発掘調査が行われていたのは観音堂石仏だけでしたが、同時に薬師堂石仏の説明もしていただきました。

こちらの覆堂は健在。
堂内に入り、引き戸を越えると・・・・・

目の前にお仏様が。
かなりの迫力です。
臼杵磨崖仏は見たことがないのですが、今まで見たことのある磨崖仏、大谷磨崖仏、

富山は上市町の日石寺や、

奈良は室生寺近くの大野寺磨崖仏に比べて、かなり間近で拝むことができます。
実はこの仏様、厳密にはどんな尊格は不明と言うしかないようですが、言い伝えで『薬師堂』と言われているので、薬師如来としてよいのでしょう。
説明されていた方も、そのようにおっしゃっていました。
造られた時期は、これも不明ですが、首が太く、肩も張っていて、量感が豊かなことから、いわゆる貞観仏に近いものがあるようです。
世紀でいえば9世紀中頃から後半にかけてでしょうか。
観音堂石仏に少し先行するのかもしれませんが、差はそれほど大きくないようです。

本尊の他に・・・
こちらは本尊に向かってすぐ右側の浮彫の像
浮彫の像が五体、線刻の像が四体。
観音堂石仏にも彩色が残っていましたが、薬師堂石仏のはそれよりさらによい保存状態でした。
こんな間近で見られる磨崖仏は貴重です。
避難指示が解除されて、自由に見学できる日が一日も早く訪れますように、心から祈っています。

こちらの覆堂は健在。
堂内に入り、引き戸を越えると・・・・・

目の前にお仏様が。
かなりの迫力です。
臼杵磨崖仏は見たことがないのですが、今まで見たことのある磨崖仏、大谷磨崖仏、

富山は上市町の日石寺や、

奈良は室生寺近くの大野寺磨崖仏に比べて、かなり間近で拝むことができます。
実はこの仏様、厳密にはどんな尊格は不明と言うしかないようですが、言い伝えで『薬師堂』と言われているので、薬師如来としてよいのでしょう。
説明されていた方も、そのようにおっしゃっていました。
造られた時期は、これも不明ですが、首が太く、肩も張っていて、量感が豊かなことから、いわゆる貞観仏に近いものがあるようです。
世紀でいえば9世紀中頃から後半にかけてでしょうか。
観音堂石仏に少し先行するのかもしれませんが、差はそれほど大きくないようです。

本尊の他に・・・

浮彫の像が五体、線刻の像が四体。
観音堂石仏にも彩色が残っていましたが、薬師堂石仏のはそれよりさらによい保存状態でした。
こんな間近で見られる磨崖仏は貴重です。
避難指示が解除されて、自由に見学できる日が一日も早く訪れますように、心から祈っています。