「片麻痺お気楽日記」左半身麻痺 主婦の日記

産後の脳出血での左半身麻痺主婦。日々の生活や、半身麻痺さんへのお役立ち情報等。

思い出せば…その4リターンズ

2005年09月02日 13時37分04秒 | 発症の時

昨日は、せっかく書いたのに、接続不良で投稿出来なくて…
気を取り直して書いてみます

ICUに入ってた2週間というのは、ほぼ意識の無い状態(薬も使ってたらしい)
でも、不思議とハッキリ判った事がある
それは部屋が変わったって事
ピンク色の部屋に移ったのね」と思ったの。
後で、“ICUの窓のそばのベッドに寝てた”と聞いて納得した

これも後で分かった事だけど、ICUにいた間の入院費の請求額…
300万円を越してました
休職中だったので、当時の社会保険本人が1割負担だったから、
それでも30万円超えるのよ
今は3割負担でしょ…

そして、ICUにいる間の看護婦さん同士の会話が、
なぜか、記憶にあるんだな

看護婦A「この患者さんどうしたの?」
看護婦B「お産の時の出血が多くて@#$%&(薬の名前)を多く使ったから
     悪くなったらしいよ」
看護婦A「まだ若いのに大変ね…」

このようなやり取りは、あったかもしれないし、無かったかもしれない
なにしろ意識レベルは、無いか極端に低かったんだし。
でも、耳って、死ぬ間際でも聞こえてるって事だしね…。

当時、付き添い婦さんが、まだ許されていたんです。
ICUにも出入りしていた付き添い婦さん達に、
私は格好の話題を提供していたようです。
これも、後で、ある付き添い婦さんから聞いた話しです。
「若いのにこの先大変だね」とか、
「子供産まなかったら、良かったのに」とか…。

この「子供を産まなければ良かったのに」という言葉は、
とてもショックでした
これを話してくれた付き添い婦さんは、
「あんた、こんなに元気になったの良かったね」と
言って下さり、「あの頃は、仲間内で『可哀相に…』と言い合っていたんよ」って。

これを聞いてから、ある意味開き直ったように思います
次男を産んだから、病気になったとは考えもしませんでしたから
ショックは、ショックでした
けど、言いたい他人には、言わせておけと思いました。
「自分がこうなってみろや」って。

でもね、現実は甘くはなかったのでありました

ICUにいる時の、とっておきのお話しは、また…

虎は、何とか意地を見せましたね
まだ5ゲームも直接対決が残ってるよ

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