前回の記事の続きです。
恐らく、遺族年金だけでしたら、貯金は無理でしたでしょう。
統計によると、年金収入の暮らしだと、毎月の生活費が5万円位赤字になると言われていますものね。
私も年金のみで暮らす老後が待っていると思っていたのですが、思いがけず、被爆者の健康保険手当の給付が毎月受けられるようになり・・・。
更に夫が亡くなってからは、アメリカ遺族年金の支給も始まりました。
アメリカ年金は今の円安で、受給額が一万円くらい増えています。
Aが遺族厚生年金 Bが私の国民年金 年金Aがアメリカ遺族年金 年金Bは被爆者の健康保険手当ににしています
雑収入は、ドル建ての終身保険の利息などです。
毎年この利息が、9月に振り込まれますが。
私は今までは、収入AとBだけ暮らしてきました。
今後もひたむきにこの方針を貫くか、もう少し贅沢な暮らしを良しとするか、とても今迷っています。
アメリカ年金が夫婦それぞれに支給されるなんて、夫が年金暮らしになる直前まで、二人共、全く知らない事でした。
夫の赴任で米国に在住以来、ずっとお付き合いが続いている、親友のKさんが教えてくれました。
これを聞き、同じころドイツに滞在していた妹は、ドイツ年金もあるのでは、と調べたようですが、ドイツ年金はなくて、とてもがっかりしていました。
被爆者の健康保険手当を受けるようになったのも、年金暮らしになってしばらく経ってからの事。
私は被爆者ですから、一生、保険が適用される医療費は無料なのですが・・・。
この制度の利用を始めたのは、マイホームに転居した40代前半の頃から。
被爆者手帳を再発行してもらってからです
それまでは、結婚後ずっと医療費を払い続けていた私。
今思うに、呆れるほど無欲な私でした。
ところが、齢を重ねるうちに、金銭感覚も次第にシビアになっていきました。
被爆者の健康保険手当も、審査が通る期待何て、全くゼロだったのですが・・・。
我が家からは遠く離れた病院に出かけ、診察を受け相談した所、すぐOKが出ました。
その先生はその審査をする一員でいらしたので、その受給の確信をその場で得られた私です。
何事も最初から諦めないで、当たって砕けろの精神で臨むことがとても大切。
その時、しみじみそう思ったものです。
一方では欲にかられ、株式投資を始め、ひと財産を失うといった、いくら後悔しても後悔しきれないような禍根を人生に遺すことになってしまい。
矛盾だらけの私です。
当座帳の8月2日の記帳です。
食料品はすべて副食の項目に割り当てています。
この日は5キロのお米を購入しましたので、食費が高くなりました。
このお米の量で、二か月半位は持ちます。
失敗はさておき、妹には時々羨ましがられます。
「私はAさんが亡くなると、収入は年金だけだから、お姉様のような余裕のある暮らしは絶対無理よ。
貯金を下ろしながら暮らすことになると思う。」
と言います。
この点からも私が思う事は、私の人生は常に強運に恵まれていたということです。
何故って、私は優柔不断で、とても慎重なところがある一方、どこか抜けていて、娘達にもよく笑われますが・・・。
人生における選択と決断には、間違いがあまりなかったようにも・・・。
そのもっともたるものは、帰国した時、六年生だった長女の、中学入学における選択と対応、不動産の購入とマイホーム建築に当たっての選択と決断です。
このことを説明するとなると、結構大変。
私の文章力でうまくお話できるか、自信はありませんが。
又いつかお話してみたいです。
と、少々得意げに書きましたが・・・。
私は人生の選択で驚くほど幸運に恵まれたことが、私一人の力で成し遂げられたこととは、どうしても思えません。
神様が導いてくださった。
そう思い、感謝の気持ちを忘れないで過ごさなければ、といつも思っています。
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