やまめの庭つくり

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

東福寺 霊雲院

2012-11-11 | 京都庭園紀行
気がつけばアクセス数が40000件を超えていましたkirakira2
いつも見に来てくれる方々,ありがとうございます~

さて,東福寺の塔頭で最後に訪れたのは霊雲院.

ここまで予定の倍以上時間を費やしてしまった二人は,一日の予定を大幅に見直さなければならなくなり,内心あせりつつも,あとひとつ!と欲張り,見学することに.

例によって自分たち以外にほぼ人がいない中での見学となり,心ゆくまでゆっくり見ることが出来ました.

この霊雲院ははじめ不二庵と称し,室町時代の1390年に開かれた塔頭寺院です.





書院前の庭は遺愛石upという,須弥台と石船が白砂の砂紋の中央にある,珍しい庭で,「九山八海の庭」というそうです.

遺愛石が須弥山を表し,仏を中心にした壮大な世界を表しているとのこと.





元々「都林泉名勝図会」に紹介されていた名庭だそうですが,すっかり荒廃してしまっていたところ,近年重森三玲氏によって修復されたそうです.


小書院から茶室にかかる庭は「臥雲の庭」と呼ばれています.1970年(昭和45年)に重森三玲氏が作庭したものです.

茶室から眼下に悠然と湧く雲に身を委ね,雲上に喫茶する無心の境地に誘う,そんなお庭だそうです.



雲も水もただ無心に何にもこだわらず,ただ悠々と来て,ただ去る,その美しさを表現しているのだそうです.

白砂と赤砂,ベンガラを混ぜた赤いコンクリートで水の流れと夕日に輝く雲を表現しているようです.

こういうの,アリなんだ・・・と素直に驚きました.



ただ無心に悠々と・・・という心境のわりには,ぐいぐいと何か「念」のようなものが込められているように感じるのですが,いかがでしょう?

ちなみに,パンフレットにのっている砂紋と全く違っているのも面白い.

お坊さんによって心の内が異なっているということですよね.



東福寺 普門院

2012-11-10 | 京都庭園紀行
通天橋からつながる開山堂と普門院は,開山国師(聖一国師)が祀られているお堂と,国師常住の方丈ということです.

まず,参道をまっすぐに行かずに左手に折れ,西側からの普門院から見学することになっていました.

普門院の前庭になる枯山水の庭園が現れ,まっしろな市松模様の砂紋が奥まで続いていました.

枯山水の向こう側,参道を挟んで築山池泉庭園が背景に見ることが出来ます.



右の方に,鶴島,亀島を象った石組みを配して蓬莱山水を表しています.

この庭園だけで大体100坪あるそうです.





雨がひどく,雨宿りも兼ねてのんびり座って見学.

意外と若者が多い・・・余談ですが,カップルも結構見かけましたanimal4



参道まで歩いていって見ると,こんな感じです.

築山の斜面を使ってこちらも蓬莱思想を具現化しているのではないかと思います.

一つ一つの石が仏様とかその眷属とか・・・

でも,何となく石組みとしての勢いみたいなものはなく,立石,平石などがばらばらな印象をうけました.






ちなみに2つの庭園は,禅院式と武家書院式とを調和させた江戸中期の代表的な名園とされているそうです.


up開山堂

参道は大きな青石が敷かれていました.

雨に濡れると水の上を歩いているように見えますね.





それにしても,東福寺方丈の北庭の市松模様は,東に向かうにつれて市松模様がまばらになり,インドから仏教が伝播していって日本に伝わった様を表現してたそうですが,江戸中期に作庭された庭園の市松模様というのは,どのような意味合いがあるのでしょうか.

やはり何か仏教と関係が?

まさか「美」を意識して・・・という訳じゃないでしょうし~alienquestion




東福寺 通天橋

2012-11-09 | 京都庭園紀行
通天橋は,東福寺の方丈と開山堂を結んで架かる橋で,ちょうど今頃駅などで京都の紅葉を見に行こう,的なポスターに真っ赤なモミジに囲まれたこの橋の写真が使われています.

近くに行くまでどこに橋が架かっているのかよくわかっていませんでしたが,方丈を見学しているときに,渡り廊下のような橋が山の中に浮かんでいるように見えましたdown



この通天橋は紅葉の名所だそうですが,残念ながらちょっと早くて本来のすごさは体験できませんでしたが,高い場所を歩くのはそれなりに楽しいものです.

通行料?200円支払って歩き出しました.最初はこんな回廊のような,屋根のついた石畳という感じです.



途中のちょっと広くなった場所から,更に下流に架かる臥雲橋を望む.

この緑の木々があと2週間くらいしたら真っ赤になることでしょう.



ちなみに下流の臥雲橋は通天橋と比べるとかなり小振りです.



臥雲橋から,通天橋を見たところ.



絵になる光景ですね~yellow11





東福寺 方丈の庭

2012-11-08 | 京都庭園紀行
いよいよ,東福寺の方丈庭「八相の庭」,重森三玲氏の代表作といわれるお庭へ.

まず東庭.



円柱の石は北斗七星に見立てたもので東司の柱石の余り石を利用したものだそうです.

生け垣を天の川に見立てて小宇宙を表現したといわれています.

石で北斗七星を庭の中心に作り出してしまうなんて,ずいぶんわかりやすくも大胆な発想だと思いました.

次,西庭.





これは確かに植物と砂で構成されていますが,生き物というより,緑色の立体です.
幾何学的な市松模様は古代中国の田制「井田」にちなみ,「井田市松」と呼ばれているそうです.

苔のカーブがきつすぎます・・・絵画のようなラインですね.


北庭.



石と苔で作られた市松模様が,東に向かうにつれてまばらになっていくとても印象の強い庭です.西から仏教が伝来して日本に伝わっていく様を表現したということです.

幾何学的で規則的な模様の繰り返しは,人工的で,信仰の力強さを表しているような気がしました.

昔から市松模様は庭や建築,着物などに取り入れられていたことを考えると,めずらしい意匠ではないのかも知れませんが,だんだんまばらに希薄になっていくような配置が新しいのかもしれませんね.

苔はウマスギゴケ.

このデザインを色々な人が真似ている気がします.
それだけインパクトがあるデザインだということなのでしょう.

苔が盛り上がってモコモコな感じでしたが,あの四角を維持するには手入れが大変なんでしょうね・・・yellow22symbol6

南庭



廊下を左手から歩いてくると,こんな感じに石組みから現れてきます.

18尺ある横長の石は写真では全く伝わりませんが,質感,重量感からくる迫力はかなりすごいし,石の迫力をひしひしと感じました.



ただ,ちょっと離れて見てみると,本当は蓬莱神仙思想を表現しているのに,やまめには大きな鯨のような魚がうれしそうに群れているようにしか見えませんでした.

水面からヒレを出して・・・fish






東福寺 光明院

2012-11-08 | 京都庭園紀行
東福寺の塔頭のひとつ,光明院(こうみょういん)は,日下門に向かって右手に東福寺の敷地に沿って歩いて行くこと5分程度.



虹の苔寺ともいわれ,主庭は1939年に重森三玲氏が作庭した「波心庭」という枯山水の庭です.

入口にこんな看板があったので,「是非!」と良いながら門をくぐりました.



開け放たれた障子からまず目に飛び込んできたのはたくさんの立石たちと,苔.



本堂,書院,茶室と縁を歩いていくと,目の前に広がる立石の表情が変わっていくように感じました.



大小75の石を使っているそうで,三尊石が3組,庭全体としても三尊を構成するようになっているとのことです.



三尊石の主石から放射状にすべての石が並べられ,光明が放たれる様を石で表現したそうです.

苔に隠れてしまっていますが,よく見ると州浜があり,枯山水に州浜を取り入れた最初の例ということでした.

そして,白砂が海洋を表しているのも初の例だそうです.




サツキやツツジによる大刈り込みは雲紋を表しているとのこと.





石がみんな三尊石に向かって立っている・・・これが気勢というものかとAIちゃんと石の「気」を感じたのでした.

やまめは,石同士が会話をしているように見え,お互いに見えない何かで関連しあっている様な庭に見えました.