上総国分尼寺を見学した後は、その東にある稲荷台1号墳に自転車を走らせました。
稲荷台1号墳と聞いてすぐに分かる方は、研究者でない限り、よほど古代史が好きな方だと思います。
それもそのはず、古墳といっても、邪馬台国の女王卑弥呼の墓かどうかでさかんに議論されている箸墓(はしはか)古墳のような前方後円墳ではなく、今から1600年ほど前に作られた直径約26mの小さな小さな円墳だからです。
しかし、このお墓からは「王賜」(王様が与えるの意味)と刻まれた鉄剣が出土しました。
昔の剣には文字を刻むことがままあったようですが、現在日本で知られているものは、お墓から出土したものが6点、石上神宮に伝来する1点があるだけです。
稲荷山1号墳のものは、お墓から出土したものの中で一番新しく出土したもので、ちょうどkaneurikichiji が古代史を志す直前の1988年に公表され、当時はまだその興奮さめやらぬ状況だったのを覚えています。
「あれから20年」(綾小路きみまろ風に)
やっとその地に行くことができました。
とはいっても往時の稲荷山1号墳はもうありません。
それは、発掘が住宅地造成に先立つ記録保存(遺跡をそのまま残すのではなく調査をして記録として保存すること)のための発掘調査で、しかも銘文が見つかったのは調査が行われた1976年から10年以上経っていたため、すでに稲荷山1号墳は壊されてしまったからです。
しかし、市原市はその地を買い戻し、稲荷山古墳記念公園として整備しています。そして、そこには3分の1の大きさの稲荷山1号墳が復元されているのです。
稲荷山古墳記念公園と復元された稲荷山1号墳
稲荷台1号墳と聞いてすぐに分かる方は、研究者でない限り、よほど古代史が好きな方だと思います。
それもそのはず、古墳といっても、邪馬台国の女王卑弥呼の墓かどうかでさかんに議論されている箸墓(はしはか)古墳のような前方後円墳ではなく、今から1600年ほど前に作られた直径約26mの小さな小さな円墳だからです。
しかし、このお墓からは「王賜」(王様が与えるの意味)と刻まれた鉄剣が出土しました。
昔の剣には文字を刻むことがままあったようですが、現在日本で知られているものは、お墓から出土したものが6点、石上神宮に伝来する1点があるだけです。
稲荷山1号墳のものは、お墓から出土したものの中で一番新しく出土したもので、ちょうどkaneurikichiji が古代史を志す直前の1988年に公表され、当時はまだその興奮さめやらぬ状況だったのを覚えています。
「あれから20年」(綾小路きみまろ風に)
やっとその地に行くことができました。
とはいっても往時の稲荷山1号墳はもうありません。
それは、発掘が住宅地造成に先立つ記録保存(遺跡をそのまま残すのではなく調査をして記録として保存すること)のための発掘調査で、しかも銘文が見つかったのは調査が行われた1976年から10年以上経っていたため、すでに稲荷山1号墳は壊されてしまったからです。
しかし、市原市はその地を買い戻し、稲荷山古墳記念公園として整備しています。そして、そこには3分の1の大きさの稲荷山1号墳が復元されているのです。
稲荷山古墳記念公園と復元された稲荷山1号墳