3度目の緊急事態宣言。
2度あることは3度ある、
なのか、
はたまた、
3度目の正直、
なのか、
僕はどちらにしても、この堂々巡りのようなことになっている今回の対応にも意味があるのか疑問です。
奈良の県知事も、
だとか。奈良県の荒井知事は特徴的な人物で知られていますが、この件に関しては国の行政に対するひとつの考え方だとは思います。(でもですねぇ…)
このブログの今年年頭の記事では、昨年の4月の段階で法律を変えてでもロックダウンを行っていれば、ということも書いていますが、今からでも強い措置の一つとして「やるんだったらそこまでやってみては?」という声もテレビなどで見かけます。しかし、それをやるにはすでに国民も経済も疲弊しすぎていると思うのです。(だからこそ、昨年4月の段階だと思いますし、十分な補償が必要という話になるのです。)
今回の緊急事態宣言は、前回より強い措置ではありますが、昨年4月の緊急事態宣言時ほど、人出は少なくなっておらず、人々はこの状態に慣れてしまって危機感を持たなくなっています。
本来はこの状態を承けた措置が必要なはずですが、
そうなるとロックダウンを可能とする法律の変更が必要と言いたげなのか、
それは面倒だからやりたくないのか、
そもそもそこまで発想ができていないのか、
法律の変更が必要・不必要の判断も含め、思考停止状態になっているのか、
補償の話もほとんど出ないまま、どうなっているのか、
よくわかりませんが、
どちらにしても、政治の行う措置が意味を成していない結果であり、今の政府には、この国の国民をまとめていく能力が皆無のようです。
このようなこととなり、政治家が現実に頭を使わない分、余計に国民が頭を使っているようです。
今回の緊急事態宣言に対して、たくましい行動を取っているのが見受けられます。
「生活必需品」、「社会(生活)の維持に必要」と解釈の仕方でうまくやっているのがたくましいです。
政治家だって、「募集ではなく募った」に代表されるように言葉遊びのようなことをするのですから、これぐらいやってやればいい。ちょうどいいくらいです。
そうやって、今の政治の実施する措置の隙間を突いてやり、政治家がいかに手ぬるいことをしているか思い知らせてやればいいのです。
そうやって、政治家に現実をわからせて、早く現実にそった有効な措置・手段を取るように仕向けていかねばなりません。
しかし、それでも政治家がわからない場合、政治不信は今よりいっそう進むのではないでしょうか。
さらに言えば、最悪の場合、治安にも影響するかもしれません。
追記。--------
東京の寄席に関しては、その後あらためて都からあった「休業要請」に協議の結果、受諾することとなったそうです。