いささか旧聞だが、8/10付産経新聞--山内昌之「歴史の交差点」を
読む。
要点は・・・・・・
○歴史を含めて万事を特定の国々の判断に任せっぱなしにし、自らの国
益を麻痺させ歴史解釈に臆病になることで、結局は国や自分の政治生
命をすっかり台無しにしてしまう人びとがいる。
○日本の戦争責任や歴史認識を話題にするとき、いつも元ドイツ大統領
ワイツゼッカーの演説を持ち出す論者がいる。
○元ドイツ大使有馬龍夫氏の『対欧米外交の追随』(藤原書店)は、ワ
イツゼッカー演説にはどこを探してもホロコーストについて謝罪やそれ
に類した表現が見当たらないと指摘している。
○ワイツゼッカー演説の肝は、ドイツ人がナチスの台頭を許した重大責
任やナチスの蛮行の共同正犯だった面を認めていないことだ。
(注)ワイツゼッカー演説は、しばらくして岩波書店『世界』が「過去
に目を閉ざす者は結局のところ現在に盲目になる」というフレーズを
見つけ、「日本はドイツを見習うべきだ」という意味合いで取り上げ
た。
今年1月、ワイツゼッカー元大統領が亡くなった時にもNHKニュース
でこの言葉に触れていた。
○ワイツゼッカーは「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在に盲目に
なる」と言ったが、それは、ナチスの犯罪を心に刻んで記憶せよという
ことであり、(この場合)国家ましてやドイツ人の責任や謝罪を明示的
に認めたのではない。
(注)ワ氏は、実にいろいろなことを言っている。「一民族全体に罪が
ある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪とい
い無実といい、集団的ではなく個人的なもの(注;別段落に「暴力に
訴えたのはヒトラーであります」とある。)であります」、「かって
起ったことへの責任は若い人たちにはありません。しかし、(その後
の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任
があります」ということも言っている)。(永井清彦訳)
そもそもナチス・ドイツと日本を比較すること自体問題がある。
なるほど、戦時中、日本は残念なことに「戦争犯罪」を行っただろうが、
ナチス・ドイツのホロコーストとは次元が違う。東京裁判(--正式に
は極東国際軍事裁判)でさえ「人道に対する罪」は適用されていない。
南京事件(南京虐殺、南京大虐殺)に「人道に対する罪」が適用された
わけではない。
ナチスの殺人(ホロコースト)は通常の「戦争犯罪」ではない。ニュル
ンベルク裁判ではナチスに対して「人道に対する罪」が適用されている。
繰り返しになるが、南京事件の責任を負った松井石根にしても「人道に
対する罪」で裁かれたわけではない。
ちなみにドイツには独裁者がいたかもしれないが、日本には独裁者はお
らず「共同謀議」もなく、むしろバラバラだったのである。
ヴァイツゼッカー演説「荒れ野の40年」(岩波ブックレット)
8/10 産経新聞
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