Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

司令官は要塞の要(ケーニッヒシュタイン)

2009-09-01 23:59:52 | ドイツ
今日は台風一過・・の典型で暑かった。

あっという間に9月になってしまって、暑い暑いを連発しながらも秋風を感じる季節なんですよね。

今日、例の新しい主のいる建物の前を通ったのだけれど、あそこは急な坂の途中に入り口があるのだけれど、その議事堂から見ると・・なんか複雑だな・・

昇り竜という考え方と、下方修正・・という捕らえ方と・・坂道は微妙だなと思ったkおばちゃんです。
そういえば、例の次期首○のお子様はロシア大学で教えてらっしゃるとか・・だからロシアは諸手を上げて大歓迎だそうだ。
いったいどっちに舵をきってゆくんでしょうね。

○6月29日(月)

Kommandantenpferdestall司令官の厩何ぞ見学して・・そういえば司令官殿のお住まいは??と思ったkおばちゃん。

そう遠くない所にもちろんありました。

ここが入り口ですね。

ただし・・見学はここからじゃありません。

建物そのものは、冒頭の画像のほうがわかりやすかもしれませんが、下から上ってくる道の門の上というか門と一体になった一角にあります。

この要塞の守りの要の部分ですね。そこにお住まいだったようです。司令官殿も。

見学はこちらの入り口からです。

この図で行くと赤い部分ですかね。司令官のお住まいは。

全体はTorhaus住まいつき城門という名前でしょうか。

こちらは台所

ここは執務室でしょうか。

プライベートスペースはそのくらいしか公開されていなかっがします。

外に出てあちらの建物に入ってみましょう。

Neues Zeughaus新兵器庫ですね。

もちろん現在は武器なんか入ってません。

いえ、入っているけど、博物館のような展示品ですね。

その展示品のなかでも、これはここケーニッヒシュタインの全体模型ですね。


そして建物の隅に掲示されているのは

歴代のこの要塞の司令官のお名前のようです。

最初の年代は1539年と見えるきがするんですけど・・このころはここはまだ修道院だったんじゃないでしょうかね。

そして最後は1912年とみますね。

まあ、1939年からは捕虜収容所としてりようされていたようですので・・要塞ではないので司令官という名前ではないのかもしれませんね。

近年有名なのはアンリ・オノレ・ジローHenri Honoré Giraudフランス軍司令官でしょうか。1940年に収監され、2年余りの準備期間のあと脱走に成功したということです。

まあ、少ないなと思うのは第2次世界大戦時の展示・・とはおもうのですが・・

こんなものもありました。

これにはこんな表題が・・

『セヴァストポリ海軍基地の戦い』ですって。
セヴァストポリСевастопольというのはウクライナの黒海沿岸にある町だそうで、俗に『黒海の戦い』というやつですかね。

その他kおばちゃんの『気』を引いたのはこの図


よく覚えていませんが、この要塞の邦題から砲弾の飛んでゆく方向がかいてあったんじゃないか・・と思ってます。ああ、すぐ忘れてしまいます。

これも割りと新しい時代のものだと思いましたが・・・

なんだったか・・・忘れました。
どなたかご存知でしたら教えてください。なんとなく英語の表記が記憶にあるので第2次大戦後のものか・・とも思ってます。

さてさて、ほかも回るため外にでましょうね。
コメント
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