いま一番はまっている旅が「街道歩き」です。
街道歩きのおもしろいところは、歴史に、文化に、自然に、そして、人に出会えることです。
妄想をたくましくすれば、いろいろなものが見えてきます。
かつて、鑑真和上が、豊臣秀長が、芭蕉が、そして多くの庶民が歩いた街道を歩いてみましょう。
今回は「伊勢街道(暗越奈良街道 くらがりごえならかいどう)」を歩きます。
実際に歩いたのは、以下の通りです。
1回目(2013.4.21) 八軒家~玉造~布施<半日コース>
2回目(2013.7.15) 深江~枚岡神社<半日コース>
3回目(2013.10.27) 枚岡神社~奈良<1日コース>
玉造から出発です。玉造駅のすぐそばに、二軒茶屋跡の石碑が立っています。昔の旅人は、ここで身支度を整え、旅立ったことでしょう。
今はビルが建て込んで、生駒山は見えませんが、当時は、よく見えていたと思います。
(環状線 玉造駅付近)
しばらく歩くと、今里です。ここで、りっぱな街道解説板に出会いました。
要約すると、「古くは鑑真和上や、戦国時代には豊臣秀長が、1694年には松尾芭蕉がここを通った。大和川の付け替えで、沿道の景色は一変し、多くの川や沼が消え、豊かな綿畑に代わった。1705年伊勢参りが爆発的に流行して、一日に七万人がこの道を伊勢に向かった。」等のことが書かれていました。
(大今里あたりの雰囲気のある旧街道)
ここで妄想力を働かせてみましょう。
今はびっしり家が建て込んでいますが、当時は所々に集落があった程度で、道の回りは一面の綿畑です。(イメージはアメリカの南部のコットンフィールド?)前方には、めざす生駒山がはっきり見えます。
おや、向こうからやってくるのは、芭蕉さんではありませんか。気のせいか元気がありません。(この2ヶ月後、堺で亡くなるのですが…。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」)
そんな妄想を働かせながら歩いているうちに、花園ラグビー場のあるあたりにやって来ました。
ここまで来ると、めざす生駒山と暗峠(真ん中の少し低くなっている所)がはっきりみえます。
もう少し前あたりからでも見えたのですが、ビルやら看板(日本国中どこに行っても同じ、品の無い看板)が邪魔で写す気にもなれませんでした。
今回の旅は、ここまでです。都会の中にかすかに残る街道を探しながらの旅でした。(ネットを調べると多くの情報を得られます。)国道と重なっているところもあり、車もたくさん走っています。
それでも、所々に古い道しるべがあったり、お地蔵さんがあったりと、心が和みます。
(文化三年の笠灯籠型道標 「左 いせ なら 道」)
次回は暗峠を越えて奈良に向かいます。
街道歩きのおもしろいところは、歴史に、文化に、自然に、そして、人に出会えることです。
妄想をたくましくすれば、いろいろなものが見えてきます。
かつて、鑑真和上が、豊臣秀長が、芭蕉が、そして多くの庶民が歩いた街道を歩いてみましょう。
今回は「伊勢街道(暗越奈良街道 くらがりごえならかいどう)」を歩きます。
実際に歩いたのは、以下の通りです。
1回目(2013.4.21) 八軒家~玉造~布施<半日コース>
2回目(2013.7.15) 深江~枚岡神社<半日コース>
3回目(2013.10.27) 枚岡神社~奈良<1日コース>
玉造から出発です。玉造駅のすぐそばに、二軒茶屋跡の石碑が立っています。昔の旅人は、ここで身支度を整え、旅立ったことでしょう。
今はビルが建て込んで、生駒山は見えませんが、当時は、よく見えていたと思います。
(環状線 玉造駅付近)
しばらく歩くと、今里です。ここで、りっぱな街道解説板に出会いました。
要約すると、「古くは鑑真和上や、戦国時代には豊臣秀長が、1694年には松尾芭蕉がここを通った。大和川の付け替えで、沿道の景色は一変し、多くの川や沼が消え、豊かな綿畑に代わった。1705年伊勢参りが爆発的に流行して、一日に七万人がこの道を伊勢に向かった。」等のことが書かれていました。
(大今里あたりの雰囲気のある旧街道)
ここで妄想力を働かせてみましょう。
今はびっしり家が建て込んでいますが、当時は所々に集落があった程度で、道の回りは一面の綿畑です。(イメージはアメリカの南部のコットンフィールド?)前方には、めざす生駒山がはっきり見えます。
おや、向こうからやってくるのは、芭蕉さんではありませんか。気のせいか元気がありません。(この2ヶ月後、堺で亡くなるのですが…。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」)
そんな妄想を働かせながら歩いているうちに、花園ラグビー場のあるあたりにやって来ました。
ここまで来ると、めざす生駒山と暗峠(真ん中の少し低くなっている所)がはっきりみえます。
もう少し前あたりからでも見えたのですが、ビルやら看板(日本国中どこに行っても同じ、品の無い看板)が邪魔で写す気にもなれませんでした。
今回の旅は、ここまでです。都会の中にかすかに残る街道を探しながらの旅でした。(ネットを調べると多くの情報を得られます。)国道と重なっているところもあり、車もたくさん走っています。
それでも、所々に古い道しるべがあったり、お地蔵さんがあったりと、心が和みます。
(文化三年の笠灯籠型道標 「左 いせ なら 道」)
次回は暗峠を越えて奈良に向かいます。