junzirogoo!!!

日々勉強。〈COPYRIGHT © 2004-2024 KANGAWA, ALL RIGHTS RESERVED.〉

約10年ぶりの再会。(藤原新也の聖地。)

2004年05月23日 00時52分00秒 | 「徒然随想。」

先日、大丸ミュージアム梅田で行われていた「藤原新也の聖地」展(大阪・梅田 3月3日~15日)を観に行ってきました。
内容は、いままでの藤原作品の大規模なダイジェスト。藤原さんのファンである僕としては、言ってみれば、観たことのある作品がほとんどなのですが、生のプリントを間近にするのは、実際あまり機会のないことでして、貴重な機会を藤原さんにいただいたと思って観に行ってまいりました。
藤原さんといえば、その写真作品もさることながら、同時に書き綴られてきた文章も忘れてはならないのですが、今回の展覧会では、そちらの方も取り上げられていました。なので、文章を読むのが遅い僕は、ただでさえ写真を観るのに時間をかけていたので、すべてを鑑賞するのにかなりの時間(2時間~2時間半ぐらい)をかかりました。途中で少し休んだほどです。(笑)
そして、別の日に設定されていたサイン会にも行ってきました。
生の藤原さんは、以前、ある講演会で、お目にかかったことがありましたが、もう10年前のことで、その時は目に怪我をされていた関係でサングラスをかけておられたので、ちゃんとお顔を拝見したわけではありませんでした。
サイン会の日に、その列に並ぶ前に僕は、用をすませておこうとトイレに行き、手を洗った後、鏡の前の自分の姿を見、服装のみだれに気付いたので、ズボンのベルトを緩め整えていました。ただ、トイレの入り口から近いため、その姿が外から見えそうだったので、少し奥に立ち位置を変え、「これで、見られても、おっさんぐらいか。」と安心していました。そうすると足音がして、こちらに近付いてきます。「入ってこられても、別にいいか。」と思っていると、そこに男性がひとり入ってきました。入ってきた男性の鏡に写ったその姿をよく見ると、なんとそれは、藤原さんだったのです。「ギョォッ!なんで?こんな時に限って。」とビビリつつも何事もなかったかのように、とりあえず、その場を立ち去っていきました。(大汗。)
そのあと、サイン会で僕の順番がまわってきた時も僕は少しばかりビビっていたのですが、ここは逆にちょっとウケ狙い!でチョロっとトイレでのことを口にしてみたものの、藤原さんは特に覚えている様子はなく、よりむしろ、藤原さんがサインをしている時の緊張感が、非常に印象的でした。
藤原さんは、サインの時、毛筆を用意し、ご自分の名前の他に相手の名前ではなく、円顔の絵を描いてくれます。その一筆描きで一気に描いた円顔の絵は、それ自体に神聖なものを感じ、さらに藤原さんから伝わってくる緊張感が、サイン会をなにか「尊い」もののように感じさせていました。一種の儀式という風に言ってもいいかもしれません。サインしてもらった写真集「花音女」。大切にしています。



さて、それから展覧会は一度、東京でやったあと、今度は京都で行われました。その京都での大丸ミュージアムトーク(講演会)に参加する機会を得ることができました。(抽選で見事、当選!)
当日、母に一言、言われつつも、再び藤原さんを感じるためのテンションを高めながら、電車で大丸京都店に向かいました。
30分前に到着すると、すでに会場前には6人ほど並んでおられ、僕も続けて並んでいましたが、しばらく待っていると、あっと言う間に背後にはかなりの方々が。入口が開き、招待状が送られてきた封筒と引き換えに記念品のポストカード(会場で売っている高精細印刷のポストカード。)をもらい入場。入口は写真展と同じで、つまり写真展の会場の広い部分にイスとちょっとしたステージを並べ、そのまま利用。(作品に囲まれながらお話を聴く。こんなの初めて。非常に贅沢。)藤原さんが座ると思われるステージ上のイスの、最前列の真向いになるイスにそそくさと、かつ地味に座って、藤原さんを待つ。その間、今日はどんな話になるんだろうか?といろいろ考えながら、期待で胸がいっぱい。しばらくすると、簡単な紹介のあと、藤原さんと美術評論家の布施英利(ふせひでと)さんが登場。藤原さんは、前日、チェックしたオフィシャルサイトで書いていたように、頭を丸めておられた。ステージまで歩く途中、ふたりはボソボソ何かしゃべっている。どうも最初に話す予定の話題を最後にまわすように藤原さんから言われたらしい布施さん。ステージのイスに座ってから、少し困った顔をしている。(笑)一方、僕は予定どおり、真向いに藤原さんが座っているので、少し微笑んでいる。そして、藤原さんの着ているTシャツをよく見ると、なんと「David Sylvian」の文字が!
さて話は、もうすぐ夏ということで、海、川、総じて、水。というところから始まりました。
思い返してみると、藤原さんの作品には、インドのガンジス川、門司の海など水辺で撮影された作品、ショットが多い。そして、今年、藤原さんは船舶免許の一級を取得して、ますます、海というものにつながりの深い作家になろうとしている。
始まりは、小さい頃の裏門司での海との関わり。小学生の頃に釣りをしていた時、海に飛んでいったお母さんに買ってもらった帽子。藤原さんの旅は、その帽子を探している旅なのではないか、と聞き手の布施さん。う~ん、興味深いお話。
また、今後、海に一人で航海に出られると、もしかするなら、遭難なんてこともありえるかもしれない。(クワバラ、クワバラ。)すると、あのガンジス川の人骨の写真は、藤原さんが無意識に自分の死後を予兆して撮影されたのかもしれないと布施さんは感じたそうです。それを聞いて藤原さんは、海で行方不明になるのはいいかもしれない、というふうなことを言われ、「あそこにも、ひとり、行方不明になりかけたヤツがいるけどな。」と指差す方向を見ると、そこには、石川直樹さんが、僕らと同じように座って藤原さんのお話を聞いておられた。
僕はそのときはよく存じ上げなかったのだけれど、若き冒険家で、今年1月、熱気球による大平洋横断に挑まれたが、途中で飛行を断念、日本から1600キロ離れた地点の大平洋上に着水したものの、無事、帰国した。その時、藤原さんは、「もう、石川君もダメか?」と思われていたらしい。
そして話は、今日、僕が一番聞きたかった事にふれた。それは、今後、藤原さんの作品がどのような展開になっていくのか。それは、やはり、船舶免許を取得されたこともあって、陸を離れ、海へ。それに伴い、写真よりは文章が増えるだろう、とのこと。「やはり、写真ではむずかしい、文章が多くなるだろう。」
予定は1時間の講演会でしたが、そんなことはないだろうと予想してまして、質疑応答も含めて、やはり1時間半を少しオーバー。質問もじっくり聞き入り、真摯に答えるその姿は、いまさらながら、尊敬に値するとあらためて思いました。
終わってから、もう一度、作品を一通り見直しました。(講演が終わったからといって、すぐ追い出さないところは、さすが、大丸さん!)見ていて、やはり、今回、僕はかなり貴重な機会を手にしたんだな。と再認識しました。出口で、会場をあとにされる藤原さんに遭遇。思わず藤原さんに「ありがとうございました。」と、一言、お礼を言わせていただきました。
今回、不景気な昨今でも、このような企画を続ける企業があることをあらためて知って感心したのと同時に、ディープに藤原さんとその作品にふれることができ、また、非常に贅沢な時間を過ごすことができたことに感謝したいです。この場ではございますが、藤原さんとこの展覧会に関わったすべての方々に感謝いたします。

大丸京都店地下入り口にて。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おつかれさまでした。 | トップ | 一夜明けて、思ったこと。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

「徒然随想。」」カテゴリの最新記事