元検事総長伊藤栄樹氏の、驚くほど冷静にして客観的なガン闘病記である。
氏は、検事として巨悪と戦い続けた。小物は相手にしない。刑事局長時代にはダグ
ラス・グラマン事件(ロッキード事件ではない。)の国会答弁で「初めに5億円あ
りき」と答えている。
人はガンになると、そのことには触れたがらないタイプと冷静に自己を見つめるタ
イプとあるようだが、氏はあきらかに後者のタイプだった。私の4歳年上の元上司
も昨年肺がんに倒れたが、後者のタイプだった。病状をあまりに客観的に説明され
るのでこちらが戸惑ったことも何回かあった。私もかくありたいと思った。
なお著者には『秋霜烈日』(朝日文庫)という自ら手がけた事件の回顧録がある
が、これも一読の価値がある。それはまさしく氏の絶筆となった。
(伊藤氏の略歴)
大正14年2月生まれ
昭和22年東京帝国大学卒業
昭和24年11月東京地検検事
昭和50年11月最高検検事
昭和58年12月東京高検検事長
昭和60年12月検事総長
(昭和62年7月ガン手術)
昭和63年3月検事総長退官
昭和63年5月永眠
氏は、検事として巨悪と戦い続けた。小物は相手にしない。刑事局長時代にはダグ
ラス・グラマン事件(ロッキード事件ではない。)の国会答弁で「初めに5億円あ
りき」と答えている。
人はガンになると、そのことには触れたがらないタイプと冷静に自己を見つめるタ
イプとあるようだが、氏はあきらかに後者のタイプだった。私の4歳年上の元上司
も昨年肺がんに倒れたが、後者のタイプだった。病状をあまりに客観的に説明され
るのでこちらが戸惑ったことも何回かあった。私もかくありたいと思った。
なお著者には『秋霜烈日』(朝日文庫)という自ら手がけた事件の回顧録がある
が、これも一読の価値がある。それはまさしく氏の絶筆となった。
(伊藤氏の略歴)
大正14年2月生まれ
昭和22年東京帝国大学卒業
昭和24年11月東京地検検事
昭和50年11月最高検検事
昭和58年12月東京高検検事長
昭和60年12月検事総長
(昭和62年7月ガン手術)
昭和63年3月検事総長退官
昭和63年5月永眠
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