人生とは、パラシュートを背負わずに飛び出すスカイダイビングみたいなものだ。
人は、自分がイメージしているよりずっと速いスピードで死へと向かっていることに気づくべき。
ダイビングの途中、調子にのって宙返りをしたり、誰かと手をつないで輪になってみたりするかも知れないけれど、できることは所詮、その程度のこと。
何か意味のある人生にしたいと思うこと自体が無意味なのだ。
大阪を作ったあの豊臣秀吉でさえ、
「露と落ち、露と消えにし、わが身かな なにわのことも夢のまた夢」
としたためてこの世を去った。
社会で何かをなしえたとしても、それはほんの一時期のことであり、しょせん空しい出来事なのだ。
結局のところ、人生は自己満足でしかない。
死ぬ間際に「あー面白かった」で終われれば、その人が生前に「意味のあること」をなしえたか否かに関わらず、その人生は最良だったのである。
明日死ぬとしたら、今日あなたがやり残していることは何だろう。
人生の半ばを過ぎて、思いもよらない体の不調を自覚するとき、
自分にも、死へのタイマーが組み込まれてることを自覚する。
いままで、死ななかった人はいないのだ。
人は死んだら生まれる前の状態に戻る。
体は土に返り、意識は消滅し、記憶はDNAで次の世代に引き継がれる。
死は再生の仕組みだ。
ひとつの体を何百年、何千年と使い続ける代わりに、DNAを受け渡して心身を再構築する仕組みだ。
そのほうが長く生き続けられるのだ。
「生き続ける」っていったい誰が?
生き物には、個々の寿命の外側に、もっと大きな生命サイクルがある。
種にとっては、個体の寿命より、そのサイクルの方がずっと大切なのだ。
結論:
人生はあっという間に過ぎてゆく。
その一瞬の中で何か、意味のあることをやりたいと思うこと自体に無理がある。
人生に意味を与えるのは、他人の評価ではなく、自己満足である。
明日死んでもまあいいかな、と思えるなら、今、あなたは最良の人生を歩んでいる。