毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
発想の転換
2007年01月14日 / 塾
小学3年生で、余りのある割り算を学習する。例えば、
20÷6=3…2 というように、6の段の九々で20を超えない一番大きな答えを見つけ、それを20から引いて残った数を余りとする。これを数式化すれば、
20-6×3=2 と表せる。
しかし、最近ちょっと面白い割り算の問題を、同じ3年生のハイレベルな問題集の中で発見した。それは、割り算で「あまり」ではなく「ふそく」を求めるというものだ。そのやり方を 20÷6 の割り算で説明するなら、6の段の九々で20を超えた一番小さい数を見つけ、20がその数になるにはいくつ不足しているかを答えるのだ。すなわち、
20÷6=4ふそく4 ということになる。
私がこの問題を見つけたとき、本当に目から鱗が落ちたような気がした。「こんな考え方もあるんだなあ!」と生徒をそっちのけにして感心してしまった。
この割り算の式が解答となるような問題を作ってみると、
「20個のキャンディーを6人で分けます。1人いくつずつになるでしょうか」
これに対して、普通は20÷6=3…2 が式で、「1人に3個ずつ分けられて2個余る」というのが正解になるだろうが、これを現実問題として考えてみると、「余った2個はどうするのだろう。誰かが余分にもらうのか、それとも2個を切って6等分するとでもいうのか」と、なんだか腑に落ちない気がする。それを、不足の考え方をすると、「1人に4個ずつ分けられるけど、あと4個足せば1人もう1個ずつ余分にもらえるんだな。よし、後4個持って来よう」ということになる。こちらの方がみな仲良く分けられて、丸く収まるように思える。まあ、少々こじつけのような気もするが、発想の転換をしてみると物事の違った面が見えてくるという好例だと思う。
ところで、この考え方をもう少し発展させた考え方をすると分りやすくなる問題を最近見つけた。
「①②③④⑤⑥の6枚のカードがあります。このカードの中から何枚かのカードを取り出してその和が15になるようにします。何とおりの取り出し方がありますか」
という小6の模試にあった問題だ。これを解くのに、①+②+③+④+⑤=15で、まず1通り。①+③+⑤+⑥=15で2通り・・とやっていくのがごく普通のやり方なのだろう。しかし、これだといくつか出しても、もっと他にもあるような気がして自分の答えに自信がもてない。もっと賢いやり方はないのか。私はこの問題の解説を読んでみて「おお!すごい!」と思わず叫んでしまった。解説によると、
「まず全部の数を足すと、①+②+③+④+⑤+⑥=21であるから、和を15にするには、21-15=6減らせばよいことになる。つまり、①+②+③+④+⑤+⑥ の中から、足して6になるものを取り除けばいいのだから、足して6になる組み合わせを①~⑥の数の中から見つけることと同じになる。それは、(①+⑤)・(②+④)・(①+②+③)それと(⑥)という4通りの組み合わせしかないので、答えは4通りとなる」(要するに、②+③+④+⑥=15、①+③+⑤+⑥=15、④+⑤+⑥=15、①+②+③+④+⑤=15の4組である)。
正攻法で突き進んでいっても埒が明かないことはよくある。そういう時、それまでの方法に固執していては泥沼にはまってしまうだけだ。そうした場合に必要なのが、発想を転換させることだろう。上の問題でいえば、足していって16になるものを見つけるのではなく、とりあえず全部足しておいて余分な分を削っていくという発想に転換できたら、案外簡単な問題に変わってしまう。そうした例は算数の世界だけではなく、実生活の中にも多く見受けられるような気がする。その一番の例が年度末に帳尻合わせのために行われるとしか思えない道路工事。あれなど、与えられた予算を何とか使い切るためにさほど必要に思えない工事を年度内に終えてしまおうという考えの表れだろう。そうした税金を使うためだけの帳尻合わせの工事を計画するのではなく、要求のあった工事を全て集め、緊急の度合いによって急がないものはどんどん削っていくというような発想に変えたなら、あんなに穴を何度も掘り起こすなどという愚を繰り返さなくともいいように思うが、どうだろう。
算数の問題から全く関係ないことが考えられて面白い。
20÷6=3…2 というように、6の段の九々で20を超えない一番大きな答えを見つけ、それを20から引いて残った数を余りとする。これを数式化すれば、
20-6×3=2 と表せる。
しかし、最近ちょっと面白い割り算の問題を、同じ3年生のハイレベルな問題集の中で発見した。それは、割り算で「あまり」ではなく「ふそく」を求めるというものだ。そのやり方を 20÷6 の割り算で説明するなら、6の段の九々で20を超えた一番小さい数を見つけ、20がその数になるにはいくつ不足しているかを答えるのだ。すなわち、
20÷6=4ふそく4 ということになる。
私がこの問題を見つけたとき、本当に目から鱗が落ちたような気がした。「こんな考え方もあるんだなあ!」と生徒をそっちのけにして感心してしまった。
この割り算の式が解答となるような問題を作ってみると、
「20個のキャンディーを6人で分けます。1人いくつずつになるでしょうか」
これに対して、普通は20÷6=3…2 が式で、「1人に3個ずつ分けられて2個余る」というのが正解になるだろうが、これを現実問題として考えてみると、「余った2個はどうするのだろう。誰かが余分にもらうのか、それとも2個を切って6等分するとでもいうのか」と、なんだか腑に落ちない気がする。それを、不足の考え方をすると、「1人に4個ずつ分けられるけど、あと4個足せば1人もう1個ずつ余分にもらえるんだな。よし、後4個持って来よう」ということになる。こちらの方がみな仲良く分けられて、丸く収まるように思える。まあ、少々こじつけのような気もするが、発想の転換をしてみると物事の違った面が見えてくるという好例だと思う。
ところで、この考え方をもう少し発展させた考え方をすると分りやすくなる問題を最近見つけた。
「①②③④⑤⑥の6枚のカードがあります。このカードの中から何枚かのカードを取り出してその和が15になるようにします。何とおりの取り出し方がありますか」
という小6の模試にあった問題だ。これを解くのに、①+②+③+④+⑤=15で、まず1通り。①+③+⑤+⑥=15で2通り・・とやっていくのがごく普通のやり方なのだろう。しかし、これだといくつか出しても、もっと他にもあるような気がして自分の答えに自信がもてない。もっと賢いやり方はないのか。私はこの問題の解説を読んでみて「おお!すごい!」と思わず叫んでしまった。解説によると、
「まず全部の数を足すと、①+②+③+④+⑤+⑥=21であるから、和を15にするには、21-15=6減らせばよいことになる。つまり、①+②+③+④+⑤+⑥ の中から、足して6になるものを取り除けばいいのだから、足して6になる組み合わせを①~⑥の数の中から見つけることと同じになる。それは、(①+⑤)・(②+④)・(①+②+③)それと(⑥)という4通りの組み合わせしかないので、答えは4通りとなる」(要するに、②+③+④+⑥=15、①+③+⑤+⑥=15、④+⑤+⑥=15、①+②+③+④+⑤=15の4組である)。
正攻法で突き進んでいっても埒が明かないことはよくある。そういう時、それまでの方法に固執していては泥沼にはまってしまうだけだ。そうした場合に必要なのが、発想を転換させることだろう。上の問題でいえば、足していって16になるものを見つけるのではなく、とりあえず全部足しておいて余分な分を削っていくという発想に転換できたら、案外簡単な問題に変わってしまう。そうした例は算数の世界だけではなく、実生活の中にも多く見受けられるような気がする。その一番の例が年度末に帳尻合わせのために行われるとしか思えない道路工事。あれなど、与えられた予算を何とか使い切るためにさほど必要に思えない工事を年度内に終えてしまおうという考えの表れだろう。そうした税金を使うためだけの帳尻合わせの工事を計画するのではなく、要求のあった工事を全て集め、緊急の度合いによって急がないものはどんどん削っていくというような発想に変えたなら、あんなに穴を何度も掘り起こすなどという愚を繰り返さなくともいいように思うが、どうだろう。
算数の問題から全く関係ないことが考えられて面白い。
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