じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

上林暁「花の精」から

2021-12-19 15:33:41 | Weblog
★ 4年ぶりに京都の公私立高校の難易表を改訂している。驚いた結果が見えてきた。公立高校の偏差値が10ポイント近く低下しているのだ。

★ 背景には私学志向がある。その理由としては、公費助成が整備され、私学進学のハードルが低くなったこと。施設が整備され、面倒見がよく、出口づくり(大学進学先)に努力する私学と公立高校(一言で言えば面倒見が悪い)との差がある。 

★ 公立がどんな生徒も受け入れる。高校全入を是とするなら望ましい傾向ではあるが、慢性的な定員割れの学校が見受けられるのは公費の支出としてどうなのだろうか。

★ 公立高校は概して地盤沈下ではあるが、すべての公立学校がそうではない。一部の学校に生徒が集中している実態がある。もはや高校三原則(男女共学、総合制、小学区制)の時代ではないので、選択の拡大が競争を激化させるのは致し方ないのかも知れない。1980年代に流行った教育への市場原理の導入が浸透し、市場経済と同じく格差が広がっているのかも知れない。

★ 今日の京都新聞、「日曜経済」のページ。京都大学の依田高典さんの記事が面白かった。行動経済学の視点から「8対2」の法則が紹介されていた。いわゆるパレートの法則だ。記事は2割の「変わり者」が時代の変革期には活躍する。「一様な社会では危ない。多様性を備えた寛容な社会でありたいものだ」と締めくくられている。

★ そう考えると慢性的な定員割れの底辺校にもそれなりの役割があるのかも知れない。(もちろん上位2割の進学校にも役割はあるのだろう)。

★ さて、今日は2019年の大学入試センター試験から上林暁さんの「花の精」を読んだ。1940年発表の作品だという。心を病んで長期入院中の妻。「私」は庭の月見草を心の慰めとしていた。ところが庭師がそれを雑草と思って全部抜いてしまった。空虚な毎日を過ごしていた「私」。友に誘われて多摩川を散策し、そこで新たな月見草の株を手に入れる。

★ 私小説なので、主人公の目を通して風景を見、耳を通して風を聞く。センター試験には私小説がよく出題される。
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野上弥生子「秋の一日」から

2021-12-18 14:33:29 | Weblog
★ 「秋の一日」と聞くと、下成佐登子さんの曲を思い浮かべる。コッキーポップ、ポプコン、懐かしいなぁ。

★ さて、野上弥生子さんの「秋の一日」を読んだ。本が見当たらなかったので、2017年度大学入試センター試験問題で読んだ。1912年発表の作品だという。例年秋になると体調を崩す直子。今年は何故か調子が良い。夫が土産に買ってきた手提げかごを下げてピクニックに行くことをした。

★ 幼子と女中を伴って、上野を散策し絵の展覧会に行く。ある絵の前に行き着いたとき、直子は学生時代のあるエピソードを思い起こす。無邪気な仲良しグループ。そのお姉さん分に淑子という人がいた。みんなは暑中休暇の話題で盛り上がっていたが、淑子は気乗りしない。理由を言わず、「秋になれば分る事」とだけ告げる。

★ そして秋になって絵の展覧会に行ってみれば、淑子がモデルの絵が展示してあった。淑子は夏の間、兄のモデルを務めていたのだ。そんな淑子は早く結婚し、そして間もなく亡くなった。「淑子さんはそれから卒業すると間もなくお嫁に行って、そして間もなく亡くなられた。今はもうこの世にない人である」と簡潔に書かれている。簡潔ゆえにジーンと来る。

★ 今、直子が足を止め見入っている絵は、彼女の兄が描いたものだった。

★ かつての女学生も今や母となる。短歌のような美しいリズム、いいタイミングで幼子の声が響く。時に「かアかアかア」とカラスを口真似、裸婦の絵を見ては「おっぱいおっぱい」、最後は虎の絵を見て「とや、とや」と大泣き。上品な地の文と無邪気な子どもの風景が絶妙だと感じた。

★ 年末が迫り、街中は殺気立ってきた。理不尽な事件が相次ぎ、コロナの脅威は来年も続きそうだ。車の量も増え、運転も少々荒い。私のように運動能力が衰えつつある者は一層の注意が必要だ。「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」。懐かしい標語だ。
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牧野信一「地球儀」

2021-12-17 10:26:31 | Weblog
★ 牧野信一の「地球儀」は2013年の大学入試センター試験に出題された。牧野信一というのは明治から昭和初期に生きた人で、39歳の若さで亡くなっている。この作品は1923年に書かれたもので、発表の直後に関東大震災が起こっている。

★ 「地球儀」は祖父の17回忌の法要のため小田原の実家に戻った主人公(純一)の物語。この作品には祖父、父、純一そして生まれたばかりの栄一が登場する。祖父との不仲で純一が生まれてすぐに渡米した父親。10年後に帰宅するも家にはいつかず母親に言わせると「放蕩」に走っているという。物書きをやっている純一もどうやら父と同じ道を歩みそうだ。

★ ウィキペディアによると、父親が帰国後も英語でしか会話しなかったというから、複雑な愛憎の感情がうかがえる。

★ 法要を前にして片づけをしていると押入れから現れた「地球儀」。純一は今書きかけの作品を思い起こす。作中作という構造が難しいが、地球儀を回しながら唱えられる「スピンスピンスピン」の呪文に魅かれる。アメリカにいる父親に会いたいのかそれとも会いたくないのか。

★ そして自分も父親となった。地球がスピンし、世代も移り変わる。そのあたりに私小説でありながら普遍性を感じた。

★ 決してメジャーと言えない作家のメジャーと言えない作品。それでいて、読んでみるとなかなか意味深い。受験者は大変だが、よく選んでくるなぁと感心する。
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加藤幸子「海辺暮らし」

2021-12-15 15:50:25 | Weblog
★ 大学入試センター試験、2011年の国語で採用されたのは加藤幸子さんの「海辺暮らし」。なかなか面白そうなので、この作品が収められている加藤幸子短篇集「自然連禱」で、採用部分の前後も含めて読んだ。

★ 主人公はお治婆さん。漁師をしていた夫には先立たれた。そして夫が漁業権を売った補償金を元手に干潟で駄菓子屋を始めた。夏の間の稼ぎで、お治婆さんと愛猫のルルが冬を越すには十分だった。

★ この干潟にはさまざまな人が訪れる。アイスクリームを配達してくれる学生や命を断とうとやってきた女性など。「海辺暮らし」にはそうしたエピソードが盛り込まれている。

★ 試験で採用されたのは最終章のあたり。お治婆さんが50年住み続けた干潟も工場からの排水で汚染され始めた。水質検査の名目で役所の公害課の職員が月に1回やってくる。どうやらごみ処理施設をつくるため、お治婆さんに立ち退きを迫っているようだ。お治婆さんは役人(お治婆さんは「コーガイさん」とよぶ)を手づくりのアサリの甘露煮でもてなす。役人は干潟のアサリだと聞かされ、少々困惑気味だ。汚染の具合を知っているから。

★ 立ち退きの話になるとお治婆さん、耳が聞こえなくなる(演技なのか、本当に一時的な難聴になったのかはわからない)。仕方なく役人は帰っていく。ところで、汚染物質はお治婆さんやルルの健康をむしばみ始めているようだ。以前、水俣病に冒され、カラダをばたつかせる猫のドキュメンタリー映像を見たことがある。ルルの「ダンス衝動」はその様子に似ている。お治婆さんの視力にも異変が。

★ 「海辺暮らし」は昭和56年(1981年)に発表されている。加藤幸子さんは1982年に「夢の壁」で芥川賞を受賞されているとはいえ、この作品はメジャーではない。最近は戦前の作品が採用されることも多いが、出題者はよく見つけてくるなぁと感心する。
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岡本かの子「快走」

2021-12-14 17:20:27 | Weblog
★ 岡本かの子さんの「快走」は2014年の大学入試センター試験に出題された。青空文庫に作品があったので読んでみた。

★ 「快走」は1938年(昭和13年)に発表されたという。女学校出て、和服を縫ったり家事をしたりと、花嫁修業に明け暮れる道子。息詰まるような家を出て、多摩川沿いを歩いた。冬の陽は早々に沈み、秩父連山が峰を浮き上がらせる。東の空には丸い月が昇り始めた。

★ 堤防にたどり着いた道子は、意を決する。彼女は堤防の上を疾走し始めた。彼女はかつてランニング選手だった。家族には秘密で始めたこのランニング。不審に思った母親は兄たちに尾行を頼むが要領を得ず。遂に父と母が道子の後を追う。いつしかこの二人も駆け出し、ランニングの心地よさを感じる、というもの。

★ 無駄な修飾やひねりもなく、素直に楽しめた。1938年と言えば、すでに日中戦争が始まり、太平洋戦争も目前に迫っていた時代。しかし、まだこうした「ホッ」とする時間があったんだなぁと思った。

★ 2011年に出題された加藤幸子さんの「海辺暮らし」も読んだが、非常に面白かったので、加藤さんの書籍を発注した。今日中に届くというので、次回はこの作品の感想を書こうと思う。
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加賀乙彦「雨の庭」から

2021-12-13 16:39:20 | Weblog
★ 加賀乙彦さんの「雨の庭」は2009年の大学入試センター試験に出題された。

★ ある生命保険会社を実直に勤め上げ、取締役まで昇進したが、定年で退職。その後、苦労の末他社に職を見つけるが10年がたち、70歳ともなれば身体が言うことをきかなくなる。貯えも減り、子どもたちの勧めに応じて100坪の家屋を売却し、高層住宅に転居することになった。

★ 仕方がないこととはいえ、この家は父親の人生そのものであった。不要物を庭で燃やし、それを眺める父親。その感慨を慮ると胸が痛む。

★ 試験問題に挑む18歳あたりの人々にこの思いはわからないだろうねぇ。それもまた仕方がないこと。いつの日か、大学入試問題でこんな問題があったなぁと思い出してもらえばよいか。

★ 加賀さんの作品、作品によっては手に入りにくいものもある。いつの日か「雨の庭」の全文を読んでみたいものだ。

★ 今日は、大学1年生の数学の課題(教職課程をとっているという)と大学4年生の卒論(ジェンダー論をやるらしい)を手伝った。

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堀江敏幸「送り火」

2021-12-13 00:31:27 | Weblog
★ 大学入試センター試験「国語」、2007年に出題された小説は堀江敏幸さんの「送り火」。

★ 父親が亡くなり母親と娘の絹代さんは二人暮らしになった。女性二人だけの暮らしは何かと心細い。昔、養蚕に使っていた20畳ほどの空き部屋があるので、独身女性限定で貸し出すことにした。ところが、その部屋を借りたいとやってきたのは40代の中年男性だった。

★ 男性は書道教室を始めたいので部屋を貸してもらいないかと頼む。最初は女性専用なのでと断っていたが、男性の誠実さに心を動かされて貸すことに。教室を始めてみれば、少しずつながら生徒が増え、最初は不安がっていた母親も子どもたちにお菓子や食事を出すことを生きがいにするようになった。出題範囲は、その母親が心臓発作で亡くなり、男性が絹代さんにそれとなくプロポーズする場面で終わっている。

★ 「送り火」は堀江敏幸さんの「雪沼とその周辺」(新潮文庫)に収められているので、出題部分の前後を読んでみた。この作品、実は回想形式で書かれている。出題部分はその回想部分だ。

★ 「送り火」はそのタイトルから想像されるように、必ずしもハッピーな作品ではない。絹代さんの家族にも予期せぬ不幸が襲う。しかし、その不幸を抱えつつ生きている姿が心を打つ。「スタンス・ドット」にせよ「イラクサの庭」にせよ「河岸段丘」にせよ、この作品集全体が感動的だ。派手なアクションがあるわけではないが人生というものをじんわり感じさせてくれる。

★ さて、「日本沈没 最終回」を観終わった。政府や官僚に視点を置いた独自の演出だったが、それはそれで面白かった。原作が書かれたのは高度成長が終わり、日本が経済的に沈没しそうな時期(1973年)だった。それから、阪神淡路大震災やオウム事件、東日本大震災などフィクションを超えた出来事を私たちは経験してきた。アメリカの同時多発テロや昨今のパンデミックなどもSFの世界の話だった。今回の「日本沈没」は地球温暖化を始めとする地球の環境変化に警鐘を鳴らしている。

★ 作品の中で日本国民のほとんどは海外への移民に成功したようだが、もしどこかの国が沈没するような事態が起きたとき、日本は果たして移民を受け入れるだろうかと考えた。
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加納作次郎「羽織と時計」

2021-12-12 14:21:00 | Weblog
★ 昨年の共通テスト、国語の第二問(小説)は加納作次郎の「羽織と時計」からの出題だった。加納作次郎という作家を私は今まで知らなかった。ウィキペディアによると明治18年(1885年)に生まれ、昭和16年(1941年)に56歳で亡くなったという。

★ 出題されたのは「羽織と時計」の第2章の一部。主人公と同じ出版社に勤めるW君が病のため休職し、主人公はその間いくらかの見舞金を集めたり、仕事を肩代わりした。そのことをW君は非常に感謝し、お礼として紋付の羽織を贈ってくれた。数年して、主人公が社を離れるときには、同僚たちからカネを集めて送別の時計を渡してくれた。これが作品のタイトルとなっている「羽織と時計」である。

★ 社を離れたことで主人公はW君と疎遠になっていった。相変わらず生活に困窮し、更には夫婦共々病の床にあると噂には聞いたが、W君から貰った「羽織と時計」が心の澱となり、敷居を高くしていた。

★ 出題分はここで終わっているが、どうもその前後が気にかかる。とはいえ大正7年の作品で、容易にも手に入りそうにない。あれこれ調べていると、国立国会図書館のデジタルコレクションにあることを知り、早速読んでみた。「羽織と時計」は加納の作品集「世の中へ」に収められている。

★ 仕事と子育てに追われる主人公が訃報の葉書を受け取る所から物語は始まる。葉書によると既に葬儀の日程が過ぎている。ともかく主人公はW君のお宅を訪れることにした。これに続く第2章が出題部分で、先に書いたような主人公とW君との関係が描かれている。

★ 第3章、長らくの無沙汰に躊躇しつつも遂に意を決して、主人公はW君宅を訪れる。そこで目にしたものは荒廃した生活と寝たきりの細君の姿。主人公はその状況にいたたまれなくなり早々に立ち去る。

★ 主人公の内面が伝わってくる。想像以上に面白い作品だった。志賀直哉の「小僧の神様」でも感じたが、施す側、施される側、その心の機微が興味深い。作品の中には劣悪な雇用環境に置かれている労働者を愚痴り、資本主義社会を批判的に捉えているところもある。大正時代にはまだこうした記述が許されたのだと思った。

★ センター試験(共通テスト)には、私小説や内向の世代の作品が多いように感じた。内面描写が多いからだろうか。

★ さて、今日も朝から授業を1コマ。昼からは中3の日曜特訓。合間を見つけて読書。昨日つくった鍋がうまかった。今夜も鍋にしようかな。

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堀辰雄「鼠」

2021-12-11 15:13:31 | Weblog
★ 共通テストまであとひと月余りとなった。英語や古文はそこそこできているのに、現代文に苦労している生徒が結構多い。特に小説の扱いに困っているようだ。中には試験で求められている客観的な読みに反発し、自らの解釈に固執するあまり、得点を逃している子もいる。それはそれで潔いが、試験では苦戦する。

★ そもそも試験にはどんな小説が出題されるのか、江國香織さんの「デューク」(2001年出題)は知っていたが、他はあまり知らない。この際、過去の問題にさかのぼって読んでみようと考えた(中には絶版になっている作品もいくつかあるが)。

★ まずは、堀辰雄さんの「鼠」(2000年出題)。堀辰雄さんと言えば「風立ちぬ」しか知らない。「鼠」は秘密基地をつくりネズミのように遊びに興じる子どもたちの物語だ。

★ 彼らは自宅からこっそり「宝物」を秘密基地に持ち寄った。その中に石膏でできたビーナス像が含まれていたが、少年たちが撫でまわした挙句、手足首がバラバラになってしまった。それから、不思議な出来事が起こるようになったという。虚空に首だけが浮かび上がるというのだ。好奇心と恐怖心。結局彼らはその秘密基地を放棄した。しかし、その怪談には裏があったのだ。

★ 映画「スタンド・バイ・ミー」を思わせるある時期の少年たち。映画もそうだったが、エンディングはちょっぴり切ない。
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今野敏「暁光」

2021-12-10 17:52:52 | Weblog
★ 今野敏さんの「暁光」(日本推理作家協会編「ミステリー傑作選 ライフ」講談社文庫所収)を読んだ。警察小説の名手、今野さんの作品。「機捜235」の1編。

★ 相棒が任務中のけがで離脱中、一緒にペアを組んだベテラン刑事。捜査一課への登竜門である機動捜査隊に、定年間近の配属は異例だった。一見、パッとしない老け顔。しかし見当たり捜査で鍛えた目と見かけによらぬ猛者ぶり(柔道3段、合気道5段)で、犯人逮捕に貢献する。「機捜235」チームの幕開けという感じ。警察官の日常だが、あっという間に読み終えた。映像に浮かぶ作品だった。さて、キャスティングするとすれば誰が良いかな。

★ 朝から来客多数。年の瀬を感じる。

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