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ブーム

 宮崎県知事にそのまんま東(「氏」が必要なんだろうなあ、やっぱり)が当選した。それは宮崎県民のなした選択であるから、他県に住む私があれこれ言う筋合いではないだろう。しかし、新聞報道で、対立候補の陣営から「芸能人が応援に来てくれれば、しょせんタレント候補というイメージになったのに・・」との本音が漏れ聞こえたという記事を読んで、面白いなと思った。東が己の判断でそうしたのか、選挙参謀がいてそうさせたのかは知らないが、知名度は抜群でありながら色々な騒動を起こし顰蹙を買うことも多かった彼を、政治家として見てもらうためにあえて芸能人を応援に駆り出さなかったのはなかなか周到な作戦だったと思う。名前を知ってもらうことから始まる選挙運動では、タレント候補は一歩も二歩も他候補に先んじているものだ。しかし、マスコミに露出することが多い分一つのイメージが固まっていて、それを払拭するのも大変なのかもしれない。東の場合はそれを地道な活動によって乗り越えたわけだが、一旦新たな一面が知られれば、そこからは知名度が物を言って、彼を支持する動きがうねりのように広がって行ったのであろう。それは、青島幸夫や田中康夫が知事に当選した時に起こったのと同じような現象なのかもしれない。
 昨日の朝、東が宮崎県庁に初登庁するする姿をTVで見かけたが、花束を受け取った彼が、スーツ姿ではなく、ジャンパー姿で深々と一礼する姿は、彼のポリシーを体現していたようにも見えた。だが、彼の真価を問われるのはこれからだ。選挙活動をしていたときの気持ちを「そのまんま」持ち続けて県民のために汗を流せるか、地方分権で大きな権力を持つようになった知事という立場に幻惑され、あらぬ方向にそれてしまうか、他県に住む私はついつい興味本位で見てしまう。それはウゴメクさんを始めとする宮崎県民には失礼なことかもしれない。

 同じように今ブームといえば、秋川雅史の歌う「千の風になって」がNHKの紅白歌合戦で注目されて以来、とうとうオリコン1位になったという。私は昨年末に紅白の見所に関して、テリー伊藤のコラムを読んで「千の風になって」がいい曲らしいから是非聞きたいものだという記事を書いた。私は大晦日この曲を聴くのをとても楽しみにしていたのだが、紅白で聴いたときには、はっきり言って「何だこれ?」と思ってしまった。確かに秋川雅史の歌声は素晴らしかった。普段聞いたことのないテノール歌手の声を耳にできたことは素晴らしい体験だった。だが、新井満の訳詞・作曲になるこの曲には、なんら感動しなかった。訳詞は冗漫で、言葉が曲にしっかりと乗っていない。曲もなんだかどこかで聴いたことがあるような単調さで、正直言ってがっかりした。このブログでの年越しライブでは、自分で話題を提供した手前、なんだかいい加減なコメントでお茶を濁したような気がするが、TVの前では期待が大きかっただけにかなり落胆していた。(確かめもせず、記事にしたのは失敗だったと反省している)
 だが、この曲が今大ヒットになっているという。私の感受性が鈍いのかもしれないと、録画を何回も見たのだけど、印象は変わらなかった。どうしてこれが?という疑問は今も持っているが、この曲がブームになったのは、新井満を始めとしたスタッフの売り出し方が成功したのではないかと思う。年末には書店に「千の風になって」関連の書物があふれていた。どういう内容の本かは知らないが、「千の風になって」のイメージを伝えるのには役立っただろう。テリー伊藤のような業界人も宣伝に協力したのかもしれない(私はまんまと乗せられてしまったのが悔しい)。あざとさが見え隠れするような気もするが、それはそれで素晴らしい戦略なのだろう・・。

 ブームというものはある程度のノウハウを知った人たちには、狙って引き起こすことができるものなのかもしれない。すごいなと思うし、恐ろしいなとも思う。その悪い一つの例が、納豆のダイエット効果の実験データを捏造したと言われている、「あるある大事典Ⅱ」のスタッフ達だろう。彼らは今までにも同じような手口で幾つかのブームを作り上げてきて、感覚が麻痺していたのかもしれない。
 ブームに踊らされることのないよう、真実を見抜く目が大切なのは言うまでもないが、これだけマスコミの発達した社会では難しい。だからこそ、常に批判的精神を持ち続けなければならないと思う。
 
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