かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

まずは復旧、そして復興へ~南相馬市・観音堂石仏へ行ってきました

2013年12月18日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
橋本舘をチェックアウトして、気分よく南相馬に向かった kaneurikichiji 。

その理由は・・・・・



国史跡 観音堂石仏の発掘調査現地説明会に参加するため。

観音堂石仏は、すぐ近くの薬師堂石仏・阿弥陀堂石仏と合わせて、大悲山(だいひさん)の石仏ともよばれ、大分県臼杵市の臼杵磨崖仏、栃木県宇都宮市の大谷磨崖仏と並んで、日本三大磨崖仏とされています。

観音堂石仏は、史跡保護のため覆屋(おおいや)が掛けられていましたが、東北地方太平洋沖地震とその余震で崩壊。

福島第一原子力発電所から約20kmの場所にあるため、当初は警戒区域(立ち入りが禁止される)、現在では避難指示解除準備区域(立ち入ることはできるけれども、宿泊することはできない)になっていて、なかなか覆屋の復旧ができませんでした。

しかし、去年から計画が立てられ、復旧に向けて進み始め、今年度は新しい覆屋建設に先立って発掘調査が行われたのです。

大悲山の石仏は、平安時代に造られたのだろうと言われていたのですが、実は確かなことは分かっていませんでした。

 
左が石仏の前の空間を掘り下げた部分の断面。一番下から右の土器などが出土したようです。

それが今回、発掘調査が行われて、石仏の前の空間から10世紀前半の土器が出土して、この頃には石仏が存在していたことがほぼ確実となりました。



石仏の説明もあり、首から下が風化のため失われていますが、残った部分から十一面千手観音坐像と推測され、しかも頭の上に手で小さな観音像を支えていることから、京都の清水寺の本尊と同じタイプだとのこと。

いろいろ勉強になりました。

でも、それ以上に心に残ったのは、そういうことではなく、説明会資料の最後のページに記されていた文章です。

  『 大悲山の石仏は、震災以前から長期的な劣化が懸念されてきました。
   復旧事業が終了した後には、劣化の原因をつきとめ、保存環境の抜本的な
   改善を進めていきます。
    復旧は前にあったものを元通りにすること。
    復興は前よりよくすること。
   今後、南相馬市の復興とともに、地域の文化財の復興にご注目下さい。  』


 

これだけ熱心な地域住民の方々と、熱意ある文化財担当者がいれば、必ずや復興されるはずと、kaneurikichiji は信じています。
コメント
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