「片麻痺お気楽日記」左半身麻痺 主婦の日記

産後の脳出血での左半身麻痺主婦。日々の生活や、半身麻痺さんへのお役立ち情報等。

台風北上中!

2005年09月05日 13時02分08秒 | 日記
九州本土に北上するのは、今年初の今回の台風14号
随分と風雨共に強くなって来ました。
アメリカのハリケーン・カトリーナの被害が凄かったから
要注意です

去年はたっくさん台風が来て、おかげで緊張性頭痛でしんどかったです
山口の両親の所は、電気が4日も来なかったらしいし、
広島は60mを超える大風だったしね…。

夫は台風が好きなんですよ
「来るなら休みの日に来んかい」だとさ

明日は次男は学校休校だね。今日は合羽着て出かけたし、
疲れに行ったようなもんだわ…

大人しくしてましょう。
台風の被害がありませんように

虎は、連勝で、3ゲーム差になったのはいいけれど、
どっかのチームが星野SDを10億円で監督に招いたってよ
なりふり構わない所だからね

今日は旧暦の8/1(八朔)だそうで、二百十日や、二百二十日と並んで
台風には気をつけなきゃいけないんだって

カーポートの屋根がヤバイ…

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思い出せば…その5

2005年09月03日 11時51分48秒 | 発症の時

この「思い出せば…」も今日で終わりにします
また、何か思い出したら、書こうかな?

とっておきの話しっていうのは、『幽体離脱・臨死体験』とか言われてるやつ

ICUから出て個室に移って、自分の状況が把握出来だした時、
私の頭の中に大きく残っていた物…

それは、本当に不思議な体験でした
ベッドに私は寝ています。すると、段々と心臓の鼓動が弱くなって行くのです
マジで慌てました「おいおい、このままじゃ心臓が止まっちゃうよ」って。
そしたら、ホントに止まったんです
ぎょえ~私死んじゃうの~」って
慌てる私がベッドの上にいて、その枕元に、じっとそれを見てるもう一人の私。
走り回る看護婦さんや、電話をかけてるお医者さんが見えました
しばらく間があり、ふいに「トクン」と心臓が動いたと思ったら、徐々に鼓動が強くなり
わ~い動き出した~生きてるよ~」って
ホッとした所で、終わってるの。自分でも凄く不思議な感じだった
恐らく、麻痺した左手が心臓の上にあったんだと思うのね
だから、鼓動がリアルに伝わって来てたみたい。

夢にしては、あまりにリアルなので、話しが出来るようになってから
夫にこの事を話したら、
「おまえは心停止はしてないぞ」って言うんです。
退院してから、長男に話したら、
「案外ホントはそういう事があったんじゃないの?」って言いました。

どっちにしろ、私は今生きてます
推測ですが、耳から入っていた周りのバタバタの様子を
脳が覚えていて、麻痺はしてても感覚はある左手が鼓動を感じていて
私に見せてくれた夢だったのでしょう

でもね、心臓が止まった時は、マジでびびってた私です

でも、長い期間、意識不明だった人って、似たような経験されてるんですよね
ってホントに不思議です

昨日は、竜が負けたので、2ゲーム差になった
今日は札幌ドームです。虎ファイト

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思い出せば…その4リターンズ

2005年09月02日 13時37分04秒 | 発症の時

昨日は、せっかく書いたのに、接続不良で投稿出来なくて…
気を取り直して書いてみます

ICUに入ってた2週間というのは、ほぼ意識の無い状態(薬も使ってたらしい)
でも、不思議とハッキリ判った事がある
それは部屋が変わったって事
ピンク色の部屋に移ったのね」と思ったの。
後で、“ICUの窓のそばのベッドに寝てた”と聞いて納得した

これも後で分かった事だけど、ICUにいた間の入院費の請求額…
300万円を越してました
休職中だったので、当時の社会保険本人が1割負担だったから、
それでも30万円超えるのよ
今は3割負担でしょ…

そして、ICUにいる間の看護婦さん同士の会話が、
なぜか、記憶にあるんだな

看護婦A「この患者さんどうしたの?」
看護婦B「お産の時の出血が多くて@#$%&(薬の名前)を多く使ったから
     悪くなったらしいよ」
看護婦A「まだ若いのに大変ね…」

このようなやり取りは、あったかもしれないし、無かったかもしれない
なにしろ意識レベルは、無いか極端に低かったんだし。
でも、耳って、死ぬ間際でも聞こえてるって事だしね…。

当時、付き添い婦さんが、まだ許されていたんです。
ICUにも出入りしていた付き添い婦さん達に、
私は格好の話題を提供していたようです。
これも、後で、ある付き添い婦さんから聞いた話しです。
「若いのにこの先大変だね」とか、
「子供産まなかったら、良かったのに」とか…。

この「子供を産まなければ良かったのに」という言葉は、
とてもショックでした
これを話してくれた付き添い婦さんは、
「あんた、こんなに元気になったの良かったね」と
言って下さり、「あの頃は、仲間内で『可哀相に…』と言い合っていたんよ」って。

これを聞いてから、ある意味開き直ったように思います
次男を産んだから、病気になったとは考えもしませんでしたから
ショックは、ショックでした
けど、言いたい他人には、言わせておけと思いました。
「自分がこうなってみろや」って。

でもね、現実は甘くはなかったのでありました

ICUにいる時の、とっておきのお話しは、また…

虎は、何とか意地を見せましたね
まだ5ゲームも直接対決が残ってるよ

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思い出せば…その4

2005年09月01日 16時05分33秒 | 日記
サーバーへの接続不良で投稿出来ませんでした
明日、書き直します
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