毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
これから!!
現実の反対語は幻想だろう。現実を知ってから、自分の今までの希望が幻想だったと知ることは往々にしてあることだ。しかし、問題はそれからだ。己の現状での力を知って、そこから這い上がっていこうとすることが大切なのだ。負けは負け、仕方ないことではあるが、それをしっかりと認め、己の力を見極めることが次へのステップアッップへとつながる。一度や二度の失敗くらいどうってことない。失敗することは何も恥ずかしいことではないし、悲しむことでもない。己の至らなかった点を教えてくれたのだと考えれば感謝の気持ちさえ持っていいくらいだ。失敗したことがない人などいない。大事なのは失敗した後だ。
息子はセンター試験が思うようにいかなかったと嘆いている。しかし、これから私立大学の入試、さらには国公立大学の二次試験と、挽回のチャンスはいくらでもある。さほど落ち込む必要は何もない。とは言っても、私のように齢を重ねた者ならそう簡単に割り切ることはできるかもしれないが、わずか18年くらい生きただけの少年にはものすごい試練なのであろう。私自身は何とかそうした波を乗り越えてこれたのだが、今でも時々波の大きさにへこたれそうになってしまうので、わずか18の息子がこの試練に押しつぶされそうになっても仕方がない。かと言って、息子もこの試練を己の力一つで乗り越えられなければ、何の成長もない。私は、ただただ、頑張れと心の中で声援を送るのみである。己で乗り越えなければ、血や肉になってはくれないだろう。
「天才とは努力しうる才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るという事が屡々(しばしば)起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌うからだということになろう。」
小林秀雄『モオツァルト』
私が息子にすまないと思うのは、彼を天才に生んでやれなかったことである。しかし、天才には天才の苦労がある。(勿論、凡才には凡才なりの苦悩があるはずだが)。しかし、そうした他人がうかがい知れない懊悩に足を踏み入れさせなかっただけでも、よかったと思う。たとえ、多少物覚えが悪かろうと、そんなことは大したことではない。他人に迷惑さえかけなければそれでいい。--そんなふうにずっと思ってきた。
自分で採点を終えた息子は半ば自暴自棄になっていた。「ダメだ」「あ~あ、もっとセンターの勉強しておけばよかった」「最悪・・」、そんな言葉を連発していた。それを聞いた私や妻は、「いまさら何言ってるんだ、いまさらグズグズ言っても仕方ないだろう」と言い返してしまうが、息子の落ち込みはかなりのものだった。そんな姿を見れば可哀想になってしまう。しかし、私も受験のプロだ。何度もこんな修羅場は味わってきた。たとえ自分の息子であろうと、己の考えを曇らせるわけにはいかない。こんなときこそ私が落ち着いて構えていなければならない。今まで培ってきたものはこういう逆境のときにこそ、力を発揮するはずだ。泰然自若、この言葉を噛みしめなければならない。
落ち着いて考えれば、何も変わっていないじゃないか。これから巻き返しの時間はたっぷりある。落ち着いて前を見据えて、焦らず一歩一歩進むだけだ。
息子よ!春は近い、必ずやって来る。くじけるなよ!
息子はセンター試験が思うようにいかなかったと嘆いている。しかし、これから私立大学の入試、さらには国公立大学の二次試験と、挽回のチャンスはいくらでもある。さほど落ち込む必要は何もない。とは言っても、私のように齢を重ねた者ならそう簡単に割り切ることはできるかもしれないが、わずか18年くらい生きただけの少年にはものすごい試練なのであろう。私自身は何とかそうした波を乗り越えてこれたのだが、今でも時々波の大きさにへこたれそうになってしまうので、わずか18の息子がこの試練に押しつぶされそうになっても仕方がない。かと言って、息子もこの試練を己の力一つで乗り越えられなければ、何の成長もない。私は、ただただ、頑張れと心の中で声援を送るのみである。己で乗り越えなければ、血や肉になってはくれないだろう。
「天才とは努力しうる才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るという事が屡々(しばしば)起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌うからだということになろう。」
小林秀雄『モオツァルト』
私が息子にすまないと思うのは、彼を天才に生んでやれなかったことである。しかし、天才には天才の苦労がある。(勿論、凡才には凡才なりの苦悩があるはずだが)。しかし、そうした他人がうかがい知れない懊悩に足を踏み入れさせなかっただけでも、よかったと思う。たとえ、多少物覚えが悪かろうと、そんなことは大したことではない。他人に迷惑さえかけなければそれでいい。--そんなふうにずっと思ってきた。
自分で採点を終えた息子は半ば自暴自棄になっていた。「ダメだ」「あ~あ、もっとセンターの勉強しておけばよかった」「最悪・・」、そんな言葉を連発していた。それを聞いた私や妻は、「いまさら何言ってるんだ、いまさらグズグズ言っても仕方ないだろう」と言い返してしまうが、息子の落ち込みはかなりのものだった。そんな姿を見れば可哀想になってしまう。しかし、私も受験のプロだ。何度もこんな修羅場は味わってきた。たとえ自分の息子であろうと、己の考えを曇らせるわけにはいかない。こんなときこそ私が落ち着いて構えていなければならない。今まで培ってきたものはこういう逆境のときにこそ、力を発揮するはずだ。泰然自若、この言葉を噛みしめなければならない。
落ち着いて考えれば、何も変わっていないじゃないか。これから巻き返しの時間はたっぷりある。落ち着いて前を見据えて、焦らず一歩一歩進むだけだ。
息子よ!春は近い、必ずやって来る。くじけるなよ!
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