デイサービスに出かける前に慌てて投稿した記事の続きです。
【慣れる】とは、前向きな言葉のように使われる場合が多いでしょう。
まず、私を例にしてみますと、突然の脳出血で左半身麻痺の後遺症が残りました。
それまでの《当たり前》の生活が出来なくなりました。
でも生きてる以上、この身体で生活しなくてはなりません。
ここでまず、「身体に慣れる」事が必要になりました。
やれる事とやれない事を自分でつかんで行くのです。
そして「どうすればやれるか」を体得して行くのです。もうこれは試して試して「やれそう」となればそれを繰り返して、《自分の物にする》。
工夫して自己流でいいから「やれる事を増やす」。
結果、着替えやトイレ、洗面等の身の回りの事は自立出来ました。
次は家事です。これも試行錯誤して行くうちに洗濯、掃除、料理とやれるようになりました。
そしてタクシー代がもったいないからと、車の運転までやれるようになりました。
やればやるほど【慣れ】て行き、作業の時間も短くなって行きました。
《やれる》は自信になります。
どんどん私は元気になりました。
しかし、子供達が独立し、夫が定年を迎えたあたりから、転倒が増えました。
特別な事をしたから転んだケースは稀です(阿蘇山の噴火の降灰で杖が滑って転んだ事がありました。他にもありますが)。
転倒のほとんどが『慣れてる』場所や動作の時なのです。
後で思い返すと、横着をして手順を割愛したり、足の位置や身体の向きに無理があったりして、結果転んでいます。
かなりの数の転倒経験から、身体に《転倒恐怖》が染み付いてしまい、身体に緊張が入り過ぎるようになりました。
しかし、不思議と骨折とかは無かったので、油断は大きくなっていたと思います。
だから、昨年の胸椎圧迫骨折は、心身共に大・大・大ダメージでした。
【慣れる】と良い事もあるけど、ダメな事もある、の良い見本が私だと思います。
今朝の朝ドラの濱田マリさんの台詞は、主人公の結だけでなく、私にもダイレクトに響いたのでした。
年頭に麻痺足を捻りました。トイレでバランスを崩し、かなり頑張ったのですが、麻痺側に身体は回り、麻痺足の親指とその隣の指に“ヒビ”が入りました。
ここでも横着というか、直ぐに座れば良いのに、座る前にヒーターのスイッチを入れたりしています。
“頭を動かすと出るめまい”も出たようなので、それだけ身体は傾いた形でトイレに入ろうとしていた訳です。
ここの反省点は、身体の緊張が高い自覚があったし、胸筋の痛みもあったので、慎重に動かないといけなかった。つまり、防げた“ヒビ”だと思います。
医療関係者に限らず、【慣れ】によるミスは、あってはならないです。
【慣れ】ているからこそ、確実にならないといけない。
生きていれば、何が起こるかわからないです。自分の意思など関係ない事も起こります。
そんな時、前述したように起きた事への対処をしていけば、次に進めるのです。
長くなりましたが、私は今の自分を少しでも良くしたいから、ゆっくりですがやれる事をやっています。
転倒は一瞬ですが、身体のダメージを戻すのは長い時間と労力がかかります。
私も病気をした頃より歳を取りました。身体はしっかり老化しています。若い時のようには行きません。
麻痺した身体で老化にガチンコ勝負をしています。
私のやってる事は、生ぬるい物だと思いながら、でも、関わって下さる人への感謝の気持ちを忘れず、前へ進むのみ!だと思うのでした。
朝の最低気温を下回ってきました。明日、明後日と冷え込むようです。
寒波はまたしても居座るようで、雪の多い地方では、除雪出来ていない所へ更に雪が降るという困った事態が予想されるので、重々、お気をつけて頂きたいです。
皆様、ご安全に‼️