毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
ご報告
昨日、このブログに劇的な変化が起こった。そう、ブログの動きがずいぶん軽快になり、すぐに記事が表示されるようになったのだ。昨年末に「陶の灯り道」の写真を無謀なほど何枚も貼り付けて以来、ものすごくブログが重くなり、「疲れるけど、頑張ろう!」というタイトルだけはすぐに出るものの、その日の記事が全文表示されるまでにかなりの時間がかかるようになってしまった。余りに動きが悪いものだから、ゴジ健さんも心配してくださって、色々ご忠告いただいき、それに従って、自分にできることは試してみた。例えば、写真の貼り付けすぎで重くなったのかもしれないと、Digi Book に登録して「陶の灯り道」の写真は全部そこに移したし、ブログパーツもいくつか外してみた。だが、一向に改善することなく、ずっと重いままだった。gooブログの編集局にもメールしてどう対処したらいいのか尋ねてみたが、不具合は見つからないとの返事をもらい、専門家が分からないものを私のような素人に分かるはずもない、もうこれ以上思い悩んでも仕方ない、と諦めることにした。もちろんずっと、「イラつくなあ・・」と思っては来たが、どうしようもないものはどうしようもない、もうこうなったら写真は好きなだけ貼って、ブログパーツも気に入ったものがあれば貼り付けてみよう、と開き直ることにした。
そんなつもりで、冬も終わり、春になっても毎日重いままのブログを相手にしてきたが、昨日になって昼間少しばかり暇な時間ができたので、久しぶりにこのブログをゆっくり眺めてみた。すると、編集画面に、
【ブログパーツ】映画「鴨川ホルモー」、「おっぱいバレー」、「ウォーロード」に対応しました!
という案内を見つけた。「鴨川ホルモー」は公開されたらぜひ見に行こうと思っているので、そのブログパーツなら貼り付けてもいいかな、という気になった。そこで、
1.映画「鴨川ホルモー」のサイトへ行く。
2.「ダウンロード」をクリックし、表示されたコードをコピー。
3.gooブログパーツに変換をする。
という指示通りにして、うまく下準備ができた。
あとは、テンプレート編集の画面に行き、HTMLデータの中の適当な所に変換したタグを貼り付ければいい。それは今まで何回か試してうまく行っているから、それで間違いはないだろう。さて、どこに貼り付けようかな・・と画面をスクロールしていたら、なんだかおかしなタグを見つけた。<Disney Clock>とタイトルが書いてあるが、こんなもの、ブログパーツを貼り付けられるようになった最初の頃に、嬉しがって貼ったものだ。しかも今はこのブログパーツは有効期限切れのようで、テンプレート上に反映されていない。私としては、とっくの昔に削除したものだと思っていたのに、残っていたなんて思いもしなかった。何をうっかりしていたんだろうと、すぐに削除してその場所に、「鴨川ホルモー」のタグを貼り付けて、「保存」のボタンをクリックした。
うまく行ったか確かめようと、ブログのトップページに戻ってみた。すると・・、あれほど時間がかかっていた記事の表示が一瞬で行われ、全文が一気にバンッと表示された!!。「おお!!戻った」と思わず快哉の声を上げたが、なんだか信じられなくて、何度も何度も画面を切り替えてみたが、そのたびに一瞬で記事が表示された。
「やった!!」でも、どうして?しばらく考えてみたら、思い当たることがあった。
結局は、使用できなくなったブログパーツのタグをいつまでもHTMLの中に放置してあったのがいけなかったのだ。トップページに切り替えると、メニューバーをまず最初に表示しようとするが、その時有効期限の切れたブログパーツまで表示しようとブログが一生懸命になるが、存在しないものを表示することはできない。仕方なしにあきらめてその他のメニューや記事を表示するのだが、その間のタイムラグが記事の表示に手間取った一番の原因ではなのだろうか・・。そういえば、ゴジ健さんが早い段階から、メニューバーの「最新のコメント」まではすぐに表示されるが、その後の表示に時間がかかるから、その辺りに問題があるのではないかと指摘されていた。その時は、そこに「最新のトラックバック」の表示があったため、これが原因かもしれないと思って、削除してみたが何も変わらなかった。ところが、本来削除すべきだったのは、ブログパーツ<Disney Clock>のタグだったのだ。その時点で私がHTML編集画面までしっかりチェックして、この<Disney Clock>に気づいていたなら、こんなに無駄な時間をすごさなくてもよかったはずだ。まったく情けない・・。
己の不明を大いに恥じるとともに、ゴジ健さんの慧眼を生かすことができなかった愚かさをお詫びしなければならない・・すいませんでした。
ともあれ、サクサク状態に戻れたことは実に喜ばしい。よかった!!
そんなつもりで、冬も終わり、春になっても毎日重いままのブログを相手にしてきたが、昨日になって昼間少しばかり暇な時間ができたので、久しぶりにこのブログをゆっくり眺めてみた。すると、編集画面に、
【ブログパーツ】映画「鴨川ホルモー」、「おっぱいバレー」、「ウォーロード」に対応しました!
という案内を見つけた。「鴨川ホルモー」は公開されたらぜひ見に行こうと思っているので、そのブログパーツなら貼り付けてもいいかな、という気になった。そこで、
1.映画「鴨川ホルモー」のサイトへ行く。
2.「ダウンロード」をクリックし、表示されたコードをコピー。
3.gooブログパーツに変換をする。
という指示通りにして、うまく下準備ができた。
あとは、テンプレート編集の画面に行き、HTMLデータの中の適当な所に変換したタグを貼り付ければいい。それは今まで何回か試してうまく行っているから、それで間違いはないだろう。さて、どこに貼り付けようかな・・と画面をスクロールしていたら、なんだかおかしなタグを見つけた。<Disney Clock>とタイトルが書いてあるが、こんなもの、ブログパーツを貼り付けられるようになった最初の頃に、嬉しがって貼ったものだ。しかも今はこのブログパーツは有効期限切れのようで、テンプレート上に反映されていない。私としては、とっくの昔に削除したものだと思っていたのに、残っていたなんて思いもしなかった。何をうっかりしていたんだろうと、すぐに削除してその場所に、「鴨川ホルモー」のタグを貼り付けて、「保存」のボタンをクリックした。
うまく行ったか確かめようと、ブログのトップページに戻ってみた。すると・・、あれほど時間がかかっていた記事の表示が一瞬で行われ、全文が一気にバンッと表示された!!。「おお!!戻った」と思わず快哉の声を上げたが、なんだか信じられなくて、何度も何度も画面を切り替えてみたが、そのたびに一瞬で記事が表示された。
「やった!!」でも、どうして?しばらく考えてみたら、思い当たることがあった。
結局は、使用できなくなったブログパーツのタグをいつまでもHTMLの中に放置してあったのがいけなかったのだ。トップページに切り替えると、メニューバーをまず最初に表示しようとするが、その時有効期限の切れたブログパーツまで表示しようとブログが一生懸命になるが、存在しないものを表示することはできない。仕方なしにあきらめてその他のメニューや記事を表示するのだが、その間のタイムラグが記事の表示に手間取った一番の原因ではなのだろうか・・。そういえば、ゴジ健さんが早い段階から、メニューバーの「最新のコメント」まではすぐに表示されるが、その後の表示に時間がかかるから、その辺りに問題があるのではないかと指摘されていた。その時は、そこに「最新のトラックバック」の表示があったため、これが原因かもしれないと思って、削除してみたが何も変わらなかった。ところが、本来削除すべきだったのは、ブログパーツ<Disney Clock>のタグだったのだ。その時点で私がHTML編集画面までしっかりチェックして、この<Disney Clock>に気づいていたなら、こんなに無駄な時間をすごさなくてもよかったはずだ。まったく情けない・・。
己の不明を大いに恥じるとともに、ゴジ健さんの慧眼を生かすことができなかった愚かさをお詫びしなければならない・・すいませんでした。
ともあれ、サクサク状態に戻れたことは実に喜ばしい。よかった!!
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鹿の子まだら
とうとう桜が満開になった。ここ1・2日がピークなのだろう、市内のどこを車で走っても、桜はすべて満開だ。10日ほど前に「無理やり花見」と称して集った桜の木も見事なまでに満開となった。
思えば、開花宣言から満開になるまでこれだけ時間がかかった年はあまりないだろう。花冷えという言葉を実感する日々が続き、きっと桜も震え上がってしまったのだろう、満開になるのにまさかこれほど時間がかかるとは思わなかった。だが、もうそんなことは忘れよう、こんなにきれいに咲いたのだから、ただひたすら花を愛でよう、そんな気になるほど爛漫と咲いた桜は私の心を奪ってしまう・・。
満開に浮かれたような気持ちで昨日一日を過ごしていたが、生徒をバスで迎えにいった先で、ふと見上げた山の斜面に白くなった所がまだら状にあるのに気がついた。
あの白いのはなんだろう?目を凝らしてみたが、春霞がかかっているのか、判然としない。だが、あれはたぶん・・・、そうだ、きっと桜だ・・。山桜が満開になって、山肌が所々薄いピンクに覆われているように見えるのだろう。こんな風景を眺めていたら、「おお、鹿(か)の子まだら・・」突然私の頭にそんな言葉が浮かんできた。「伊勢物語」の九段に
『富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白うふれり。
時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪のふるらむ』
という一節がある。富士山の残雪を、茶色の中に白いものがまだら状に混じっている鹿の子の毛並に喩えたのだろうが、ずっと昔に覚えたこの「鹿の子まだら」という言葉が、私の心に浮かんできたのは不思議だ。もちろん残雪などではなく、斜面で開花した桜の花が「鹿の子まだら」に見えたのだが、それがまたいっそうの興趣をそそり、しばし見惚れてしまった。
見惚れたといえば、上の写真に撮った桜の近くを深夜になって通ったとき、その妖艶な美に惹かれて、思わず車を停めて、しばし夜桜見物をしてしまった。
明るい陽光の下で堪能するのもいいが、漆黒の闇を背景にして、まるで桜の芯から光があふれ出しているかのように、うっすら明かりを放っているようにさえ見える夜の桜はまた格別だ。桜の向こうに広がる闇へと歩いていったら、黄泉の国へとつながっている、そんな幻想的な思いさえ浮かんでくる。桜花の命の短さを考えれば、明日の朝には散り初めるかもしれない、そんな刹那の美しさを湛える桜だからこそ、私たちの心を騒がせずにはいないのだろう・・。
まあ、私のような年齢になってしまうと、この先何回満開の桜を拝めるのだろう、と指折り数えてしまうから、若い頃より桜の花がいとおしく思えてくるのだろうが、今年の花はいい加減焦らされただけに一層その美しさが際だっているように見える。
今度の日曜まで咲いているといいけどなあ・・。
思えば、開花宣言から満開になるまでこれだけ時間がかかった年はあまりないだろう。花冷えという言葉を実感する日々が続き、きっと桜も震え上がってしまったのだろう、満開になるのにまさかこれほど時間がかかるとは思わなかった。だが、もうそんなことは忘れよう、こんなにきれいに咲いたのだから、ただひたすら花を愛でよう、そんな気になるほど爛漫と咲いた桜は私の心を奪ってしまう・・。
満開に浮かれたような気持ちで昨日一日を過ごしていたが、生徒をバスで迎えにいった先で、ふと見上げた山の斜面に白くなった所がまだら状にあるのに気がついた。
あの白いのはなんだろう?目を凝らしてみたが、春霞がかかっているのか、判然としない。だが、あれはたぶん・・・、そうだ、きっと桜だ・・。山桜が満開になって、山肌が所々薄いピンクに覆われているように見えるのだろう。こんな風景を眺めていたら、「おお、鹿(か)の子まだら・・」突然私の頭にそんな言葉が浮かんできた。「伊勢物語」の九段に
『富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白うふれり。
時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪のふるらむ』
という一節がある。富士山の残雪を、茶色の中に白いものがまだら状に混じっている鹿の子の毛並に喩えたのだろうが、ずっと昔に覚えたこの「鹿の子まだら」という言葉が、私の心に浮かんできたのは不思議だ。もちろん残雪などではなく、斜面で開花した桜の花が「鹿の子まだら」に見えたのだが、それがまたいっそうの興趣をそそり、しばし見惚れてしまった。
見惚れたといえば、上の写真に撮った桜の近くを深夜になって通ったとき、その妖艶な美に惹かれて、思わず車を停めて、しばし夜桜見物をしてしまった。
明るい陽光の下で堪能するのもいいが、漆黒の闇を背景にして、まるで桜の芯から光があふれ出しているかのように、うっすら明かりを放っているようにさえ見える夜の桜はまた格別だ。桜の向こうに広がる闇へと歩いていったら、黄泉の国へとつながっている、そんな幻想的な思いさえ浮かんでくる。桜花の命の短さを考えれば、明日の朝には散り初めるかもしれない、そんな刹那の美しさを湛える桜だからこそ、私たちの心を騒がせずにはいないのだろう・・。
まあ、私のような年齢になってしまうと、この先何回満開の桜を拝めるのだろう、と指折り数えてしまうから、若い頃より桜の花がいとおしく思えてくるのだろうが、今年の花はいい加減焦らされただけに一層その美しさが際だっているように見える。
今度の日曜まで咲いているといいけどなあ・・。
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’09開幕!
メジャーリーグが開幕した。さっそく松井が今季第1号を放った。ヤンキース7年目にして初の開幕4番、さぞや重圧がかかっただろうと思ったが、結果から見るとさほどでもないのかな、という感じがした。
ホームランの陰に隠れてしまったようにも見えるが、第2打席は2アウト2塁でセンターフライ、第3打席は2アウト1・3塁で三塁ファールフライとチャンスを潰している。昨年は故障者リスト入りする前まで打率こそよかったが、チャンスに打てずに打点はなかなか増えなかった。第3打席まで見れば、また昨年と同じことの繰り返しか、と嘆息してしまうところだが、今年が違うのは7回の第4打席で2ランホームランを打ったことだ。
この2ランホームランによってチームは1点差に詰め寄ったが、救援ピッチャーが打ち込まれて結局開幕戦を落としてしまった。だが、4番の責任は何とか果たせたのではないだろうか。確かに前の打席の凡退は悔しい。5回の第3打席の時点では、1-3とヤンキースが負けていたため、タイムリーを打っていればかなり局面が違っていたはずだ。しかし、なんと言っても今の松井はA・ロッドの代役で4番に座っているだけで、実力で手に入れたものではない。多少の凡退には目をつぶらなければならないのかもしれない。ましてや昨年手術した左ひざの状態は100%ではないだろうから、開幕当初からガンガン飛ばすわけには行かないかもしれない。開幕当日としては、5打数1安打2打点、という結果を残せたことを素直に喜べばいいように思う。
だが、そうは呑気なことなど言っていられないのも事実だ。故障者リスト入りしているA・ロッドの回復が順調で、復帰が早まるかもしれないとの報道が流れた。もしA・ロッドが復帰するならば、しばらくはDHで出場するとの観測もあり、そうなるとDHを主に務めるはずの松井の立場が微妙になってしまう。ちょっと心配になるが、そんな「心配など無用!!」とばかりに松井が打ち続け、松井なしではとても打線が成り立たないと、首脳陣が松井を起用し続けてくれさえすれば何も問題はない。そういう意味で、今シーズン松井が活躍できるかどうかは、A・ロッドが復帰するまでの期間の打撃にかかっているといってもいいのではないだろうか。
こんなことを言うと、焦らずじっくり打ち込んでいけば自ずといい結果が出る、と各方面からお叱りを受けるかもしれないが、私は決して焦っているわけではない。開幕前に松井のインタビューをさほど聞いたわけではないが、仄聞しただけでも、今季にかける松井の強い思いは言葉の端々からひしひしと伝わってきた。それだけに開幕第1戦を曲がりなりにも1HR・2打点で乗り越えられたのは、今後に明るい展望が開けたようで、実に喜ばしいことである。
私は「不動心」という松井の本は大嫌いである。道半ばの人間が、さも悟ったような題名の本を出したりするから、神から厳しい試練を与えられてしまったのだ、と何度も呪ったほどだ。だが、今季の松井は「不動心」の領域に少しばかり近づいたのではないかと密かに思っている。「開幕4番」というのにもさほど高ぶるわけでもなく、むしろ淡々とその役割を果たそうとしているような感じを受ける。それにはよき伴侶を得たことが良い影響を与えているのかもしれない。松井も結婚して1年になる。この1年の結婚生活の中で、松井が何か大切なものを学び取ったのかもしれない。
そう思うと、今季の松井がものすごく楽しみになってくる。具体的な数字を挙げてこれくらいの活躍はするだろう、などと玄人のようなことはとても言えないが、かなりの成績を残してくれるのではないか、そんな期待がどんどん膨らんでくる。もちろんそれは体調が万全であるとの仮定の下であるのは言うまでもないが・・。(体だけは十分注意しろよ!!)
頑張れ、松井!!
今年も一生懸命応援するぞ!!
ホームランの陰に隠れてしまったようにも見えるが、第2打席は2アウト2塁でセンターフライ、第3打席は2アウト1・3塁で三塁ファールフライとチャンスを潰している。昨年は故障者リスト入りする前まで打率こそよかったが、チャンスに打てずに打点はなかなか増えなかった。第3打席まで見れば、また昨年と同じことの繰り返しか、と嘆息してしまうところだが、今年が違うのは7回の第4打席で2ランホームランを打ったことだ。
この2ランホームランによってチームは1点差に詰め寄ったが、救援ピッチャーが打ち込まれて結局開幕戦を落としてしまった。だが、4番の責任は何とか果たせたのではないだろうか。確かに前の打席の凡退は悔しい。5回の第3打席の時点では、1-3とヤンキースが負けていたため、タイムリーを打っていればかなり局面が違っていたはずだ。しかし、なんと言っても今の松井はA・ロッドの代役で4番に座っているだけで、実力で手に入れたものではない。多少の凡退には目をつぶらなければならないのかもしれない。ましてや昨年手術した左ひざの状態は100%ではないだろうから、開幕当初からガンガン飛ばすわけには行かないかもしれない。開幕当日としては、5打数1安打2打点、という結果を残せたことを素直に喜べばいいように思う。
だが、そうは呑気なことなど言っていられないのも事実だ。故障者リスト入りしているA・ロッドの回復が順調で、復帰が早まるかもしれないとの報道が流れた。もしA・ロッドが復帰するならば、しばらくはDHで出場するとの観測もあり、そうなるとDHを主に務めるはずの松井の立場が微妙になってしまう。ちょっと心配になるが、そんな「心配など無用!!」とばかりに松井が打ち続け、松井なしではとても打線が成り立たないと、首脳陣が松井を起用し続けてくれさえすれば何も問題はない。そういう意味で、今シーズン松井が活躍できるかどうかは、A・ロッドが復帰するまでの期間の打撃にかかっているといってもいいのではないだろうか。
こんなことを言うと、焦らずじっくり打ち込んでいけば自ずといい結果が出る、と各方面からお叱りを受けるかもしれないが、私は決して焦っているわけではない。開幕前に松井のインタビューをさほど聞いたわけではないが、仄聞しただけでも、今季にかける松井の強い思いは言葉の端々からひしひしと伝わってきた。それだけに開幕第1戦を曲がりなりにも1HR・2打点で乗り越えられたのは、今後に明るい展望が開けたようで、実に喜ばしいことである。
私は「不動心」という松井の本は大嫌いである。道半ばの人間が、さも悟ったような題名の本を出したりするから、神から厳しい試練を与えられてしまったのだ、と何度も呪ったほどだ。だが、今季の松井は「不動心」の領域に少しばかり近づいたのではないかと密かに思っている。「開幕4番」というのにもさほど高ぶるわけでもなく、むしろ淡々とその役割を果たそうとしているような感じを受ける。それにはよき伴侶を得たことが良い影響を与えているのかもしれない。松井も結婚して1年になる。この1年の結婚生活の中で、松井が何か大切なものを学び取ったのかもしれない。
そう思うと、今季の松井がものすごく楽しみになってくる。具体的な数字を挙げてこれくらいの活躍はするだろう、などと玄人のようなことはとても言えないが、かなりの成績を残してくれるのではないか、そんな期待がどんどん膨らんでくる。もちろんそれは体調が万全であるとの仮定の下であるのは言うまでもないが・・。(体だけは十分注意しろよ!!)
頑張れ、松井!!
今年も一生懸命応援するぞ!!
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「ザ・マジックアワー」
5日の日曜、「15時間まるごと!三谷幸喜の日」と銘打って、WOWOWで三谷幸喜の映画と舞台が15時間連続で放映された。私は全くそんなことは知らなかったが、たまたま点けたTVのチャンネルがWOWOWになっていて、「THE 有頂天ホテル」が放送されていた。私は日曜の朝になると、どういうわけか早い時間に目覚めてしまうので、ほとんどの日曜は眠くて仕方がない。しかも、一昨日は花見をしてきたものだから、早くもほろ酔い加減でかなり睡魔に襲われていた。「見ながら寝ちゃうよな・・」と思いながら見始めたが、そんな心配は無用、最後までしっかり見てしまった。それは面白かったから、というわけでは決してない。それどころか、「詰らないなあ」と何度も叫んだくらい、ありきたりなドタバタ劇でどこが面白いのか皆目分からなかった。
私は三谷幸喜という人物をTVで何度か見たことがあるだけで、彼の作品をきちんと見たのはこれが初めてだった。TVで見た彼のキャラが私の好みに合わなかったため、そんな男の作った映画やドラマなど見たくはない、そんないつもの食わず嫌いからのことだが、そんな私とは正反対に、妻は三谷作品をいくつも見ているので、あれこれ解説してくれた。それにつられてついつい最後まで見てしまった、というのが本当のところだった。
午前7:45から「笑いの大学」、10:00から「ラヂオの時間」、午後0:00から「みんなのいえ」、そして2:10から「THE 有頂天ホテル」。これが終わって4:40から「グッドナイトスリイプタイト」という舞台が放送されたが、その時間は我慢できずにとうとう転寝してしまった。もともとそんな舞台など見る気もなかったから、眠ってもよかったが、目覚めたら「ザ・マジックアワー」が7:30から始まった。妻はこの映画が昨年公開されたときに一人で見に行っていたため、「これは面白いよ。特に佐藤浩市がカッコいい!」と教えてくれたが、「THE 有頂天ホテル」が面白くなかったから、俄かには信じられなかった。公開時には、三谷幸喜がうるさいくらい色んな番組に出てきて、この映画の宣伝をしまくっていた(出演者が「お笑いレッドカーペット」の審査員もしていたなあ・・)ため、よほど映画の出来に自信がないか、めちゃくちゃ自信があるかのどちらかだな、と思っていた。それを思い出して、「さて、どちらなんだろう」と少しばかり意地悪な気持ちでいた。だが・・、
面白かった!いつの時代のどこでの話なのか、分かるようで分からない設定の下始まったコメディーは、ドタバタなどではなく、じっくりと笑わせてくれる。映画を見てこれだけ笑ったのは久しぶりだ。三谷は、この作品の台本を「今まで一番質が高い」と豪語し、「3分に10回は笑える」とも言っていたようだが、実際それくらいのペースで私が笑った場面もいくつかあった。押し付けがましくなく、見ていて自然に笑えてくる、「THE 有頂天ホテル」とは比べられないほど、実に面白い映画だった。
題名の「マジックアワー」とは、映画や写真の世界で「陽が落ちた直後の数十分、空が美しくなる“薄明”をさす言葉」で、劇中にも佐藤浩市がそんな説明をしていた。
この写真の背景こそが、マジックアワーを表しているが、それは人生の華やかな時を過ぎて、今まさに老いさらばえんとした瞬間に今一度光輝を放とうとする、そんな決して諦めない人間の生きざまを喩えているようにも思えて、なかなか深みのある言葉だと思った。「三谷幸喜などに教えられたくはない」と、この映画を見る前なら思っていただろうが、見終えた今ならこの言葉を教えてくれたことに心から感謝したいと思う。
佐藤浩市が渋いながらも軽妙な演技でいい味を出していたが、私はそれと同じくらい、老いた柳沢慎一には驚いた。映画の途中では、「誰だったっけ・・」と思い出せなかったが、エンドロールで彼の名前を見つけて「ああ!」と思わず声を上げてしまった。妻はその名にピンとこなかったようだが、私は黒髪が艶やかで、キザな役どころが多かったあの柳沢慎一がすべて白髪に変わった姿で・・、などと自分も同じくらい真っ白な頭をしているのを忘れて、懐かしいようなさみしいような気持ちになった。
久しぶりに見た人がまるで昔の面影を無くしているのを見るのはつらいものだが、彼らはまだまだ「マジックアワー」を見つけようとしているかもしれないのだから、憐れんだりすることなど厳に慎まねばならない。
私は三谷幸喜という人物をTVで何度か見たことがあるだけで、彼の作品をきちんと見たのはこれが初めてだった。TVで見た彼のキャラが私の好みに合わなかったため、そんな男の作った映画やドラマなど見たくはない、そんないつもの食わず嫌いからのことだが、そんな私とは正反対に、妻は三谷作品をいくつも見ているので、あれこれ解説してくれた。それにつられてついつい最後まで見てしまった、というのが本当のところだった。
午前7:45から「笑いの大学」、10:00から「ラヂオの時間」、午後0:00から「みんなのいえ」、そして2:10から「THE 有頂天ホテル」。これが終わって4:40から「グッドナイトスリイプタイト」という舞台が放送されたが、その時間は我慢できずにとうとう転寝してしまった。もともとそんな舞台など見る気もなかったから、眠ってもよかったが、目覚めたら「ザ・マジックアワー」が7:30から始まった。妻はこの映画が昨年公開されたときに一人で見に行っていたため、「これは面白いよ。特に佐藤浩市がカッコいい!」と教えてくれたが、「THE 有頂天ホテル」が面白くなかったから、俄かには信じられなかった。公開時には、三谷幸喜がうるさいくらい色んな番組に出てきて、この映画の宣伝をしまくっていた(出演者が「お笑いレッドカーペット」の審査員もしていたなあ・・)ため、よほど映画の出来に自信がないか、めちゃくちゃ自信があるかのどちらかだな、と思っていた。それを思い出して、「さて、どちらなんだろう」と少しばかり意地悪な気持ちでいた。だが・・、
面白かった!いつの時代のどこでの話なのか、分かるようで分からない設定の下始まったコメディーは、ドタバタなどではなく、じっくりと笑わせてくれる。映画を見てこれだけ笑ったのは久しぶりだ。三谷は、この作品の台本を「今まで一番質が高い」と豪語し、「3分に10回は笑える」とも言っていたようだが、実際それくらいのペースで私が笑った場面もいくつかあった。押し付けがましくなく、見ていて自然に笑えてくる、「THE 有頂天ホテル」とは比べられないほど、実に面白い映画だった。
題名の「マジックアワー」とは、映画や写真の世界で「陽が落ちた直後の数十分、空が美しくなる“薄明”をさす言葉」で、劇中にも佐藤浩市がそんな説明をしていた。
この写真の背景こそが、マジックアワーを表しているが、それは人生の華やかな時を過ぎて、今まさに老いさらばえんとした瞬間に今一度光輝を放とうとする、そんな決して諦めない人間の生きざまを喩えているようにも思えて、なかなか深みのある言葉だと思った。「三谷幸喜などに教えられたくはない」と、この映画を見る前なら思っていただろうが、見終えた今ならこの言葉を教えてくれたことに心から感謝したいと思う。
佐藤浩市が渋いながらも軽妙な演技でいい味を出していたが、私はそれと同じくらい、老いた柳沢慎一には驚いた。映画の途中では、「誰だったっけ・・」と思い出せなかったが、エンドロールで彼の名前を見つけて「ああ!」と思わず声を上げてしまった。妻はその名にピンとこなかったようだが、私は黒髪が艶やかで、キザな役どころが多かったあの柳沢慎一がすべて白髪に変わった姿で・・、などと自分も同じくらい真っ白な頭をしているのを忘れて、懐かしいようなさみしいような気持ちになった。
久しぶりに見た人がまるで昔の面影を無くしているのを見るのはつらいものだが、彼らはまだまだ「マジックアワー」を見つけようとしているかもしれないのだから、憐れんだりすることなど厳に慎まねばならない。
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満開近し
やっと桜が満開近くなった。1週間前に無理やり花見をしたのと比べれば、桜の花もかなり見ごろになった。そこで、日曜の昼過ぎ、伯母を誘って近くの公園の観桜に出かけた。
この公園に来るのも久しぶりだ。鹿と猿が飼育されているはずなのに、鹿の飼育舎には1頭も姿が見えなかった。「死んじゃったのかな・・」と少し悲しくなったが、猿舎には4、5頭が元気に遊んでいたので安心した。
昔なら大勢の人が花見にやって来た公園なのに、昨日は2、3組しかいなかった。公園内で火を使うことが禁止になって以来、バーベキュー目当ての人が来られなくなった、そんな観測を妻はしていたが、わが町では人が集まると、すぐに「とんちゃん」(ホルモン焼き)をメインに飲み食いするのが昔からの習わしであるから、火が使えない場所を敬遠するのもいたし方ないかもしれない。
だが、誰にも気兼ねすることなくのんびりと、閑散とした公園内を散策できたから、私たちにはラッキーだった。満開一歩手前の桜はピークを迎える寸前の美しさを誇っていた。これくらいが一番きれいかな、と思いもしたが、ピンクに染まった大粒の蕾が所々に見られるのは、私の心を完全には浮き立たせてくれなかった。やっぱり、すべての枝にびっしりと花が咲き乱れている桜が私は好きだ。
桜もきれいだったが、公園の斜面一面に咲いたタンポポも黄色いじゅうたんのようになっていて、私の目を奪った。最近は奇形タンポポが北海道から次第に南下し始めて、長野県あたりまで勢力を拡大しつつあると、TVのワイドショーで言っていたが、わが町ではそんな兆候は見つからないようだ。安心・・。
春の一日をのんびり過ごして家に戻ったら、北朝鮮が「飛翔体」を発射したとの報道が流れていた。十分予測されたことであり、「ああ、打ち上げたの・・」ぐらいの感想しかもたなかったが、前日も記事にしたように、そんなこと無視しておけばいい。コミュニケーションを拒否する相手に何も気を使う必要などないはずだ。
だが、こうした呑気に過ごしたい春の休日が、北朝鮮のバカな行動によって脅かされるというのは、どう考えても我慢できない。どういう目的があるのか知らないが、こんな些細な幸せをかみしめられるせっかくの休日に見境のない行動をすれば反感を買うだけだということがどうして分からないだろう?どうしてそんなに悪役になりたいんだろう?
変態趣味なのかな・・。
この公園に来るのも久しぶりだ。鹿と猿が飼育されているはずなのに、鹿の飼育舎には1頭も姿が見えなかった。「死んじゃったのかな・・」と少し悲しくなったが、猿舎には4、5頭が元気に遊んでいたので安心した。
昔なら大勢の人が花見にやって来た公園なのに、昨日は2、3組しかいなかった。公園内で火を使うことが禁止になって以来、バーベキュー目当ての人が来られなくなった、そんな観測を妻はしていたが、わが町では人が集まると、すぐに「とんちゃん」(ホルモン焼き)をメインに飲み食いするのが昔からの習わしであるから、火が使えない場所を敬遠するのもいたし方ないかもしれない。
だが、誰にも気兼ねすることなくのんびりと、閑散とした公園内を散策できたから、私たちにはラッキーだった。満開一歩手前の桜はピークを迎える寸前の美しさを誇っていた。これくらいが一番きれいかな、と思いもしたが、ピンクに染まった大粒の蕾が所々に見られるのは、私の心を完全には浮き立たせてくれなかった。やっぱり、すべての枝にびっしりと花が咲き乱れている桜が私は好きだ。
桜もきれいだったが、公園の斜面一面に咲いたタンポポも黄色いじゅうたんのようになっていて、私の目を奪った。最近は奇形タンポポが北海道から次第に南下し始めて、長野県あたりまで勢力を拡大しつつあると、TVのワイドショーで言っていたが、わが町ではそんな兆候は見つからないようだ。安心・・。
春の一日をのんびり過ごして家に戻ったら、北朝鮮が「飛翔体」を発射したとの報道が流れていた。十分予測されたことであり、「ああ、打ち上げたの・・」ぐらいの感想しかもたなかったが、前日も記事にしたように、そんなこと無視しておけばいい。コミュニケーションを拒否する相手に何も気を使う必要などないはずだ。
だが、こうした呑気に過ごしたい春の休日が、北朝鮮のバカな行動によって脅かされるというのは、どう考えても我慢できない。どういう目的があるのか知らないが、こんな些細な幸せをかみしめられるせっかくの休日に見境のない行動をすれば反感を買うだけだということがどうして分からないだろう?どうしてそんなに悪役になりたいんだろう?
変態趣味なのかな・・。
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いい加減にしろよ。
昨日昼過ぎに、塾バスで生徒を送り終えてラジオを点けたら、
『政府は4日午後0時16分、「さきほど、北朝鮮から飛翔体(ひしょうたい)が発射された模様」と発表したが、5分後に「さきほどの情報は誤り。飛翔体の発射は確認されていない」と撤回し、「誤探知だった」と説明した』
とのニュースが繰り返し流れてきた。これを聞いて、「北朝鮮からのミサイルか衛星か分からぬものを「飛翔体」と呼ぶのは苦肉の策だな」などと失笑してしまったが、よく考えてみれば、簡単に誤探知をしてしまうような機器を使って、北朝鮮からの「飛翔体」を監視しようというのはいくらなんでも間が抜けている。こんなバカげた機器に頼って、正体不明の「飛翔体」を撃ち落そうなんて、できるわけがないだろう、と改めて思った。もちろん日本の防衛システムについて詳しいことは何も知らない私であるから、軽々なことは言ってはならないとは思うが、大金をつぎ込んで導入したであろう、通称「ガメラレーダー」なるものが、こんなにも簡単に誤探知をしてしまうと、「税金の使い方が間違っている!」と怒鳴りたくなる。迎撃システム全体がこんなに頼りにならないものかどうかは分からないものの、初動段階でこんな醜態を晒しているようでは、自衛隊のミサイルで「飛翔体」を撃ち落すなんてことは夢のまた夢のように思えてしまう。
私は、北朝鮮が何かを打ち上げるとの一報を耳にして以来、そんなもの完全に無視すればいいのに、と思ってきた。こちらが勝手に騒ぎ始めるから、それを逆手にとってあれこれ無理難題を言ってくるのが、かの国の常套手段だ。そんな駄々っ子をまともに相手にするのが間違っている。何を言ってきても、我感知せぬとばかりに、まったく無視してやったらどうだろう。北朝鮮などという国は始めから存在しないものと見做して、一切関わらないようにしたら、そのうち業を煮やして、あちらから何か歩み寄ってくるのではないだろうか、そんな気がする。
小さな子供が、大人の気を引こうといたずらを繰り返すことはよくある。そんな時、こちらが折れて子供の相手をすれば彼らの思う壷になってしまうが、一切無視していたら子供の方からすり寄ってくる、そんなことはよくある。北朝鮮も国際社会から完全に孤立して、自国だけでやっていくことはできないだろうから、どうしたって妥協点を見つけなければやっていけないはずだ。ただその妥協点を自分に有利にするためにあれこれ画策しているに過ぎないから、そのペースに巻き込まれないようにするのが肝要だ。たとえどんなカードを切ってこようが、諸外国から金銭的援助を引き出すのが彼らの最大かつ最終の目的であることは明らかだから、こちらが毅然たる態度をとって一切交渉に応じなければ、向こうから歩み寄りをせざるを得ないはずだ。北朝鮮が手を変え品を変え、難癖をつけてくるたびに、「無視しろよ!!」と叫んでいるのは私だけではないような気がするのだが・・。
言うまでもなく、外交のまったく素人の暴言であり、無視された北朝鮮が逆切れして、自爆的な行動をとる可能性だってあるから、そんな簡単な問題ではないのも重々分かっている。だが、「もうそろそろいいだろう、十分相手したよ。これでも分かってくれないなら、もういい、さよならだね」と言いたくもなる。相手に合わせてできるだけのことをして来ても、相手がどうしても受け入れてくれないなら、ある段階ですっぱり手を切ってもいいんじゃないだろうか、そんな男女間の問題を引き合いに出して、北朝鮮のことを考えると結構あてはまるような気がする・・。(北朝鮮など付き合いたい相手でもないが・・)
「ご近所トラブル」という問題を解決する究極の方法は転居だと思うが、北朝鮮との問題は、日本が引越しなどできない以上、どうにかして折り合いをつけていくしかない。だが、困ったことにこちらの堪忍袋の緒がそろそろ切れそうになっているのに、それをあの国がまだ気が付いていない。両国間には未解決の問題がいくつもあるが、一番の問題は、北朝鮮という国が私たちの理解が及ぶ国ではないということだ。そんなまともに相手できない国のことなど、もう相手にしないようにするのが一番だと思うが、そんな簡単なことではないだろうな、やっぱり・・。
でも、いい加減にしてほしいよなあ、もう。
『政府は4日午後0時16分、「さきほど、北朝鮮から飛翔体(ひしょうたい)が発射された模様」と発表したが、5分後に「さきほどの情報は誤り。飛翔体の発射は確認されていない」と撤回し、「誤探知だった」と説明した』
とのニュースが繰り返し流れてきた。これを聞いて、「北朝鮮からのミサイルか衛星か分からぬものを「飛翔体」と呼ぶのは苦肉の策だな」などと失笑してしまったが、よく考えてみれば、簡単に誤探知をしてしまうような機器を使って、北朝鮮からの「飛翔体」を監視しようというのはいくらなんでも間が抜けている。こんなバカげた機器に頼って、正体不明の「飛翔体」を撃ち落そうなんて、できるわけがないだろう、と改めて思った。もちろん日本の防衛システムについて詳しいことは何も知らない私であるから、軽々なことは言ってはならないとは思うが、大金をつぎ込んで導入したであろう、通称「ガメラレーダー」なるものが、こんなにも簡単に誤探知をしてしまうと、「税金の使い方が間違っている!」と怒鳴りたくなる。迎撃システム全体がこんなに頼りにならないものかどうかは分からないものの、初動段階でこんな醜態を晒しているようでは、自衛隊のミサイルで「飛翔体」を撃ち落すなんてことは夢のまた夢のように思えてしまう。
私は、北朝鮮が何かを打ち上げるとの一報を耳にして以来、そんなもの完全に無視すればいいのに、と思ってきた。こちらが勝手に騒ぎ始めるから、それを逆手にとってあれこれ無理難題を言ってくるのが、かの国の常套手段だ。そんな駄々っ子をまともに相手にするのが間違っている。何を言ってきても、我感知せぬとばかりに、まったく無視してやったらどうだろう。北朝鮮などという国は始めから存在しないものと見做して、一切関わらないようにしたら、そのうち業を煮やして、あちらから何か歩み寄ってくるのではないだろうか、そんな気がする。
小さな子供が、大人の気を引こうといたずらを繰り返すことはよくある。そんな時、こちらが折れて子供の相手をすれば彼らの思う壷になってしまうが、一切無視していたら子供の方からすり寄ってくる、そんなことはよくある。北朝鮮も国際社会から完全に孤立して、自国だけでやっていくことはできないだろうから、どうしたって妥協点を見つけなければやっていけないはずだ。ただその妥協点を自分に有利にするためにあれこれ画策しているに過ぎないから、そのペースに巻き込まれないようにするのが肝要だ。たとえどんなカードを切ってこようが、諸外国から金銭的援助を引き出すのが彼らの最大かつ最終の目的であることは明らかだから、こちらが毅然たる態度をとって一切交渉に応じなければ、向こうから歩み寄りをせざるを得ないはずだ。北朝鮮が手を変え品を変え、難癖をつけてくるたびに、「無視しろよ!!」と叫んでいるのは私だけではないような気がするのだが・・。
言うまでもなく、外交のまったく素人の暴言であり、無視された北朝鮮が逆切れして、自爆的な行動をとる可能性だってあるから、そんな簡単な問題ではないのも重々分かっている。だが、「もうそろそろいいだろう、十分相手したよ。これでも分かってくれないなら、もういい、さよならだね」と言いたくもなる。相手に合わせてできるだけのことをして来ても、相手がどうしても受け入れてくれないなら、ある段階ですっぱり手を切ってもいいんじゃないだろうか、そんな男女間の問題を引き合いに出して、北朝鮮のことを考えると結構あてはまるような気がする・・。(北朝鮮など付き合いたい相手でもないが・・)
「ご近所トラブル」という問題を解決する究極の方法は転居だと思うが、北朝鮮との問題は、日本が引越しなどできない以上、どうにかして折り合いをつけていくしかない。だが、困ったことにこちらの堪忍袋の緒がそろそろ切れそうになっているのに、それをあの国がまだ気が付いていない。両国間には未解決の問題がいくつもあるが、一番の問題は、北朝鮮という国が私たちの理解が及ぶ国ではないということだ。そんなまともに相手できない国のことなど、もう相手にしないようにするのが一番だと思うが、そんな簡単なことではないだろうな、やっぱり・・。
でも、いい加減にしてほしいよなあ、もう。
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商魂たくまし
新学期も始まり、また新たな気持ちで頑張っていけるよう祈願するため、お稲荷さんに参拝してきた。道端の桜はまだまだ満開とまでは行かなかったが、暖かな陽光の差し込む車内は、ポカポカして気持ちがよかった。
行きに立ち寄ったコンビニで面白いものを見つけた。「4月4日はあんぱんの日」という看板の下にずらっとあんぱんが並べられていたのだ。「あんぱんの日」などというのは初耳だが、手に取ったあんぱんにはその謂れを記した紙が添付されていた。
『明治維新によって失業に追い込まれた武士の木村安兵衛はパン作りと出会い、新たな時代へのチャレンジとして、パン職人への道を歩み始める。
木村安兵衛は日本にパン文化を広める為に純日本製のパンとして和菓子との融合を図った「あんぱん」を考案。
明治8年4月4日、明治天皇が下屋敷を訪れた際に「あんぱん」が献上されたことで世に広く知られるようになり、以降庶民の味として定着した』
なんだかとってつけたような話だが、まあそんな歴史的な薀蓄は私にはどうでもいい。ただあれこれ探し出して何でも商売に結びつける商魂はすごいものだ。とても私には真似できないことだけに、「すごいなあ・・」と嘆息するのみだ。(もちろんあんぱんは一個買ってみたけど)
しばらくは日曜が休めるので、お稲荷さんに行くのは次の日曜日でもよかったのだが、土日に高速道路が1000円で乗り放題になった影響で、日曜だと渋滞するのじゃないかと慮って、金曜に出かけてみた。ところが、不思議なことに高速を下りた料金所で、いつもなら950円かかる料金が650円と表示された。私の車にはETCが搭載してあるので、お金を払ったわけでもないし、料金表ももらわなかったため、どうして安くなったのかまったく分からなかったが、帰り道も同じように割引されていたので、何かちゃんとした理由があるのだろう。これならわざわざ混雑する日曜に出かけなくってよかった、と少し得をした気になった。
まだ春休み中なので、お稲荷さんの参道には子供たちの姿が多かった。年中縁日のような参道であるから、子供たちが来ても楽しいはずだ。参拝を済ましてぶらぶら歩いていたら、「遊戯王カード」を大量に売っている店を見つけた。「遊戯王カード」はまだまだ根強い人気を誇っているようで、第何次ブームなのかは分からないが、小学校によっては今も流行っているところもある。塾の生徒にも集めている生徒が何人かいて、「コンビニで買おうと思ってもすぐに売切れてしまう」と、こぼしていた子もいた。それを聞いて、「お千代保にはたくさん売ってるよ」と父親とよく参拝に行くという男の子が教えてくれた。「そうか、今度行った時に探してみるね」と約束したので、見つけたからには幾つか買って行ってやろうか、と思った。1セット170円という値札がついていたので、4セット買ってみた。
しかし、家に戻って取り出してみたら、値札がテープで貼り付けてあるのに気づいた。「えっ?」と思って、テープを剥がしてみたら、ビックリ!!なんと価格が150円と印刷してあるではないか。
と言うことは、コンビニなら150円で売っているものを私は170円出して買ったことになるのか・・。参ったなあ・・。
さすが商売繁盛のお稲荷さんとして有名なお千代保さんの参道で店を構える商店だけあって、商魂がたくましい。確かに品薄商品だから、多少のプレミアが付くのは仕方のないことかもしれないが、こうしたカードを買うのは子供たちだ。幼い子供たちから余分なお金を巻き上げるのはちょっとどうかと思ってしまう。
だが、今の時代「受領は倒るる所に土をつかめ」くらいの心持がなければ、商売なんて立ち行かないのかもしれない・・。
でも、やっぱり私には無理だなあ・・。
行きに立ち寄ったコンビニで面白いものを見つけた。「4月4日はあんぱんの日」という看板の下にずらっとあんぱんが並べられていたのだ。「あんぱんの日」などというのは初耳だが、手に取ったあんぱんにはその謂れを記した紙が添付されていた。
『明治維新によって失業に追い込まれた武士の木村安兵衛はパン作りと出会い、新たな時代へのチャレンジとして、パン職人への道を歩み始める。
木村安兵衛は日本にパン文化を広める為に純日本製のパンとして和菓子との融合を図った「あんぱん」を考案。
明治8年4月4日、明治天皇が下屋敷を訪れた際に「あんぱん」が献上されたことで世に広く知られるようになり、以降庶民の味として定着した』
なんだかとってつけたような話だが、まあそんな歴史的な薀蓄は私にはどうでもいい。ただあれこれ探し出して何でも商売に結びつける商魂はすごいものだ。とても私には真似できないことだけに、「すごいなあ・・」と嘆息するのみだ。(もちろんあんぱんは一個買ってみたけど)
しばらくは日曜が休めるので、お稲荷さんに行くのは次の日曜日でもよかったのだが、土日に高速道路が1000円で乗り放題になった影響で、日曜だと渋滞するのじゃないかと慮って、金曜に出かけてみた。ところが、不思議なことに高速を下りた料金所で、いつもなら950円かかる料金が650円と表示された。私の車にはETCが搭載してあるので、お金を払ったわけでもないし、料金表ももらわなかったため、どうして安くなったのかまったく分からなかったが、帰り道も同じように割引されていたので、何かちゃんとした理由があるのだろう。これならわざわざ混雑する日曜に出かけなくってよかった、と少し得をした気になった。
まだ春休み中なので、お稲荷さんの参道には子供たちの姿が多かった。年中縁日のような参道であるから、子供たちが来ても楽しいはずだ。参拝を済ましてぶらぶら歩いていたら、「遊戯王カード」を大量に売っている店を見つけた。「遊戯王カード」はまだまだ根強い人気を誇っているようで、第何次ブームなのかは分からないが、小学校によっては今も流行っているところもある。塾の生徒にも集めている生徒が何人かいて、「コンビニで買おうと思ってもすぐに売切れてしまう」と、こぼしていた子もいた。それを聞いて、「お千代保にはたくさん売ってるよ」と父親とよく参拝に行くという男の子が教えてくれた。「そうか、今度行った時に探してみるね」と約束したので、見つけたからには幾つか買って行ってやろうか、と思った。1セット170円という値札がついていたので、4セット買ってみた。
しかし、家に戻って取り出してみたら、値札がテープで貼り付けてあるのに気づいた。「えっ?」と思って、テープを剥がしてみたら、ビックリ!!なんと価格が150円と印刷してあるではないか。
と言うことは、コンビニなら150円で売っているものを私は170円出して買ったことになるのか・・。参ったなあ・・。
さすが商売繁盛のお稲荷さんとして有名なお千代保さんの参道で店を構える商店だけあって、商魂がたくましい。確かに品薄商品だから、多少のプレミアが付くのは仕方のないことかもしれないが、こうしたカードを買うのは子供たちだ。幼い子供たちから余分なお金を巻き上げるのはちょっとどうかと思ってしまう。
だが、今の時代「受領は倒るる所に土をつかめ」くらいの心持がなければ、商売なんて立ち行かないのかもしれない・・。
でも、やっぱり私には無理だなあ・・。
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センバツ決勝戦
WBCに熱中している間に、大相撲が始まり、センバツも始まっていた。WBCで日本が優勝して、その余韻に浸っている間に、大相撲は白鵬の全勝優勝を飾り、フィギュアでは浅田真央が4位に終わった。甲子園では気づいたら、ベスト8が決まっていた。しかし、地元中京大中京が準々決勝で破れた瞬間に、膨らみかけた興味も一気にしぼんでしまった。もうこれじゃあ、メジャーの開幕まで待つしかないな、と思いかけていた矢先、岩手の花巻東の快進撃を知った。宮沢賢治の生まれた花巻のエース・菊池は、左腕から繰り出す快速球と鋭いスライダーで、奪三振も多く、無失点記録も続けていた。私は星飛雄馬のファンであるから、球の速い左投手は大好きである。サウスポーから繰り出す左バッターの外角にずばりと決まるストレートには胸がすく。果たして菊池というピッチャーがそんな私の好みにぴったりはまる投手かどうか、一度見てみたいと思っていたが、なかなかじっくり見るチャンスがなかった。だから、決勝戦まで勝ち進んだのを知った時は、何とか時間をやりくりして見たいものだと思っていた。
だが、決勝での対戦相手、長崎の清峰にもすごいピッチャーがいた。こちらは右腕の今村投手。本格派で球速も140kmを超え、彼のスライダーもすごいらしい。それぞれ左右の抜きん出た投手を擁した両チームの準決勝までの戦績と、両投手の投球内容を簡単に比べた資料を見つけたので、下に貼ってみる。
両投手とも防御率が1点未満というのはすごい。これだけ見れば、決勝戦は手に汗握る投手戦になるものと誰もが思うが、高校野球はそんな予想を立てても、えてしてどちらかの投手が崩れ、一方的な試合になってしまうことがよくある。だが、そんな心配はこの二人の投手にはまるで必要なかった。私は、やっておかねばならないことが色々あって、やっとTVの前に座ったのは7回表の清峰の攻撃からだった。得点は0-0、見事な投手戦だ。だが、私が見始めたのが何かのきっかけでもあるかのように、試合が動き始める。2アウトから四球で出たランナーを長打で返して、とうとう清峰に先取点が入った。私はその瞬間、電話がかかってきたものだから、せっかくの場面を見落としてしまって悔しかった。その後は花巻東が粘りを見せる。8回裏には1アウト1・2塁と絶好のチャンスで、三盗を図るもアウト!!チャンスを生かせない。9回も2アウトからランナー1・2塁と攻め立てたが、代打がレフトフライに終わり、あえなく試合終了。清峰が春夏通じて長崎県勢初の優勝校となった。おめでとう!!
この写真は今村のもとに清峰ナインが集まって来た、優勝の瞬間を写したものだが、右端に2塁ランナーとなっていた菊池が肩を落としてベンチに下がる姿が写されている。勝負では必ず勝者と敗者に分かれてしまうが、負けて学ぶこともたくさんあるはずだ。ホームプレートを挟んで試合後の挨拶をした後、お互いに歩み寄った菊池と今村が、肩を抱き合いながら、何か言葉を交わしていた姿がTVに映し出された。お互いの健闘を称えあったのか、夏にまた戦おうと誓ったのか、この二人の姿にはジ~ンときた。試合中は、闘志を表に出す菊池と、常に表情を変えず冷静な様子だった今村と、好対照な二人であったが、これからも互いを好敵手とみなして更なる精進を積み重ねていってもらいたい。決勝戦を見ていて、この二人が近い将来日本の野球界の左右のエースとなるような予感がした・・。
やはり高校野球は面白い。決勝戦の攻防は近来まれに見るほどの好ゲームだったと思う。早くも夏の大会が楽しみになってきた。もう一度、このチームで決勝戦を戦わせてやりたい!!
だが、決勝での対戦相手、長崎の清峰にもすごいピッチャーがいた。こちらは右腕の今村投手。本格派で球速も140kmを超え、彼のスライダーもすごいらしい。それぞれ左右の抜きん出た投手を擁した両チームの準決勝までの戦績と、両投手の投球内容を簡単に比べた資料を見つけたので、下に貼ってみる。
両投手とも防御率が1点未満というのはすごい。これだけ見れば、決勝戦は手に汗握る投手戦になるものと誰もが思うが、高校野球はそんな予想を立てても、えてしてどちらかの投手が崩れ、一方的な試合になってしまうことがよくある。だが、そんな心配はこの二人の投手にはまるで必要なかった。私は、やっておかねばならないことが色々あって、やっとTVの前に座ったのは7回表の清峰の攻撃からだった。得点は0-0、見事な投手戦だ。だが、私が見始めたのが何かのきっかけでもあるかのように、試合が動き始める。2アウトから四球で出たランナーを長打で返して、とうとう清峰に先取点が入った。私はその瞬間、電話がかかってきたものだから、せっかくの場面を見落としてしまって悔しかった。その後は花巻東が粘りを見せる。8回裏には1アウト1・2塁と絶好のチャンスで、三盗を図るもアウト!!チャンスを生かせない。9回も2アウトからランナー1・2塁と攻め立てたが、代打がレフトフライに終わり、あえなく試合終了。清峰が春夏通じて長崎県勢初の優勝校となった。おめでとう!!
この写真は今村のもとに清峰ナインが集まって来た、優勝の瞬間を写したものだが、右端に2塁ランナーとなっていた菊池が肩を落としてベンチに下がる姿が写されている。勝負では必ず勝者と敗者に分かれてしまうが、負けて学ぶこともたくさんあるはずだ。ホームプレートを挟んで試合後の挨拶をした後、お互いに歩み寄った菊池と今村が、肩を抱き合いながら、何か言葉を交わしていた姿がTVに映し出された。お互いの健闘を称えあったのか、夏にまた戦おうと誓ったのか、この二人の姿にはジ~ンときた。試合中は、闘志を表に出す菊池と、常に表情を変えず冷静な様子だった今村と、好対照な二人であったが、これからも互いを好敵手とみなして更なる精進を積み重ねていってもらいたい。決勝戦を見ていて、この二人が近い将来日本の野球界の左右のエースとなるような予感がした・・。
やはり高校野球は面白い。決勝戦の攻防は近来まれに見るほどの好ゲームだったと思う。早くも夏の大会が楽しみになってきた。もう一度、このチームで決勝戦を戦わせてやりたい!!
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城山三郎
年度末の休み中は、新学期の準備をし終えた夕方以降は、ビール片手にずっとTVを見ていた。と言っても、面白い番組など何もやっていなくて、妻が録画しておいたTV番組をぼんやり見ていただけだが・・。
稲垣吾郎が金田一耕介に扮した「悪魔の手毬歌」は、横溝正史の小説世界をきちんと理解していない脚本家が書いたとしか思えないほど、「血が引き起こす悲劇」がまったく感じられない、人間の内奥に潜むおどろおどろしさがまったく感じられない平板なドラマだった。一緒に見ていたのがスマヲタの妻であるため、吾郎ちゃんの悪口は言えず、ひたすら脚本家のせいにしていたが、映画好きの吾郎ちゃんがこのドラマを客観的に見たならどんな評価を下すのか、ちょっと知りたい気もした。
少し前に放送された「落日燃ゆ」も見た。文官として唯一A級戦犯となり絞首刑に処せられた広田弘毅の半生を描いた、城山三郎の小説をTVドラマ化したものである。暴走する軍部が、中国大陸を侵略をし、太平洋戦争へ突入して行ったという歴史をなぞりながら、戦争を避けようとした広田の奮闘もむなしく日本が自滅への道を歩んでいった経緯を克明に描いていて、酔いが回って最初は夢うつつで見ていた私もこのドラマの迫力に引っ張られて、とうとう最後まで見てしまった。
私は城山三郎という作家の小説を一冊も読んだことはない。実在の人物をモデルにしたノンフィクション風の小説は苦手だからかもしれないが、先日読んだ佐高信の評論集の中に、城山三郎に関する記述が幾つかあり、彼が城山三郎を敬愛していたのがよく分かった。
『城山は、人を殺す組織である軍隊と違って、自衛隊の本義は「人を救うこと」にあり、イラク派遣はその誇るべき本質を失わせるとし、決断を下す前に、小泉首相はイラクへ飛び、自分の目で見て、イラクの人に接するべきだ、と提言した。
「そうして、もしも丸腰で歩いて安全だと判断すれば、自衛隊を武器を持たせずに派遣すればよい、逆に小泉さんが危ない目にあって危険だと判断したのなら、そういうところに自衛隊を送ることは『戦闘行為』になりますから、派遣を断念すればよかった。日本のリーダーが命懸けで現場に赴き判断すること、これが日本の国民にもイラクの国民にももっとも分かりやすい方法です。平和国家を代表して意を尽くしても、テロリストに撃たれることがあるかもしれない。しかし、撃たれたとしても政治家としては本懐ではないですか」』
至極まっとうな論であると思うが、このまっとうさ加減がなかなか理解されないのが今の時代なのかもしれない。城山には、凶弾に斃れた浜口雄幸首相と井上準之助を描いた「男子の本懐」という作品もあるようで、読んでみたくなった。
しかし、私が書店で見つけて以来、ずっと読みたいと思っているにもかかわらず、どうしても手にとることのできない城山三郎の本が1冊ある。それは、「そうか、君はもういないのか」という本。・・『五十億の中でただ一人「おい」と呼べる妻へ―愛惜の回想記』などというブックレビューをチラッと見ただけで、もうダメだ、読みたいけど読めない・・。だが、「落日燃ゆ」のTVドラマを見、今まで知らなかった城山三郎の人となりをほんのわずかでも知ってしまった今、これも何かの縁だ、読まねばならないと思う。
以前読んだ眉村卓の「妻に捧げた1778話」(新潮新書) も、かなり切ない本だったが、城山三郎の遺稿を集めたと言われるこの作品もきっと涙なしでは読み通せないだろう。だが、読まねば!
稲垣吾郎が金田一耕介に扮した「悪魔の手毬歌」は、横溝正史の小説世界をきちんと理解していない脚本家が書いたとしか思えないほど、「血が引き起こす悲劇」がまったく感じられない、人間の内奥に潜むおどろおどろしさがまったく感じられない平板なドラマだった。一緒に見ていたのがスマヲタの妻であるため、吾郎ちゃんの悪口は言えず、ひたすら脚本家のせいにしていたが、映画好きの吾郎ちゃんがこのドラマを客観的に見たならどんな評価を下すのか、ちょっと知りたい気もした。
少し前に放送された「落日燃ゆ」も見た。文官として唯一A級戦犯となり絞首刑に処せられた広田弘毅の半生を描いた、城山三郎の小説をTVドラマ化したものである。暴走する軍部が、中国大陸を侵略をし、太平洋戦争へ突入して行ったという歴史をなぞりながら、戦争を避けようとした広田の奮闘もむなしく日本が自滅への道を歩んでいった経緯を克明に描いていて、酔いが回って最初は夢うつつで見ていた私もこのドラマの迫力に引っ張られて、とうとう最後まで見てしまった。
私は城山三郎という作家の小説を一冊も読んだことはない。実在の人物をモデルにしたノンフィクション風の小説は苦手だからかもしれないが、先日読んだ佐高信の評論集の中に、城山三郎に関する記述が幾つかあり、彼が城山三郎を敬愛していたのがよく分かった。
『城山は、人を殺す組織である軍隊と違って、自衛隊の本義は「人を救うこと」にあり、イラク派遣はその誇るべき本質を失わせるとし、決断を下す前に、小泉首相はイラクへ飛び、自分の目で見て、イラクの人に接するべきだ、と提言した。
「そうして、もしも丸腰で歩いて安全だと判断すれば、自衛隊を武器を持たせずに派遣すればよい、逆に小泉さんが危ない目にあって危険だと判断したのなら、そういうところに自衛隊を送ることは『戦闘行為』になりますから、派遣を断念すればよかった。日本のリーダーが命懸けで現場に赴き判断すること、これが日本の国民にもイラクの国民にももっとも分かりやすい方法です。平和国家を代表して意を尽くしても、テロリストに撃たれることがあるかもしれない。しかし、撃たれたとしても政治家としては本懐ではないですか」』
至極まっとうな論であると思うが、このまっとうさ加減がなかなか理解されないのが今の時代なのかもしれない。城山には、凶弾に斃れた浜口雄幸首相と井上準之助を描いた「男子の本懐」という作品もあるようで、読んでみたくなった。
しかし、私が書店で見つけて以来、ずっと読みたいと思っているにもかかわらず、どうしても手にとることのできない城山三郎の本が1冊ある。それは、「そうか、君はもういないのか」という本。・・『五十億の中でただ一人「おい」と呼べる妻へ―愛惜の回想記』などというブックレビューをチラッと見ただけで、もうダメだ、読みたいけど読めない・・。だが、「落日燃ゆ」のTVドラマを見、今まで知らなかった城山三郎の人となりをほんのわずかでも知ってしまった今、これも何かの縁だ、読まねばならないと思う。
以前読んだ眉村卓の「妻に捧げた1778話」(新潮新書) も、かなり切ない本だったが、城山三郎の遺稿を集めたと言われるこの作品もきっと涙なしでは読み通せないだろう。だが、読まねば!
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さあ新学期
2009年04月01日 / 塾
塾が休みと言っても、新学期の準備があってそれほどゆっくりもできなかった。特に今年は「新学習指導要領」が3年後に導入されるまでの移行期間の初年度であるため、私が作った数学の問題集にも改訂を加えなければならなくて、例年よりもやるべき仕事が多かった。
「新学習指導要領」とは、「ゆとり教育」からの転換を図るものであり、簡単に言えば「学習内容が多くなる」ということだ。「ゆとり教育」という言葉を聞くだけで私は全身に虫唾が走ったものだ。それは塾という勉強オンリーの機関に携わる者にとっては己の職務を否定されるようなものであり、謂わば天敵のような言葉であったが、「ゆとり教育」の実態が、小学校・中学校の薄っぺらな教科書を見たことがある人なら誰もが驚くような学習内容の少なさを主眼にしたものである以上、いったい子供たちをどう育てようとしているのか、私には皆目分からなかった。確かに詰め込み教育、過度の受験競争、管理教育などなど過去の教育体制には問題が多々あった。だが、子供に物を教えるというのに、「もうこれくらいでいいだろう」などと大人が勝手に斟酌を加えて、学ぶ意欲を削いできたのが「ゆとり教育」であると私は思っている。塾という、謂わば教育界の日陰者、そんなものなどなければいいのに、と思われたりする機関に携わってきた私ではあるが、公教育の荒廃を微力ながらも下支えしてきたという自負は少なからずある。「鉄は熱いうちに打て」などという言葉を引き合いに出すまでもなく、子供たちは一生懸命学ばねばならない、というのが信条である私にしてみれば、「ゆとり教育」からの脱却というのは至極当然の結果であるが、「ゆとり教育」で育った「ゆとり世代」と呼ばれる人たちこそ、いい迷惑ではなかったか、そんな気がしてならない。(「ゆとり世代」というのはかなり嘲笑の対象になっているようにも思うのだが、教えられるべきことをきちんと教えられずに来てしまったのだから、彼らの責任ばかりではないように思わざるを得ない・・)
などと思わず熱が入ってしまったが、今回の新指導要領で学習内容が多くなるのを、数学(算数)でみてみよう。文系科目は内容が濃くなるといっても、学習単元が目に見えて増えるような科目ではないので、とりあえず理系科目に注目した方がよくわかるだろう。小学校の算数では、前回の改訂の時に話題になった、「台形の面積」の求め方は、復活し5年生で学ぶことになる。また公約数・公倍数を5年生で学ぶようになるため、異分母分数の加法・減法も5年生で学ぶようになる。今までは6年生で一度に分数の四則を学んでいたのと比べれば、元に戻って指導はしやすくなるだろう。もちろん私立受験を目指して学習している生徒たちは、学校の教科書などとは全く違う次元で勉強しているので、この改訂などまるで関係ないが、私立中学受験生と公立中学に進学する生徒の学力差は、少しは改善されるかもしれない。(理科の学習内容の増加はとてもここでは書ききれないほどで、理系科目の重要性を文科省が再認識したのかな、と思うほどだ)
中学数学では、1年生で関数の意味、球の表面積と体積などを学習するようになるが、これは私の作った問題集では、削除せずに取り入れてあったので、何も追加する必要はなかった。同じように、3年生で2次方程式の解の公式や、相似図形の面積比・体積比なども復活するが、これらも私の問題集には取り入れてあったため、追加する必要はなかった。このように私が自作した問題集では、追加する内容はさほど多くないが、それでも今まで教えてこなかった内容がいくつかあるので、問題集に改訂を加えなければならなかった。(久しぶりにオアシス・ワープロソフトで問題を作成したのだが、忘れている操作方法も多かったので、かなり苦労した)
この3日の休み中、毎日少しずつ作業はしてきたので、新学期の準備は整った。新入塾生の募集が、思うようにいかなかったのは残念至極であるが、私の塾に集まってくれた生徒たちが、各自の願いを成就できるよう、私ができることはすべて協力する覚悟でいる。しばしの休養で、体力も戻ったように思うので、とにかく頑張っていこうと思っている。
「新学習指導要領」とは、「ゆとり教育」からの転換を図るものであり、簡単に言えば「学習内容が多くなる」ということだ。「ゆとり教育」という言葉を聞くだけで私は全身に虫唾が走ったものだ。それは塾という勉強オンリーの機関に携わる者にとっては己の職務を否定されるようなものであり、謂わば天敵のような言葉であったが、「ゆとり教育」の実態が、小学校・中学校の薄っぺらな教科書を見たことがある人なら誰もが驚くような学習内容の少なさを主眼にしたものである以上、いったい子供たちをどう育てようとしているのか、私には皆目分からなかった。確かに詰め込み教育、過度の受験競争、管理教育などなど過去の教育体制には問題が多々あった。だが、子供に物を教えるというのに、「もうこれくらいでいいだろう」などと大人が勝手に斟酌を加えて、学ぶ意欲を削いできたのが「ゆとり教育」であると私は思っている。塾という、謂わば教育界の日陰者、そんなものなどなければいいのに、と思われたりする機関に携わってきた私ではあるが、公教育の荒廃を微力ながらも下支えしてきたという自負は少なからずある。「鉄は熱いうちに打て」などという言葉を引き合いに出すまでもなく、子供たちは一生懸命学ばねばならない、というのが信条である私にしてみれば、「ゆとり教育」からの脱却というのは至極当然の結果であるが、「ゆとり教育」で育った「ゆとり世代」と呼ばれる人たちこそ、いい迷惑ではなかったか、そんな気がしてならない。(「ゆとり世代」というのはかなり嘲笑の対象になっているようにも思うのだが、教えられるべきことをきちんと教えられずに来てしまったのだから、彼らの責任ばかりではないように思わざるを得ない・・)
などと思わず熱が入ってしまったが、今回の新指導要領で学習内容が多くなるのを、数学(算数)でみてみよう。文系科目は内容が濃くなるといっても、学習単元が目に見えて増えるような科目ではないので、とりあえず理系科目に注目した方がよくわかるだろう。小学校の算数では、前回の改訂の時に話題になった、「台形の面積」の求め方は、復活し5年生で学ぶことになる。また公約数・公倍数を5年生で学ぶようになるため、異分母分数の加法・減法も5年生で学ぶようになる。今までは6年生で一度に分数の四則を学んでいたのと比べれば、元に戻って指導はしやすくなるだろう。もちろん私立受験を目指して学習している生徒たちは、学校の教科書などとは全く違う次元で勉強しているので、この改訂などまるで関係ないが、私立中学受験生と公立中学に進学する生徒の学力差は、少しは改善されるかもしれない。(理科の学習内容の増加はとてもここでは書ききれないほどで、理系科目の重要性を文科省が再認識したのかな、と思うほどだ)
中学数学では、1年生で関数の意味、球の表面積と体積などを学習するようになるが、これは私の作った問題集では、削除せずに取り入れてあったので、何も追加する必要はなかった。同じように、3年生で2次方程式の解の公式や、相似図形の面積比・体積比なども復活するが、これらも私の問題集には取り入れてあったため、追加する必要はなかった。このように私が自作した問題集では、追加する内容はさほど多くないが、それでも今まで教えてこなかった内容がいくつかあるので、問題集に改訂を加えなければならなかった。(久しぶりにオアシス・ワープロソフトで問題を作成したのだが、忘れている操作方法も多かったので、かなり苦労した)
この3日の休み中、毎日少しずつ作業はしてきたので、新学期の準備は整った。新入塾生の募集が、思うようにいかなかったのは残念至極であるが、私の塾に集まってくれた生徒たちが、各自の願いを成就できるよう、私ができることはすべて協力する覚悟でいる。しばしの休養で、体力も戻ったように思うので、とにかく頑張っていこうと思っている。
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