いまだに残る、「LIVE EARTH」でのYMOの余韻。
「LIVE EARTH」という、そもそも社会運動的なものには、個人的に、いささか懐疑的な印象を持つが、YMOの楽曲を聴くと、やはり体が本能的に反応してしまうわけで、言ってしまえば、もう、唱えられている大義名分など、どうでもよくなってしまう。
かと言って、いまだに残っているその余韻は、その後の生活の中で、そのようなイベントに参加した者としての良心の呵責とでも言おうか、変に電気のスイッチを切ることに執着してしまったり、コンビニに行った時、バックを持ってこなかった自分に妙な罪悪感を感じてしまったりしている。
これは、もう完全にイベント主催者の手中にハマってしまっていると言えよう。
しかしながら、
じゃあ、ライブの最中は熱狂的に盛り上がっていたのか?というと、これも宿病とも言うべきか、僕個人の習性によるものなのだが、どうしても、自分の中で目前の状況に対して非常に冷静に見てしまう部分がある。これは自分で分析するところによると、良く言えば、過去の新聞社のカメラマンだった時期にいろいろと失敗などを経験してきたの中で、どうしても目前の事象を客観的に見てしまうクセがついてしまっていると言える。逆に悪く言えば、その特異で変な経験のせいで、単に捻くれているだけである。
自分の中では、いまいち熱狂的になれないで若干醒めた部分のある自分に腹立たしい気持ちになる。
どこまでも、あまのじゃくなだけだなw。
TB。--------
「junzirog:とりあえず、全行程終了。」
先日もご一緒頂きありがとうございました。
>いまいち熱狂的になれないで若干醒めた部分のある・・・
う~ん、同感です。
今後のコンサート、期待していいのか悪いのか・・・悩みます。
ミクシーにも書いてあったけど、今回世界規模のコンサートということでHASじゃ判らないから、YMOにしたとか・・・一理ありますね。
では、またの再会を楽しみにしています。
まぁ、僕の場合は、特殊だと思うんですね。
確かに、横浜での演奏とは大差がないわけですから、欲を言えば、横浜であれだけ盛り上がってほしかったのは正直な気持ちですね。少なくとも、横浜で感涙しましたが、京都では、そんなことがなかったのも事実なわけです。
しかしながら、今回は形式上、ちゃんと「YMO」なわけで、今後は、フツーにファンとしては素直に期待していいと思いますよ。
>HASじゃ判らない
それも否めないと思いますが、バルセロナ・「sonar」で「HAS」で出ていることと、今回の実際の視聴しているだろう世界の地域を考えれば、そうでもないような。
そう考えるよりも、今回、「YMO」として出たことによって、お三方の「伝家の宝刀」を出してきた、ぐらいの意志を感じ、それだけ気合が入っていて、本気度も高かった、ということかもしれません。(あの場で、わざわざ教授の「War & Peace」をやったことも深い意味があると感じています。)
それは、逆に考えれば、今後の「YMO」は環境・社会活動的イベントでしか見れないということも示唆しているのかもしれないですが…。
それは、純粋に音楽という意味においてはちょっと残念に思われる人もいるかもしれませんが、僕はそれでも仕方ないと思ってますし、社会的活動については除外視させてもらうつもりです。
個人的に、迷いの時期もありましたが、今は、吹っ切れています。お三方で「YMO」でやったとしても、昔の曲をやったとしても、そこに新しいものを追求してくれていれば、僕は満足です。それは、音的にだけじゃなくても。
現に「Rescue」好きですし^^;
SGMTさんも、いろいろ感じて考えているんですよね。
でも、どちらにしても動向には注目でしょ?
また、会いましょうよ!!
っと、
結論みたいなのが出てしまってますが、
何か本文より長くなってしまった。