1月21日(金)、久しぶりに中央大学クレセント・アカデミー、
佐藤元英先生の「『昭和天皇実録』は昭和史の謎を解いたか」シ
リーズ冬期第1回「重光葵」を聴く。
先生の上記シリーズは、続いていたが、コロナということもあり、
私は2年間お休みしていた。
会場は、グローバル館(R2/2020年オープン)の5階。
クレセント・アカデミー事務局の方に
「(グローバル館という)立派なのができましたね~」
「あら、初めてでらっしゃいましたか」
「あ、はい。しばらくお休みしていたものですから」
外務省試験合格
M37:松岡洋右、M38:佐藤尚武、佐分利貞夫、M39:広田弘毅、
吉田茂、M42:有田八郎、M43:斎藤博、M44:重光葵、芦田均、
T元:東郷茂徳、T2:谷正之、T11:岡崎勝男
幣原喜重郎の時代:T4(1915)~S6(1931)年満洲事変まで。
(15年間)
重光の対中外交理念と、中国ナショナリズム、軍部の動きなど。
(私は)「第一次上海事変」には大いなる関心を抱く。研究の穴
場?→こちら。
*井上寿一『昭和の戦争』では(第一次)上海事変について2、3行触れられて
いる。
次回は2週間後。
帰路、昭和史研究会の「反省会」と称して、軽く一杯。
--無論、大声は出さず(笑)。
岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』、『重光・東郷とその時代』
11:23
11:30 新百合ヶ丘駅行
11:55
11:57
11:58
12:00 唐木田行急行
12:11 小田急多摩センター着
12:15
12:16
12:19 モノレール乗り場へ
12:27 折り返し
12:36 中央大学・明星大学着
12:37 改札を出たら右へ
12:37 久しぶり~~。
12:37 門を入ったら、すぐ左へ
12:38
12:38
12:39
12:40
12:40
12:41 既にお一人来られていた。感染対策もバッチリ。
12:43
12:44
12:44
12:48
15:06 「モノレールの駅は4階です」
15:06
15:11
15:18 多摩センター着
15:21
15:23 多摩センター 銀蔵(ぎんぞう)
15:23 1グループ「4名様以内」
「お酒は飲めますか?」
「はい、9時までですけど、大丈夫です」
「そんなには飲まない(笑)」
15:27
15:33
16:31
17:53
17:58 小田急多摩センター
18:11
18:13 バス乗り場へ
18:14 もう出るところ。待って~~。
18:42 大場町下車
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満州(満洲)事変の「昭和6年」もさることながら、「昭和7年」も大事な年です。今、まさしく昭和7年について調べていたところです(継続中)。
桜田門事件は、昭和7年の新年早々、8日に朝鮮人李奉昌が昭和天皇の御料馬車の隊列に手りゅう弾を投げつけた「テロ事件」です。
それに対して、中国上海の「民國日報」が「不幸にして僅かに副車を炸く」と報道したので、上海の居留人は憤慨し、現地で糾弾運動に発展しました。
これが1月28日の(第一次)上海事変(大激戦)の原因の一つになったと言われています。
上海派遣軍司令官を命ぜられた白川大将(当時63歳)は、昭和天皇から「上海から十九路軍を撃退したら、決して長追いしてはならない。3月3日の国際連盟までに何とか停戦してほしい。私はこれまで幾度か裏切られた。お前なら守ってくれるであろう」と親しい言葉を賜り、3月3日に上海から十九路軍を一掃すると停戦命令を出します。→国際連盟からも評価されました。
4月29日、上海天長節爆弾(テロ)事件で、朝鮮人テロリストの投げた爆弾で、白川大将は重傷を負い、5月26日に亡くなりました。(長文、ごめんなさい)。
「昭和天皇独白録」でも、天皇は白川大将を評価しています。
詳細はWikipedia「白川義則」の項をご参照。