に来てるじゃん」「それだけだろう、そんなの努力の内に入るか。自分でコツコツ積み重ねていくのが努力ってもんだ」「でも、疲れるよ、そんなことしたら」「だから、書いてあるだろう、本気で努力すればさわやかだって。つべこべ言わずにやってみろよ」「まあ、できたら・・」などと、最後はしどろもどろになってしまったが、実際今の高校生の多くは勉強に関して努力したがらない。大学全入時代を迎え、何もしなくても、大学が入学を許可してくれる。そんな学生を集めても仕方ないのにと私など思ってしまうが、経営上仕方ないのだろう。そのため、今の大学は実に面倒見がいい。というよりも、大学側が面倒を見なければ学生が自ら進んでは何もやろうとしない、できない生徒が多いというのが実情なのだろう。予備校の大学の入試ランキング表を見ると、F(ボーダーフリー=誰でも入れる)の評価をされた大学が実に多い。10年ほど前と比べると、最難関校を除けば、どの大学も難易度が下がっている。そうした現実を知れば、誰も勉強などしたくなくなる。AO入試とか自己推薦制度とか言われる怪しげな制度で大学が高校生をどんどん青田買いしているのだから・・。
 しかし、センター試験の受験者は多い。高校が半強制的に受けさせるという事情があるにせよ、今年の受験者は4年ぶりに増加したそうだ。したがって、あるレベルを超えれば大学入試は相変わらず難しい。大学の二極化などといわれているが、それは高校生が勉強する者としない者の2つに分かれているため、勉強した者の入る大学としない者でも入れる大学とに分かれていると言うことだ。だが、逆に言えば、勉強すればそれだけ自分の志望する大学に入り易くなったということを意味している。現在の大学入試は、努力が結果として現れやすくなっていると言ってもいいだろう。さらには、努力しなければ損だとまで断言してもいいかもしれない。確かにランクの高い大学に入ればバラ色の将来が約束されるなどという時代は終わった。しかし、ランクの高い大学が、自らの可能性を広げることのできる大学であるということは今でも言えるのではないだろうか。

 そういう思いを心に秘めながら、センター2日目に挑む学生たちが、最後まで本気で健闘してくれることを祈る。
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