先月30日、立憲民主党代表選挙が行われ、泉健太氏が選出されました。
今回の代表選挙は特にこれといって注目していたわけではありませんでした。
そもそもタイトルにもしたように、すでに立憲民主党という政党にあまり期待をしていなかったということがあります。
理由は、以前にもこのブログで書いているかもしれないですが、
2017年に枝野幸男氏によって立ち上がった当初、民進党分裂の教訓もあってか、党の政策や理念に完全に同意していただける人しか入党を許可しない旨の発言があり、厳密にそれを守っていたと思います。
それが、いつからか、安倍政権の酷さもあって早急に政権交代するために手段を選ばないような方向に変わっていきました。
その延長線上に日本共産党との「共闘」の話も出てきたのだろうと思います。
もちろん、選挙戦略としての「共闘」の部分は否定しませんが、僕個人は以前から日本共産党には部分的に不信感をもっており、基本的には支持していません。
そんな流れの中で、2019年の大阪12区補欠選挙では、野党共闘候補であった宮本岳志氏は共産党所属でありながら他野党の推薦を得るために無所属で立候補されましたが、やはりそもそもは共産党の「看板政治家」であることは変わりはありません。そういった情勢もありマスコミにも大きく取り上げられる選挙戦でした。
しかしながら、立憲民主党の立ち回り方は非常に「どっちつかず」、「中途半端」でした。元民主党のベテラン政治家といえる樽床伸二氏も立候補している中で、枝野氏は宮本氏の事務所を訪問するのみで応援演説はせず、どうしても僕は違和感を感じざるを得ず、結果やはり惨敗。
先の衆議院議員選挙の結果を暗示していたのかもしれません。
この「どっちもつかず」でいえば、当時からリベラルではなく「保守」を自称していた枝野氏。
だからこそ、共産党へもガッツリではなく、また逆に樽床氏も希望の党の件や小沢一郎氏との関係の件もあってか?「スルー」のような状態で、結局この選挙の時間だけを過ぎるのを待っているような態度でした。
最終的には僕個人は、昨年の旧国民民主党や社民党の議員の多くと合流し、新しい現在の立憲民主党が発足した時点で、当初の、党の政策や理念に完全に同意していただける人しか入党を許可しない旨の発言から大きくかけ離れた状態となり、これがまた次の離散を必ず生むと考え、この時点で立憲民主党への期待感は完全に消え失せました。
その後も、
先の衆議院議員選挙も共産党との「共闘」は茶を濁すような雰囲気で、事前に取りざたされた東京8区での山本太郎氏の件も、立憲民主党の代表として明確に責任を負う発言はありませんでした。
それと最近聞いたものでも、2017年の立憲民主党の発足当時にいち早く手を挙げた某元議員を「排除」していた話など、党代表としての枝野氏自身の指導力の欠如を感じざるを得ない話が多いのです。
そんな枝野氏も今回党代表から退き泉健太新代表となって、今後立憲民主党が変わる可能性があるにはあり、一応、野党第一党ですので注視しつづけなければいけないですが、良くなれば期待も出てくるでしょうが、同じであったり悪くなったり、それでまた代表が代わり、それがまた枝野氏で「また『輪番制』ですか?」と思ってしまわざるを得ない状態になれば、それはそれでまた忌々しき事態です。
衆議院議員選挙前、こちらの記事でも書きましたが、本当は野党はそんなことをやっている場合ではなく、特に野党第一党の立憲民主党は早く成熟した政治勢力として政権を担えるだけの「政権担当能力」を持たないといけません。そのためには理念ばかりに固執したり先走るのではなく、現実の国民生活のための柔軟な立ち回りを身につけなければならないと思います。
ただ、それができるようになるのか?その能力があるのか?僕もわかりません。
それどころか、衆議院選挙後、その結果から「共闘」の意義の有無などについての意見の隔たりが言われ、「分党すればいい」などという声もチラホラ。
連合との関係も微妙です。(連合自体にも問題がありますが)
前述のこちらの記事にも書きましたが、本当に「その次はない」のかもしれません。
先日お亡くなりになった瀬戸内寂聴さんが、8年ほど前「FREEDOMMUNE 0<ZERO>」で行われた法話で、今の時代の雰囲気は昭和15~16年頃と同じという旨の発言をしておられました。
要は、昭和16年(1941年)12月8日の太平洋戦争直前であり、このままだとまた戦争の忌まわしい時代がやってくるかもしれないということです。
忌野清志郎さんも大地震(大災害)のあとには戦争がやってくると仰っていました。
今の野党がこのままだといずれ大政翼賛会を連想するわけで、そうなれば戦争も同時に連想されます。
日本が、国民が、戦争に巻き込まれたくないのであれば、それは立憲民主党がしっかりした政党にならなければならないわけで、それは立憲民主党次第のところもありながら、実は同時にそれは国民次第であることもすかさず言い及んでおかないといけません。
旧民主党政権を「悪夢」と言っていてはいけないのです。むしろ「悪夢」は今かもしれませんし、これから始まるのかもしれません。
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