橋本舘をチェックアウトして、気分よく南相馬に向かった kaneurikichiji 。
その理由は・・・・・
国史跡 観音堂石仏の発掘調査現地説明会に参加するため。
観音堂石仏は、すぐ近くの薬師堂石仏・阿弥陀堂石仏と合わせて、大悲山(だいひさん)の石仏ともよばれ、大分県臼杵市の臼杵磨崖仏、栃木県宇都宮市の大谷磨崖仏と並んで、日本三大磨崖仏とされています。
観音堂石仏は、史跡保護のため覆屋(おおいや)が掛けられていましたが、東北地方太平洋沖地震とその余震で崩壊。
福島第一原子力発電所から約20kmの場所にあるため、当初は警戒区域(立ち入りが禁止される)、現在では避難指示解除準備区域(立ち入ることはできるけれども、宿泊することはできない)になっていて、なかなか覆屋の復旧ができませんでした。
しかし、去年から計画が立てられ、復旧に向けて進み始め、今年度は新しい覆屋建設に先立って発掘調査が行われたのです。
大悲山の石仏は、平安時代に造られたのだろうと言われていたのですが、実は確かなことは分かっていませんでした。
左が石仏の前の空間を掘り下げた部分の断面。一番下から右の土器などが出土したようです。
それが今回、発掘調査が行われて、石仏の前の空間から10世紀前半の土器が出土して、この頃には石仏が存在していたことがほぼ確実となりました。
石仏の説明もあり、首から下が風化のため失われていますが、残った部分から十一面千手観音坐像と推測され、しかも頭の上に手で小さな観音像を支えていることから、京都の清水寺の本尊と同じタイプだとのこと。
いろいろ勉強になりました。
でも、それ以上に心に残ったのは、そういうことではなく、説明会資料の最後のページに記されていた文章です。
『 大悲山の石仏は、震災以前から長期的な劣化が懸念されてきました。
復旧事業が終了した後には、劣化の原因をつきとめ、保存環境の抜本的な
改善を進めていきます。
復旧は前にあったものを元通りにすること。
復興は前よりよくすること。
今後、南相馬市の復興とともに、地域の文化財の復興にご注目下さい。 』
これだけ熱心な地域住民の方々と、熱意ある文化財担当者がいれば、必ずや復興されるはずと、kaneurikichiji は信じています。
その理由は・・・・・
国史跡 観音堂石仏の発掘調査現地説明会に参加するため。
観音堂石仏は、すぐ近くの薬師堂石仏・阿弥陀堂石仏と合わせて、大悲山(だいひさん)の石仏ともよばれ、大分県臼杵市の臼杵磨崖仏、栃木県宇都宮市の大谷磨崖仏と並んで、日本三大磨崖仏とされています。
観音堂石仏は、史跡保護のため覆屋(おおいや)が掛けられていましたが、東北地方太平洋沖地震とその余震で崩壊。
福島第一原子力発電所から約20kmの場所にあるため、当初は警戒区域(立ち入りが禁止される)、現在では避難指示解除準備区域(立ち入ることはできるけれども、宿泊することはできない)になっていて、なかなか覆屋の復旧ができませんでした。
しかし、去年から計画が立てられ、復旧に向けて進み始め、今年度は新しい覆屋建設に先立って発掘調査が行われたのです。
大悲山の石仏は、平安時代に造られたのだろうと言われていたのですが、実は確かなことは分かっていませんでした。
左が石仏の前の空間を掘り下げた部分の断面。一番下から右の土器などが出土したようです。
それが今回、発掘調査が行われて、石仏の前の空間から10世紀前半の土器が出土して、この頃には石仏が存在していたことがほぼ確実となりました。
石仏の説明もあり、首から下が風化のため失われていますが、残った部分から十一面千手観音坐像と推測され、しかも頭の上に手で小さな観音像を支えていることから、京都の清水寺の本尊と同じタイプだとのこと。
いろいろ勉強になりました。
でも、それ以上に心に残ったのは、そういうことではなく、説明会資料の最後のページに記されていた文章です。
『 大悲山の石仏は、震災以前から長期的な劣化が懸念されてきました。
復旧事業が終了した後には、劣化の原因をつきとめ、保存環境の抜本的な
改善を進めていきます。
復旧は前にあったものを元通りにすること。
復興は前よりよくすること。
今後、南相馬市の復興とともに、地域の文化財の復興にご注目下さい。 』
これだけ熱心な地域住民の方々と、熱意ある文化財担当者がいれば、必ずや復興されるはずと、kaneurikichiji は信じています。