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街が、人が、あの朝、背負わされたこと。(阪神淡路大震災から30年)

2025年01月18日 16時35分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
鉄人28号モニュメント(若松公園)

遅ればせながら、阪神淡路大震災から30年。
昨日、こちらの記事に追記で書こうと考えていたのですが、「goo blog」の「今日いち(今日の1枚)」という機能であげてしまったので、複数写真をあげると「今日いち」にならないと思ったので、あらためて別記事としてあげます。
写真は、本文とあまり関係ありませんが、先日訪れた時の被害の大きかった新長田周辺の写真です。

大正筋商店街


あの日、大阪に住んでいた僕は、それなりに揺れたあの朝について、たくさんのことを思い出します。
自分の家族が何をしていて、地震でどう行動したのか、30年経っても昨日のことのように思い出されます。
そして、何よりも驚いたのは、NHKのニュースを観ていて、いつまでも神戸の震度が入ってこないこと。高速道路の高架が横倒しになっている映像でした。(この映像を見た時に父がこの地震で死んでいた可能性があることを認識し、それから急に怖くなりました)

六間道商店街

それまで僕が神戸に抱いていたイメージが覆され、街が何かものすごく重いものを背負わされた、神戸が重いものを背負わされてしまった、という感情を持ちました。
またそれは今後長く続くということも。
そしてそれは何よりもその街に住む人々や関係する人々が背負わされたということ。
発災後、神戸方面に住む職場の同僚には出勤できない人がいたり、何とか出勤できる同僚や友人から聞かされる被災の惨状に、都度都度返す言葉に迷うばかりでした。

魏武帝廟

世間はこの30年の日を区切りと言うかもしれませんが、人々の生活はこれからも続いていきます。
背負わされた人々が体験した教訓は人間が自然災害における乗り越える強さであり、神戸の震災の教訓は東日本大震災をはじめ、最近であれば能登半島の地震などの被災地に今なお自然災害における乗り越える強さを先行して提示し続けているように思います。

六間道商店街

そして、それはこれからも次に起こるであろう自然災害に対する教訓として、日本が、世界が受け継いでいかなければならない教訓であり、その教訓はひとりひとりが未来の災害に自分の命を守るために学ぶべきものであり、その学ぶことそのものが「災害への備え」にもなると思います。

丸五市場

また最後に、先日来このブログでも書いていますが、能登半島地震に対する復旧・復興への遅れ、防災庁設置の件など、いわゆる「(防災への)政治の貧困」への有権者としての関心も同じように「災害への備え」への重要な部分と考えます。


まるごの小道

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