1月28日(日)、朝9時前、地震発生。病院がガタガタと大きく
揺れる。震度4。
すぐに看護師さんが見回りに来て
「皆さん、無事、生きてますね~」
すぐに戻って行った。
7:59 8時前の朝食
8:32
退院に向け、午前午後と、ハードなリハビリ。
まずはストレッチから。その後、筋トレ。
最後に、階段の上り下りを含め、院内を歩く。
12:07 12時過ぎの昼食
午後2時、家内と長女があわただしく、「週一回15分の面会」に
来てくれる。
テレビは視ていないが、暇つぶしに家からウォークマンを持って
きてもらう。ーー入っているのは、マーラー、シベリウス、ちあき
なおみ等々。
午後4時、看護師さんがシャワー室を予約してくれ、手術後初め
てシャワーを浴びる。
(シャワー室で)左のお尻がタダレているのを見た看護師さんが
「左側だけ赤くなってますね~。痛くはないですか。ピリピリし
ませんか」
「かゆい感じはしますが、痛くは、ないですね~」
「もしかしたら帯状疱疹かも・・・・・・。皮膚科に診てもらいましょ
う。何事も念のため」
総合病院は、一通りの診療科があるので安心、便利だ。
17:55 午後6時前の夕食
1月29日(月)
続いていた頭痛がなくなり、一安心。
CT撮影。これで異常なければ退院も近い?
一方、皮膚科の先生(女医さん)がベッドまで来られ、お尻の
皮膚の表面をジックリ診て帰られる。
オハズカシイなどと言ってはいられない。
その後、塗り薬などが出て、夕食後には1時間の点滴が始まる。
看護師さんに
「帯状疱疹だったのかしらん」
と訊くと
「はい、帯状疱疹でした」
「え~っ、聞いて驚く意外な事実!」
帯状疱疹を甘く見てはいけない?
退院が延びるかも?
7:48 朝食
7:59 病室より
11:58 看護師さんが準備してくれた洗濯物入れ
12:02 昼食
17:17 帯状疱疹の薬 痛み止めと塗り薬
18:04 夕食
19:31 帯状疱疹治療用点滴(朝晩1時間)始まる。
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昨2/13(火)午後、久しぶりに苑地ボランティアのYさんと出会
う。
私が
「一カ月ほど前、そのあたりでヨロヨロと転びましたでしょ。
精密検査をしてもらったら、脳にジワジワ、血液が溜まっていた
んですよ。それで左によろけて」
と報告すると
「慢性硬膜下血腫でしょ?」
「えっ、ご存知ですか?」
「知ってますよ。何人も。頭に穴開けて、溜まった血を抜くんで
しょ。よくありますよ。私が知ってるだけで、5人ほど」
「そうですか~」
苑地ボランティアに励むYさん
○YouTubeでも小澤征爾の追悼が相次いでいる→こちら。
小澤征爾の素晴らしさはステージマナーもその一つだった。
小澤さんは演奏前と後の挨拶(おじぎ)では指揮台に(ほと
んど)上がらなかった。
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