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なぜ日曜になると・・

 なぜ日曜になると朝早く目が覚めてしまうのだろう。せっかくの日曜日、少しでも長く解放感を味わいたいからなのだろうか?いや、今の私にはそれは当てはまらない気がする。解放感どころか、日曜日は、最後の仕上げの段階に入った受験生たちと一日中勉強しなければならない。早く目覚めたところで、塾というノルマを果たさない限り、休息など取れるはずもない。昔、仕事嫌いで親戚中に有名だった伯父が日曜になるとせっせと仕事をしている姿をよく見かけたものだが、私の父に言わせると、ただのパフォーマンスに過ぎないと全くにべもなかった。皆が仕事をする時にダラダラして、皆が休みでのんびりしようとする時に仕事を始める、考えてみればこれくらい腹の立つ奴はいないのだが、その伯父もとうに亡くなってしまったので、その心理をたずねるわけにもいかない。
 しかし、自分の心をもう少し探ってみると、やはり日曜日には少なからず解放感を感じているのが分る。まず第一に、塾があるといっても、遅くても夕方には終わるので、普段と違って家族と一緒に夕食を食べられる。今は娘が家を出ているし、息子も受験勉強で忙しいので、私と妻と父の三人だけで食卓を囲むのだが、それだけでも結構リラックスできる。それに塾が終わった瞬間にビールの缶を開けているので、否が応にも心は緩んでいる。冷たいビールを飲みながら、とりとめもない話をしているとあっという間に時間が過ぎてしまう。以前は日曜日には必ずと言っていいほど外で夕食を食べていたものだが、ここ1年くらいはめったに出かけなくなった。そうした家での日曜の夜の過ごし方も、最近では楽しいものだと思うようになってきた。
 さらに日曜は塾の生徒をバスで送迎しないことにしているため、1日中車の運転をしなくてもいいというのも解放感を得られる大きな理由だと思う。毎日、決まった時間に決まった場所へ生徒を送迎するのは、単純そうな作業ではあるが、生徒たちの生命を預かっている以上、相当の緊張を強いられる。スピードを出し過ぎてはいけないが、ある程度遅れずに行かねばならないため、バスの運転には全神経を集中させている。しかも、夜道の運転が中心になるため、目も神経もかなり疲れる。生徒たちとぺちゃくちゃ喋りながら運転している時も多いが、常に運転には最大限の注意を払っている。その上、雪でも降ったりしたら・・などと心の休まるときはない。
 そのため、バスの運転をしなくてもいいというのはかなり気持ちが楽になる。車の運転には集中力が欠かせない。集中力を維持するためには睡眠不足が大敵だ。だから、平日なら朝早く目覚めても、睡眠が不足してはいけないからもう一回眠ろうとする。しかし、日曜にはそんな心配は要らないから、早く起きたって何も構わない。布団の中でグズグズしているくらいなら、起きて新聞を読んだり、TVを見たりしたほうが楽しいのではないか、などという心理作用が働くのかもしれない。
 さらにもう一つ考えられる理由がある。私は、土曜・月曜の夜を休肝日にしているが、ビールを飲まなかった翌日の朝は目覚めが早いのだ。それは日曜の朝だけでなく火曜の朝も同じように目覚めが早いので、私に関して言えば「飲まなかった翌日の朝は目覚めが早い」ということが言えるような気がする。(これが医学的・心理学的に証明されるとは思わないけれど・・
 
 などと、理屈を並べ立ててしまったが、昨日の日曜も目が覚めたのはいつもより早い8時過ぎだった。すぐに着替えて朝食を食べに近くの喫茶店に向かったが、無茶苦茶寒かった。橋の下を見たら、近くの枯れ草の上一面に霜が降りてしまって真っ白だった。

 
「早起きは三文の徳」、せめて日曜くらいは早起きしてもいいのではないだろうか・・・。
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