昨日は、広島中区の平和記念公園で、68回目の平和記念式典が開かれました。
何回目になるかは、私の年齢から一年引けばすぐ分かります。
何て、一歳の時に、三キロの地点で被爆した私ですから、当たり前のことを言ってますね~ (笑)
乳飲み子でしたから、その壮絶な悲劇を知る由もなく、心に何ら重荷も負うこともなく成長しました。、
被爆者として、平和運動に関わることもむろんありませんでした。
アメリカを憎んだこともありません。
被爆者にしては、ある意味、無責任な生涯を送ってきた、と非難されても仕方ない身なのかもしれません。
今のご時世を観て感ずることですが。
去年の式典の写真です。
けれど、私はこれで良かった、と両親の被爆への対応に感謝こそすれ、不満に思ったことは一度もありません。
恐らく、父も母も、核兵器云々等と考える暇も、心の余裕もなく、戦後の復興の中で、穏やかな日常を取り戻すのに必死だったのでしょう。
同じことが、福島の大半の市民の方々にも当てはまるのかもしれませんね。
大震災と原発事故後、色々不安を抱えながらも、以前と変わりない平穏な日々を取り戻す努力を、ひたすら積んでこられたのではないでしょうか。
しかし一方、一部の方々は、放射線量が高い危険区域のため、故郷を離れ、難民生活同然の厳しい暮らしを余儀なくされておられるのも、紛れもない事実です。
決して忘れてはならない、人達でいらっしゃいます。
けれど、平凡な主婦に過ぎない私に、何が出来るでしょうか。
過去に同様の経験をした身ながら、体力もない高齢者の私は、ボランティアに馳せ参じることもできず、ただ心配するのみです。。
しかし、陰となり日向となって、地道に福島のの支援、援助のために、日々心を尽くし、働いておられる多くの方々が今もおられるに違いありません。
広島の被爆に際しても、同様の数知れない方々の理解と支援のお陰で、、市民はいらざる不安を抱かず、復興を成し遂げられたのだと思います・。
こういった前向きの行動力こそ、称賛に値すること、と信じて止まない私です。
それは、活発な除染、医療費の助成、無料定期検診、その他多方面にわたって、福島の市民を助けるための運動へと発展していくことでしょう。
今は、風評も次第に収まりつつありますが、なお低放射能の体の影響を強く主張する方もいるようです。
原発事故後しばらくは、関東周辺の公園すら危険で、子供を遊ばすべきではない、との風説が飛び交いました。
そのような記事を目にするたびに、福島市民の方々の風評による不安の増幅が心配でならなかった私です。
もし、両親が今のご時世で被爆していたなら、どんなに辛かったであろう。
私も成長の過程で、如何に悩んだ事だろう。
そのような思いを常に抱き、被爆者なりの視点で、原発事故後の経緯を見つめてきました。
ですから、諸説の論陣を張られる方々より、いかにささやかでもボランテイアに励み、直接復興の手助けをする人達に、私は大いなる敬意を払ってきました。
恐らく有識者の方々も、昼夜を問わず、原発事故の多くの課題を乗り切るため、英知を結集し、解決の道を見付けだそうと、必死で努力しておられるに違いありません。
日本はこれまで、世界で一番優秀な科学技術立国でした。
この苦労を無駄にせず踏み台にして、環境保全、電力の新しい在り方等を追求し、必ずや、より良い発展を成し遂げてくれるに違いない、と私は確信しています。
少々楽観的すぎるかしら。(笑)
瀬戸内 寂聴さんは、楽観的な暮らし方をすることを、強く勧めておられるようです。
最近亡くなられたなだいなだ氏も、そのような方であられたことを、天声人語で知りました。
(間違え、北杜夫氏と書いてしまい、その後訂正致しました。)
私もすべてを肯定し、常に建設的意見をブログでも綴れるような、そんなブロガーをめざしたいな~、何て、改めて思っています。
今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。
広島市長が核兵器を絶対悪と言われました。
本当にその通りですね~
核兵器がこの世から消えることをひたすら祈っています。