非常に気になったので少しだけ。
上記の記事を読んで、「意味がないと言って、ブロック機能をなくすと、X(エックス・旧ツイッター)自体を利用する意味のほうがなくなってしまう。」
と思いました。
X(旧ツイッター)については、利用者数も膨大で使い方も人それぞれです。
自治体などの公共性が高いアカウントや芸能人などの有名人などのアカウントなどで情報を発信する方に重点を置いた使い方であれば、そんなにブロック機能を使う頻度は少ないのかもしれません。しかし、こんな世の中ですのでそれでも必要であったりもします。
ましてや、そのようなアカウント以外のアカウント、特に一般の個人アカウントは、ブロック機能がなくなると、自分の発信するポストの到達先のコントロールができなくなり、すなわちそれは発信自体が気軽にできなくなることを示しており、であればそもそもXの利用価値自体がなくなってしまうことを示しています。
イーロン・マスク氏については以前から、「自分がやることに対しての周りが受ける影響が想像できない人」という印象をもっていて、今回もそれが顕著に出た印象があります。
そもそも最近、他者への想像(存在も含めて)ができない人が多く、生れ出てから一人で生きてきたと思っているようで、そういう人はときどき自身の親の存在自体も否定することがあるようで、それは=(イコール)自分の存在を否定していることすら気づかない人がいて、さらに言えば、先日世界は自分が生まれてから始まっているというぐらいに思っている人がいて、そういう人は世界の過去の歴史というものがフィクションと思っていて何かの物語とでも思っているようで驚愕するのですが、いったい何がそのようにさせるのでしょう?
さて、話を戻しまして、今回ブロック機能がなくなって、Xが使いにくくなり、Threads(スレッズ)もいまいち使いにくい中で、SNS自体が使いにくくなり使わなくなり、そして、なくなったとしても人間としては生きていけるわけで何ら困ることはないのですし、むしろなくなってもらったほうがブロック機能云々以前に世の中にとって良いことなのかもしれません。
そんな風にまで考えてしまうわけですが、それにしても特にXについては、これまでのイーロン・マスク氏による経営に移ってから、「Twitter」から「X」への名称の変更など、その他いろいろ話題に上ったことでユーザーが振り回されているところを考えると、
「X(エックス)じゃなくて、×(バツ=使えない)だったのかな?」
とも思いました。
僕は個人的にビジュアル系に興味はありませんが、あえて、そして、むしろ、もう「X」とは「X JAPAN」のことと強く認識したい気分です。