kaneurikichiji は仕事柄、全国各地の遺跡やお寺・神社に(もちろん自費で)行くことが多いです。
このブログをいつも見て下さっている常連の皆さんは、先月、kaneurikichiji が8(車中)泊9日の遺跡見学ツアーをしていたのをご存じと思います。
お寺や神社を見学することについては、たいていの人が理解をしてくれます。
が、遺跡となると何もないところがほとんどなので、人によっては「野っ原を見に行って何が面白いの?」なんて聞いてきます。
まぁ、説明しても分かってくれないので、「仕事柄・・・」なんてごまかしています。
ただ、去年、奈良の平城宮に復元された大極殿(のような建物)が、ひと山越えた木津川市にもあったと想像するだけでなんか面白くないですか?
その理由は次の通り。
時は天平。
詳しいことは省きますが、奈良にあった大極殿を現在の木津川市に移築されたのです。
『続日本紀』という歴史書はその時のことをこう記しています。
平城の大極殿ならびに歩廊を壊ちて恭仁宮(くにのみや)に遷し造ること四年・・・
平城宮跡の大極殿は、第1次と第2次の2つあって、恭仁宮に移築されたのは第1次の方。
そして、昨年復元されたのはその第1次。
そうした、ちょっとしたことを知っていれば、想像をふくらませることができるのです。
おなかいっぱいにはなりませんが・・・
ここまで劇的ではなくても、皆さんの身近にも、歴史はあります。
それを見つけるのも面白いと思いませんか?
皆さんの目の前に広がっているのは、ただの「野っ原」ではないんですよ。
恭仁宮大極殿跡(左)には、こんな建物があったのです(復元大極殿)。
おまけ。建設中の復元大極殿。見えるのは覆い屋ですが・・・。
このブログをいつも見て下さっている常連の皆さんは、先月、kaneurikichiji が8(車中)泊9日の遺跡見学ツアーをしていたのをご存じと思います。
お寺や神社を見学することについては、たいていの人が理解をしてくれます。
が、遺跡となると何もないところがほとんどなので、人によっては「野っ原を見に行って何が面白いの?」なんて聞いてきます。
まぁ、説明しても分かってくれないので、「仕事柄・・・」なんてごまかしています。
ただ、去年、奈良の平城宮に復元された大極殿(のような建物)が、ひと山越えた木津川市にもあったと想像するだけでなんか面白くないですか?
その理由は次の通り。
時は天平。
詳しいことは省きますが、奈良にあった大極殿を現在の木津川市に移築されたのです。
『続日本紀』という歴史書はその時のことをこう記しています。
平城の大極殿ならびに歩廊を壊ちて恭仁宮(くにのみや)に遷し造ること四年・・・
平城宮跡の大極殿は、第1次と第2次の2つあって、恭仁宮に移築されたのは第1次の方。
そして、昨年復元されたのはその第1次。
そうした、ちょっとしたことを知っていれば、想像をふくらませることができるのです。
おなかいっぱいにはなりませんが・・・
ここまで劇的ではなくても、皆さんの身近にも、歴史はあります。
それを見つけるのも面白いと思いませんか?
皆さんの目の前に広がっているのは、ただの「野っ原」ではないんですよ。
恭仁宮大極殿跡(左)には、こんな建物があったのです(復元大極殿)。
おまけ。建設中の復元大極殿。見えるのは覆い屋ですが・・・。