昨日、最後にお見せした石碑の写真。
実は、史跡 新治郡衙跡から少し離れた国道50号沿いにあります。
新治郡衙跡は、国道50号の南側にありますが・・・・・
北側には、史跡 新治廃寺跡が。
こちらも戦前の1939年に発掘調査が行われていて、金堂の西と東に塔が配され、その来たに講堂があるという珍しい建物配置の、今から約1200年ほど前に建てられたお寺であることが判明しています。
つまり、国道50号を挟んで向かい合っている(まぁ、当時は国道50号はありませんでしたが)新治郡衙とセットだったと考えられています。
このように建物の基壇の高まりや・・・・・
柱の土台石である礎石も今でも目にすることができ、
ちょっと地面に目を凝らせば、建物の屋根に葺かれていた瓦の破片を拾うことができます。
建物は残されていませんが、礎石を目にしたり、瓦片を手にとったりすれば、もしかしたら約1300年前の奈良時代にタイムスリップできるかもしれません。
実は、史跡 新治郡衙跡から少し離れた国道50号沿いにあります。
新治郡衙跡は、国道50号の南側にありますが・・・・・
北側には、史跡 新治廃寺跡が。
こちらも戦前の1939年に発掘調査が行われていて、金堂の西と東に塔が配され、その来たに講堂があるという珍しい建物配置の、今から約1200年ほど前に建てられたお寺であることが判明しています。
つまり、国道50号を挟んで向かい合っている(まぁ、当時は国道50号はありませんでしたが)新治郡衙とセットだったと考えられています。
このように建物の基壇の高まりや・・・・・
柱の土台石である礎石も今でも目にすることができ、
ちょっと地面に目を凝らせば、建物の屋根に葺かれていた瓦の破片を拾うことができます。
建物は残されていませんが、礎石を目にしたり、瓦片を手にとったりすれば、もしかしたら約1300年前の奈良時代にタイムスリップできるかもしれません。