過日(8/2)、山内図書館内をウロウロしていたら、井上清先生の『日
本の歴史』(岩波新書、初版1963-1966)があったので、懐かしく
なり、借りてきた。
本書は、大学予備校時代に「参考書」としてよく読んだものだ(--
予備校授業の推薦図書になっていたわけではない)。
本書を読むと、寸暇を惜しんで(?)勉強した予備校時代を思い出す。
当時は、ウィキペディアがあろうはずもなく、井上清先生がどういう方
か、まったく知らなかった。
当時、読んでよく分からなかったのが、本書「中」巻のp169にある
「西郷隆盛個人は、反動ではなく、ブルジョア的改革の必要もよく承
知していた」
という一文だ。--これは、西南戦争(政府の新政に不満を抱く士
族の反乱の一つ)を説明したものだ。
なぜ分かりにくいかというと、今こそ分かるが、「反動」や「ブルジョア
的改革」という言葉が、唯物史観--とくに「講座派」(講座派マル
クス主義)の史観から来ているからだろう。
(『日本資本主義発達史講座』自体、岩波書店の刊行である)。
また、太平洋戦争末のソ連参戦については、ヤルタ会談でルーズ
ベルトがスターリンに提案したことから起きた、という趣旨のことが
書かれている(--これは事実だが。)が、当時有効だった「日ソ
中立条約に違反して」という、重大な事実はまったく書かれていな
い。
これは、岩波新書の『昭和史』(遠山茂樹・今井清一・藤原彰、S34、
p239)と同様、当時、著者が共産主義国ソ連に「遠慮」したもの、
と言われても反論できないだろう。
その他にも、本書には「講座派」の公式的見方が散見されるのがお
もしろい・・・・・・かな。
* * * * *
講座派は、「天皇制を打倒するブルジョワ民主主義革命が社会主義
に転化するという二段階革命論」を主張した。
マルクス主義の「講座派」に対立するのが「労農派」だが、ごく簡単
に言えば、講座派→日本共産党、労農派→日本社会党(社会主義
協会)だ。
1970年代に至っても、NHK討論では、明治維新が「革命」かどうか
で、社共が論争していた。
いずれにしても、「資本主義→社会主義→共産主義」という流れが
必然でないことは歴史が証明している。
すべて、将来に関して、これこれのことが起きるという必然論はありえ
ない。「一寸先は闇」であって、将来に「絶対」はありえない。
絶対ではないが、むしろ共産主義社会はその矛盾によって崩壊する
可能性(蓋然性)があるのかもしれない。
井上清『日本の歴史』(岩波新書)
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