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坂本龍一さん「最後かもしれない」詐欺?

2022年12月30日 01時32分22秒 | 坂本龍一
東スポさんみたいなタイトルつけてますが…、ま、最後まで読んで下さい。(最後かもしれない?ので。)

今月11日から12日朝に渡って数回ネットで配信されていた、坂本龍一さんのピアノコンサート。

僕は気が進まなかったので、観ておりません。
もちろん、迷いました。元ファンとしては。
直前まで迷っていましたが、配信の数日前動画が公開されコメントを発せられていました。
思っていた以上に声に張りがあり、それほどしんどそうでもない。
今回の配信の情報が解禁された時の触れ込みである「最後かもしれない」に「もしくは最後じゃないかもしれない」をつけ足したくなる想いでした。
そして、新しいアルバムの予告もあり、配信データよりはCD(アナログもあります)のほうが、物として手元に残るほうが良いと思ったので、費用をそちらに振り向け新しいアルバム「12」を予約することを選びました。
また、今回の音源はのちのちCD化なり音源化されるだろうという期待もあります。

実際、当日は母の体調が優れず、それどころではなかったのですが。

さらには、配信後翌々日ぐらいに早々に公開された「戦メリ(Merry Christmas, Mr. Lawrence)」の演奏。

動画を観てみると、これもそんなにこれまでとは遜色のない演奏に安心してしまいました。
確かに少し弱々しいところがあったのは否めないですが、年齢のことを考えると相応な感じもするのです。
これを観ても、「最後じゃないかもしれない」と思いました。

以前にもこちらの記事でも書いたのですが、どうも毎回坂本龍一氏の病状など関連の報道に違和感があり、それについてうまく書くことができないのですが、以前の記事に書いたことも含めて、この報道のされ方が報道各社の主導によるものなのか、それとも彼の事務所の主導によるものなのかハッキリしなくて、それもあって釈然としないのもあるんですが、いちばん僕が嫌なのは彼の事務所がそれも暗に彼の死の直前の状態を「売り物」にしているのであれば非常に残念だな、と。

例えば、生に対する執着を人目もはばからずに見せてくるような、言ってしまえば「無様さ」みたいなものが死を前にした人間から出てきても、それはむしろ非常に自然なはずで人間らしい部分を感じるのですが、そうじゃない。
またそれを見せる人でもないわけですが、それでも「出てきてしまう」「にじみ出てしまう」ところがあったりするものなのですが、ほぼない。

なので、僕が観た範囲では逆に死に対する緊迫感・切迫感がないのです。
ただ、配信された動画は観ていないので、完全にないとは僕には言えません。実際どうだったのでしょう?

あと、もうひとつ気になったのは動画がモノクロだったことです。(最近のcommmnsの坂本龍一関連の動画もそのほとんどがモノクロのようです)
今回どのような意図・狙い・コンセプトによって動画をモノクロにしたのか?僕にははっきりとはわかりません。
推測するに一種の演出だったのか?言い換えると先ほどの「無様さ」を隠すためだったのか?
だとすると、なぜ隠す必要があったのか?
これもまた残念なことではありますが、実際どうだったのかわかりませんし考えるとキリがないです。

というようなことで、僕は現時点では彼の人間的なリアルを感じられないこともあり、これが「最後じゃないかもしれない」との思いを強くしたのです。

いずれにしても、死ぬよりは生きてくれたほうが良いので「最後かもしれない」詐欺で良いのです。もっともっと生きてもらって、また来年配信でもライブしていただいたほうが良いに決まっているじゃないですか!

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